第六十四話:ダンク
『もしもし、こんばんは。雫です。孝緒さん、あなたにお願いがあって電話したの。今、大丈夫かしら?』
「こんばんは。雫嬢。大丈夫だけど、何かあった?」
『それが……』
翌日。
仕事も休みなので、寒くない程度の私服姿で制服姿の雫嬢と待ち合わせして、学校へと向かう。
年も明けて寒さも本格的になってきた冬休みの日中。
人通りもまばらな道中、腕を組んで身を寄せて、いつになく甘えてきている感じがしたので、ちょいと気になって聞いてみた。
「今日は、いつもより近いな。電話の件以外で何かあった?」
「なにかって、朧さんが抜け駆けしたから」
聞いてちょっと後悔した。
「黙っていればよかったのに、あのあと少し大変だったのよ?」
うん。メッセージアプリのメッセージ欄が軽く修羅場ってたな……。
いや、修羅場ってほどでもなかったか?
朧が抜け駆けしてごめんなさいってのから始まって、責めるコメントはほぼ無く、羨ましいとか私もしたいとかそんな感じだったので、ほんとに仲がいいんだなって思ってた。
朧本人は針のむしろだったかもしれんが。
でも、大変ってことは、メッセージアプリ以外でもなんかやってたのかな?
「ねえ、私のことも、ちゃんと見て?」
組んだ腕を引き寄せて、豊かな胸を押し付けて、潤んだ瞳で見上げてくる雫嬢と目を合わせて。
そして、目が離せなくなって……。
「ゲホンゲホンッ、ゴホンッ!」
今回もまた依頼してきたという女性教師が、見とがめて咳払いをしていた。
「んん、不純異性交遊は認めるわけにはいきません。教師としては、適正な距離を保つことをおすすめします。(…………新年早々、見せつけて…………羨ましい…………)」
おーい、本音が聞こえとるぞ?
「遅れましたが、今年もよろしくお願いします。さて、またご足労いただいた件で、さっそく説明を。まずは現場へ案内します」
はい、よろしくお願いしますよ。
……雫嬢? 脇を軽くつねるのやめてくれないかね? それと、そろそろ腕離してほしいんだけど?
(…………私にもご褒美をくれたら考えてあげるわ)
背伸びして、耳元で囁く雫嬢に対して、軽くため息吐きながら頭をぽんぽんと軽く撫でてあげたら、腕は離してくれた。
……と思ったら、速攻で段差につまずいて転びそうになってたので、あわてて抱き止める。
「……ご、ごめんなさい……」
あぶないなあ。しかし、わざとではなさそうだな。
しょうがないか。ほら、ちゃんと掴まってなさいな。
「ご、ごめんなさい……。ん、ではなくて、ありがとう」
はいよ。転んだら危ないからもうそのままでいいよ。
差し出した片腕にぎゅっとしがみつく雫嬢の頭を、ぽんぽんと軽く撫でてあげたら、先を行く女性教師がまた咳払いをしていた。
「ゲホンゲホンッ! そこっ、不純異性交遊は認めるわけにはいきませんからねっ! (やるなら、私が見てないところでやってよ、もうっ! ああ、羨ましいっ!)」
だから、本音が聞こえてるってば。
運動苦手な生徒が、転んでケガするよりはいいでしょ?
で、やってきたのは体育館。
冬休みであっても部活中なのか、なんか音が聞こえてくるが……?
「中へどうぞ。……あなたは、どう思われますか?」
促されて体育館へ入ってみると、より鮮明に音が聞こえてくる。
だむ、だむ、だむ。
だむだむだむ、きゅっ、だむだむだむ。
だむだむ、ダンッ! ガコン、ダンッ。
バスケットボールの、ドリブルしている音が、鮮明に。
ドリブルして、ターンした靴音がして、ゴールにダンクシュートしたっぽい音が。
…………音だけが、鮮明に。
人もボールも、どこにもないのに、音だけが。
「あの、これ、どういう状況か分かります? 一部の生徒たちは面白がっているのですけど、保護者はとにかく不気味がって、騒ぎになりそうなんです」
音だけの妖怪なら、小豆洗いとかいたけど、アレはマダムの所有する山でのことだったからなぁ……。
しかし、この学校、都市伝説がよく発生するな。
なにか理由があるのかね?
