第六十話:夜桜
はて、ここはどこだろう?
紙パックの日本酒と、ツマミの入ったビニール袋を両手で持って途方に暮れる。
いつもの帰り道、近所のスーパーで普段買わない酒やらツマミやらを買ったところまでは覚えてるんだが……。
『よお、こっちへ来なんせ。一緒に花見をせんか?』
ぢりっ! と焼けつくような恐怖を感じる。
声の方向へ視線を向ければ、見上げるほど大きな桜の木と、その根本に寝転ぶ黒い靄のようなナニか。
一応ヒトガタを保っているみたいだが、ちょっともうヒトとは違うナニかになってるみたいだな。
……で、そのナニかに、たまたま呼ばれた感じか。
…………うーん、春だからってことで、いいのかな?
一応、返事したらヤベーやつかもしれんので、警戒しつつも無言で近づく。
「まずは一献」
紙コップに日本酒を注いで黒いのに渡す。
これが、紙パックじゃなくてビン入りの酒だったら、様になったのかもしれんがね。
『こいつはご丁寧に…………ぷはーっ、美味いねぇ』
黒いのは空になった紙コップを差し出し、
『ご返杯』
紙コップじゃなくて、朱塗りの杯ならそれこそ様になったと思うんだがね。
「ありがたいことですが、今のご時世、そういうのはやらんのですよ」
『……ほう?』
座った状態の黒いのの存在感というか威圧感というか、そんなのが増大する。
鳥肌が立って震えがきそうだが、俺はもっと凄まじい恐怖を知っているから、うろたえることはないな。
「今どきは、こうやって、こうやるのです」
ビニール袋から紙コップを取り出し、俺のと黒いの両方に酒を注いで、紙コップをそっとくっつける。
「乾杯」
チビりと一舐め。久しぶりの日本酒は、あんまり美味いとは思えなかった。
『ふむ、こうするのが今どきか。乾杯』
黒いのは、一気にあおる。
……水みたいにやるんじゃねえよ。
「乾きものですが、肴にどうぞ」
柿ピー、チータラ、ビーフジャーキー、魚肉ソーセージ、ナッツ類、サラミ、ドライフルーツ、サキイカ、各種おつまみを広げ、ちょっと値の張る刺身の盛り合わせのふたを開けて、割りばしとわさび醤油を注いだ小皿を黒いのに渡す。
「これも一緒にどうぞ。刺身で呑んだことあります?」
『いや、ない。……ありがたくいただこう』
黒いのはマグロのいいところを割りばしでつまんで、わさび醤油をちょんとつけて口っぽいところに運んで……。
うわぉ、食うときだけはちゃんと口が開くんかい。
しかもちゃんと噛んで味わってるよ。
『もぐ……もぐ……。ごくっ。……んぐ……んぐ……ふはぁ……』
久しぶりのごちそうを味わうかのように、ゆっくりと噛んでから飲み込み、酒を流し込むように呑む。
……この黒いの、生前は呑兵衛なおっさんだったんだろうな。
『ああ……いい……。こいつはいいな……。久方振りの夜桜に、いい酒に、美味いツマミ。浮世の贅をいっぺんに味わっているみてぇだ……』
その後も、黒いのはあれやこれやと食べ比べして、一升飲み干して二升めはチビりチビりと時間をかけてやっていた。
『……ありがとう。またしばらく眠ることにする。今度は杯を受け取ってくれよ?』
黒いのが呑むのをやめ桜を見上げたと思ったら、辺りには何もなくなっていた。
見上げるほど大きな桜の木も、ヒトガタの靄のような黒いのも、空になった日本酒のパックも、黒いのがせっせと食べた刺身やツマミも。
……で、ここ、どこだ?
まったくもって覚えのない草原。
だいぶ遠く、しかも低いほうに、夜の街の明かりが見える。
そっちが俺の住む街かどうか分からないので、とりあえずスマホを取り出してみる。
ネットで現在地を検索っと。
……あれ? おかしいな。隣の県って表示されるんだけど……。
(。-ω-).。o○
おっと、スマホに着信……って、なんだこりゃ?
『もひもひ、わらひ、めりーひゃん』
はいはい、メリーさんどうしたよ? ずいぶん眠そうだな。
『そろそろ姉貴ちゃんがおねむなの。さっさと帰ってくるの』
それがさあ、なんかずいぶん遠くに連れてこられたみたいなんだよ。
『車のお姉さんにでも連絡しろなの。……また電話するにょ……ふあぁ……』
がちゃ、つー、つー、つー。
いやメリーさんさあ、もう少し優しくしてくれてもいいのよ? 俺今途方に暮れてるんだけど……。
……まあ、しゃあないか。
トークアプリで朧にヘルプする。
今どこですか!? って返事が秒で帰ってきたのには、なんか笑ってしまった。
なんとなく見上げた空は、星の一つも見えない曇り空。
……足元にある、鉢植えの苗木に気がつかないふりするのは、ずいぶん苦労した。
・俺 : 主人公。男性。名前は『孝緒』
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
鉢植えの苗木は、マダムへのお土産ってことにした。
枯らしたら呪われそうだし育ったらおっさんが出てきそうだしでビクビクしている。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
子どもは寝る時間なの。姉貴ちゃんも眠そうなの。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
送られてきた夜桜の写真を見て、そういえば今年はお花見とかしなかったと思い、来年はお花見したいですねと返事した。
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
桜は自宅の敷地内にあるので、家族で花見はした。
普段よりは話が弾んだと思う。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
学校にある桜の木の下に呼び出されて告白されたけど、速攻断った。
だって普段から嫌がらせしてくる男子だし。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い元誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:誘導員は退職、工場の事務に専念。
この時期は、職人さんたちが花見をしたがって少し困る。
花見にかこつけた飲み会になるから。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
久しぶりのお呼び出しと思ったら、緊急事態だったっぽい。
ちょっと半泣きになりながら急行して見つけたときはしがみついてしまった……。
・謎の幼女 : 御神木の桜の木の中から引っ張り出した、姉と認識する幼女。
……備考:霊だったはずなのに、実体がある。
口数も少ないが、別にしゃべられないわけでもなさそう。
姉として、弟のことは気がかり。
待つのには慣れてる。……なれ、てる……すやぁ……。
・西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしている。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
鉢植えの苗木をプレゼントされたものの、それの本質を見たことで思わず真顔になった。
・黄泉戸喫 (ヨモツヘグイ) : 黄泉の国の食べ物。また、竈の字が当てられる場合は、黄泉の国の火を使い調理された料理。
・備考 : 黄泉の国の食べ物を食べると、黄泉の国に属さなければならないという決まりがあるという。
知らずに向こう側に迷い込んでしまった時、知らずに向こう側の食べ物を口にしてしまうと、二度と戻ってこれなくなってしまう。
ギリシャ神話にも似た記述があり、死者が戻ってこれない理由の一つとして語られているようにも思える。




