第七十話:告げる
ある日の、誰かのお話です。
叱りつけるような男の顔が、顔だけの存在が、目の前に現れて告げる。
『今宵、百鬼夜行が練り歩く。境が揺らぐゆえ、決して、見てはならぬ。連れてゆかれたくなくば、寝床で布団を被り、何者からの問いかけにもこたえてはならぬ』
叱りつけるような口調で、一方的に告げて、顔は消えた。
夜。
がやがやと、騒がしい行列が。
提灯や蝋燭の火が、ゆらゆら揺れながら。
ぼっ、と、闇に、火の玉が浮かび上がる。
ぼっ、ぼっ、ぼっ。
浮かんだ火の玉が、回り、巡り、火の輪となる。
火の輪の真中に、人の頭が浮かび上がる。
がやがやと、騒がしい行列が、
ゆらゆらと、酔うた阿呆の千鳥足で、
火の輪に引かれ、練り歩く。
『童よ、我は告げた。決して見てはならぬと。見れば連れてゆかれると』
叱りつけるような声が、響く。
がやがやと、騒がしい声が、近づく。
「…………連れてって」
『ならぬ。目を閉じ、耳を塞ぎ、念仏を唱えよ。さすれば、百鬼夜行は過ぎ去ってゆく』
「……連れてって」
『ならぬ。幼子が、父母より先に、冥府魔道に堕ちてはならぬ』
叱りつける声は、童の願いを拒む。
童は、火の輪の言を拒む。
「……おとうもおかあも、流行り病で死んじまった。おら一人だ。一人はさみしい。…………だから、連れてって。賑やかで、楽しそう」
『ならぬ。お父もお母も、百鬼夜行の先にはおらぬ。目を閉じ、耳を塞ぎ、念仏を唱えよ。知らぬば、南無、だけでよい』
「やだ、連れてって」
『念仏を唱えよ。さすれば、浄土で、お父やお母に会えるであろう』
「…………ほんと?」
『我は告げるのみ。念仏を唱えよ』
童は、火の輪が告げた通り、念仏を唱える。
南無、南無、と、繰り返す。
いつか、浄土とやらにたどり着き、
お父やお母に会えると信じ。
南無、南無、と、繰り返す。
行列は、通っていく。
行列は、過ぎていく。
童は、念仏を唱える。
南無、南無、と、繰り返す。
行列は、去っていく。
行列は、消えていく。
がやがやと、騒がしい声が、消えていく。
ゆらゆらと、火の輪が揺れる。
ゆらゆらと、火の輪が回る。
ぼっ、ぼっ、と、火の玉が消える。
火の輪が、消える。
南無、南無、と、繰り返す。
童が、念仏を唱える。
…………そして、日が昇る。
百鬼は去り、夜行は終わる。
童は、立ち上がる。
己が足で、踏みしめる。
道を踏みしめ、未知へと進む。
その先に、浄土が在ると信じて。
その先に、お父とお母が居ると信じて。
『…………なんて事があったの。まったく、失礼しちゃうわ。私、レディなのよ? 童じゃなくて、女子と呼ぶべきじゃないかしら?』
「なるほど。大変な幼少期だったのですね」
『ほんと、失礼しちゃうわ。大人になった時分には、誰もが振り向くモダンガールだったのよ? 奥様がいる殿方も、思わず振り向いて鼻の下を伸ばして、耳を引っ張られていたのよ? 本当よ?』
「はい。信じますよ。ですが、そろそろ」
『あら、もう、こんな時間なの? じゃあ、先に休ませてもらうわね。おやすみなさい』
「…………ええ。良い、夢を」
無人のベッドで眠りにつく、老婆の霊に、手を合わせる。
ちゃんと勉強して、諳んじられるようになった念仏を唱えて、冥福を祈る。
浄土を願い焦がれて、道に迷ってしまった老婆の霊が、今度こそ、成仏できるようにと。
祈るように、念仏を唱える。
……ぢり、と、焼け付くような、恐怖。
それと同時に感じる、厳しくも、優しく、暖かい思念。
『…………此度こそ、迷わず逝ったか』
「…………さてな。ただ、冥府魔道に堕ちることはあるまいよ。ただ、父と母に会いたいがために、道に迷っただけの迷子だ」
『……我は告げるのみ。……我は灯すのみ』
「道を示してやったんだ。道を灯してやったんだ。そんで、長いこと、気にしてやったんだ。もう、大丈夫さ」
『……我は、告げるのみ』
「それで、救われた御霊があるんだよ」
凄まじいまでの圧を感じる火の輪は、消え去った。
道に迷った幼子に、道を示した灯火は、消えた。
震えるほどの恐怖と、包み込むような優しさと、凍えた心を融かす暖かな炎は、もういない。
果たして、老婆は、浄土へたどり着けたのか。
生あるうちに、幸せを得られたのか。
知りうるものは、もういない。
大きく、息を吐く。
帰ろう。そう思ったとき、着信が。
(゜Д゜≡゜Д゜)゛?
『もしもし、わたし、メリーさん』
はいはい、メリーさん、どうしたよ?