「音が聞こえるだけの都市伝説で、バスケットボールとなれば、『ドリブラー』ってやつを聞いたことあります」
「まあ、そうなのですね。それで? そのトリプラーとかいうのは、どうすれば退治できるのです?」
知るかよ。……といいたいところだが、……うーん……。なんか、さっき音が聞こえていた辺りに、うっすらと人っぽいシルエットが見えてる気がするんだよなあ……。
「基本的に、都市伝説などというものは、人の不安につけこむことでしか、存在できないものです。今回のは、誰もいないはずなのに音が聞こえた、とか、レギュラーになれるか、とか、来年任される自分は先輩たちが築いた伝統を守れるか、とか。あとは、指導者側の不安とか、そういうのが噂になってカタチを得たものかと」
「それで? そのナンプラーとかいうのは、どうすれば退治できるのです?」
いやそこ、ツッコんでおきたいんだけどな。
ナンプラーって調味料だろ? 間違えるにしてもひどいだろそれ。
「噂の火消しと、関係者のメンタルケアでどうにかなるかと。どちらにせよ、私の専門分野ではないですね」
「それでは困るのですよ。原因の究明と早期の解決が望まれています。そのために、わざわざ、冬休みに! 休みの日にっ! …………どうせ独り者なんだし、家に一人でいても虚しいでしょって、独身の何がそんなに悪いって言うのよ……。普段は相方の愚痴ばかり言うくせに……。結婚願望がないとは言わないけど、誰でもいいなんて言ってないし……。条件つけたら理想が高いって文句言うし……。どうしろってのよ……」
あらら、こっちも病んでるな。もう隠しもしねえし。
雫嬢が引いてるぞ。少しは取り繕いなさいよ。
(孝緒さん、孝緒さん、私も10年くらいしたらこんな風になるのかしら?)
いや、雫嬢はこうはならんでしょ。
誰かいい人に幸せにしてもらいなさいな。
いい人がいなかったなら、その時は俺が……。
「そこっ、学校でいちゃつくの禁止ですっ!」
おっと、俺は今、なに考えてた?
まあ、それより、目の前のこと何とかするか。
許可をもらって、バスケットボールを一つ出してもらう。
まずは、ボールを床に落として跳ね上がったところをキャッチする。
だむ、だむ、だむ。
何年とやってないので、感覚を取り戻すように、軽く走りながらドリブルして、シュート。
「お見事」
上手いことゴールしたことで、雫嬢が嬉しそうに声をかけてくれる。
女性教師さんはぽかーんとしているが。
動きながら少しずつ勘を取り戻しつつ、ドリブルしてシュートして、敵選手がいることを想定した、急なターンから相手の股下を通すパス、を自分で取ってシュート。
だむだむだむ、きゅっ、だむ、だんっ! ぱす、だん。
センターラインに戻って、ドリブルからのノールックパス。
だむだむ、きゅっ、だん。
ドリブルして、守備をかわしてシュート……に見せかけて、こっちに向けて、中間に居る守備の股下を通すバウンドパス。
守備が機敏に反応する中、バウンドしたボールを、キャッチするわずかな時間が惜しいと判断して、ゴールへ向けて片手で跳ね上げてやる。
ゴールに向けて跳ぶボールを、マークをすり抜けたヤツがダンクシュート。
見事な連携に、っしゃっ! とガッツポーズして、ヤツと拳を軽くぶつけ合う。
…………ああ、こんな、プレイが、試合でできていたなら…………。
誰かのボヤキが聞こえて、それっきり、ボールの跳ねる音は聞こえなくなった。
「孝緒さん、孝緒さん、見事なプレーだったわ。でも、誰と連携していたの?」
雫嬢が、両手を胸元でぎゅっと握りながら、興奮を隠せない様子で、同時に、戸惑いながら問いかけてくる。
雰囲気は大人びた様子の少女の、年相応な様子を見て思わずほっこり。
そして、頬を伝う汗を手で拭った。
「……あ、汗。はい、これでいいわ。スポーツドリンク飲む?」
かと思えば、早足で寄ってきた雫嬢が、ハンカチで汗を拭ってくれて、バッグからスポーツドリンクのペットボトル(未開封)を寄越してくれる。
それは遠慮なくいただいて、一息つく。
「……ふぅ、雫嬢、ありがとう。用意がいいね。助かるよ」
「どういたしまして。何度も助けてもらっているし、できる範囲のことくらいは、してあげたいじゃない?」
そんなこと言って、嬉しそうにはにかむものだから、さ? つい、
「ゴホンゴホンッ! いちゃつくのはよそでやりなさいっ! アラサーで彼氏イナイ歴イコール年齢の私に対する当て付けですかっ!? 嫌がらせですかっ!?」
おっと、ちょっと良い雰囲気だったから、危なかったな。
ここは女性教師さんに感謝しとこう。
「……もう、私たちを見るのが嫌ならよそにいけばいいのに」
呼び出した本人が相手を放ってよそに行くのはまずいだろうさ。
「ところで先生、例の音、まだ聞こえます?」
「………………聞こえなくなりましたね。結局、なんだったんでしょう?」
さあ? 卒業生の無念が残ってて、たまたま今出てきただけなんじゃない? 分からんけどさ。
「明日以降も音が聞こえてこないようなら、解決じゃないですかね?」
「分かりました。今回もありがとうございます。なにかあれば、また。
……ところで、これからお時間ありますか? 夜景がきれいな雰囲気の良いお店知ってますので、一緒にお食事でもどうですか? その後は」
「痛い痛い痛い。雫嬢なにするの痛いんだけど?」
女性教師さんがなにか言ってるが、雫嬢に耳を引っ張られてそれどころじゃない。
雫嬢どうしたよ? なんか怒る要素あった?
ぷくーと可愛らしく頬を膨らませる雫嬢をなだめながら、彼女の自宅まで送り届けた。
……その後、呪いの文章かと思える凄まじい長文がメールで送られてきて、女性教師さんを放置して帰宅したことに気づいたのだった。
あわれ。
・俺 : 主人公。男性。名前は『孝緒』
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
スポーツは得意な方。今はやらなくなったけど。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
スポーツは知らない方。相手の背後に回り込むのは得意。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
スポーツは苦手な方。観戦している方が楽しい。
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
スポーツは苦手。バランス感覚もよくなくて、よく転ぶ。そして、周囲がうろたえる。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
スポーツは得意でも苦手でもない。
というか、体育の時間は雫のサポートで精一杯だったり。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い元誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:誘導員は退職、工場の事務に専念。
スポーツは割とパワー型。授業の時ソフトボールでホームランしたことがある。
その後、男子野球部からの勧誘がひどくて、男性不信気味になった。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
雰囲気に流されて、やらかしたと反省しきり。
バランス感覚が優れていて、スケボーとか乗り物系のスポーツなら、オリンピック目指せるかも?
・謎の幼女 : 御神木の桜の木の中から引っ張り出した、姉と認識する幼女。
……備考:霊だったはずなのに、実体がある。
口数も少ないが、別にしゃべられないわけでもなさそう。
姉として、弟のことは気がかり。
スポーツよりも、膝の上でだっこされてる方が好き。
・西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしている。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
ちょっと本気で動いてみている。
その結果に、責任を取るとは言ってない。
・ドリブラー : 都市伝説の一種。音だけの怪異。
・備考 : 誰もいないはずの体育館に、バスケットボールでドリブルする音が聞こえてくるという。
その正体は、気のせいか聞き間違いか、幻聴かいたずらか。はたまた、誰かの気を引くための嘘か。
体育館には誰もいないのだから、音など出るはずもない。そのため、聞いたと証言する者の嘘か幻聴ではないかと思われる。
ただ、都市伝説が発生・流行する際は、社会に不安が蔓延している場合が多いという。
そのため、音を聞いた者を頭ごなしに否定するのではなく、よくコミュニケーションを取り、メンタルケアを試みる方がよいのではないかと筆者は思う。
仮に幻聴だったとしたなら、何らかの病気が疑われるのではないかと。