『後ろを追っかけてた猫が、急に消えたの! これは、事件なの!』
……いや、そこらの茂みにでも隠れたんだろ。
『犯人は、お前だー。なの!』
あんまり服汚すと、またマダムに叱られるぞ?
『そ、それは、困るの……』
そろそろ暗くなるから、家に帰りなさい。
『はーい。……また、電話するの』
がちゃ、つー、つー、つー。
また、大きく息を吐く。
肺に溜まった空気だけでなく、やるせない気持ちも一緒に。
家族に、笑顔でただいまと告げるために。
・俺 : 主人公。男性。名前は『孝緒』
……備考 : 職業・総合商社の営業。結婚しても優良物件扱い。
元々霊的に絶大な防御力を持っていたが、マダムの眷属となり、魔性を退ける攻撃的な権能を得た。
時々、ふと、終わりの時を考える。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
春から中学校に通っている。
底抜けの明るさは、いつも暗い心を明るく照らす。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:愛しい人と一緒に台所に立つ夢が、夢ではなくなった。
いつもと様子が違うことを、それとなく察するも、ただ寄り添うことを選ぶ。
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
時おり、この生活が終わる時を思い、無性に甘えたくなる。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
赤い糸は、決して切れないものと信じて、寄り添う。
たとえ切れても、何度でも結び直す所存。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い元誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:美咲と共に、家庭内のことを主に担当している。
自身の姓を、薄い、と捉えてしまうことがある。
繋がりが、薄いと。
その度に、不安を拭い去るべく心を強く持つ。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
タクシードライバーから、マダムのお抱え運転手に転職。
浄土か天国か来世か異世界か。
行きたいところ、どこへでも乗せて連れていきたい。
そのための権能であれと。
・謎の幼女 : 御神木の桜の木の中から引っ張り出した、姉と認識する幼女。
……備考:霊だったはずなのに、実体がある。
口数も少ないが、別にしゃべられないわけでもなさそう。
春から小学校に通っている。
道の行き着く先でも、ずっと一緒だと願っている。
・西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしていた。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
旦那亡き後は、広過ぎる家に寂しさをこらえられなくなり、孝緒と嫁たちを迎え入れた。
……永遠は、長すぎるけれど……。
もし、その時が来たならば。
輪廻の先で、また巡り会えたらと。
・火の車
・百鬼夜行
○片輪車♀
△輪入道♂
×火車 猫
・火の車:燃え盛る車輪の中央に、顔が着いている妖怪。
……備考:百鬼夜行の先導にして、それを事前に告げる存在でもある。
『決して見てはいけない』と告げられたにも関わらず、興味を抑えきれなかった母親が、夜戸を少しだけ開けて百鬼夜行を覗き見る。
その瞬間、昼間も現れた、燃え盛る車輪の中央に顔が着いている存在に、叱りつけられる。
禁を破った母に、火の車は告げた。
『お前の行いのせいで、子は消え失せた。見てみるがいい』
火の車に告げられ、母親は、寝床で寝ているはずの我が子を探せば、どこにもいないことに気づく。
自らの行いを悔いた母は嘆くが、火の車はさらに告げる。
『子を思い、悔いる心に免じ、子は帰そう。その心、ゆめゆめ忘れるでない』
火の車は消え、我が子は寝床に。
このエピソードは、『片輪車』という妖怪のものとよく似ています。
筆者はどこで上記の話を見聞きしたのか記憶は定かではありませんが、片輪車のエピソードを、子ども用にマイルドに改編したものかもしれません。
火の車は、禁を破り百鬼夜行を覗き見て、向こう側に渡りかけた母を叱りつけ、子を思う心を強めることで、現世に留まる意思を呼び起こしたものと思われる。
子がいなくなったのは、向こう側に逝きかけたことで位相がずれ、見えなくなったためで、再び子が見えるようになったのは、現世に戻ったためと考えられる。
時に厳しく、時に残酷で、時に優しくもある。
そういう妖怪なのかもしれません。
……それやったらダメって言われたら、逆にやりたくなる人もいますよね?
でも、実際にやったら、マジで破滅するよ? 後悔するよ? って教訓を示すお話しなのかもしれませんねえ。
くわばらくわばら。
・百鬼夜行:鬼や妖怪が練り歩く行列。
……備考:数えきれないほどの鬼や妖怪。すなわち、百鬼。
夜の行列。すなわち、夜行。
災いを成す存在が、夜を通して大量に練り歩く。
それは、移動する災害のようなもので、巻き込まれたら例外なく残酷な展開になると言われている。
念仏を唱えれば難を逃れることができるとも言われているが、遭遇しないに越したことはない。
・狐の嫁入り:天気雨。
……備考:晴れているのに雨が降っているという、不可思議な気象条件を、狐が嫁にいった、つまり、化かされているのだと考えたのだろうか。
同じ行列でも、こっちは見ると幸福が舞い込むとされている。
雨が降る中、雲の隙間から覗く太陽の逆の方向には、虹がかかる。
虹は、龍の化身とも考えられており、その根本の地面には宝物が埋まっていると聞いた人はいるのではないだろうか?
龍は、雨を降らせ作物に実りをもたらす水の神とも。
そのため、虹は、雨の象徴で、実りを約束してくれる。それこそが、幸福だとも考えられる。