第:五十六話:傘
しとしとと、涙のような雨が降る。
本日は、取引先の関係者が旅立ち、火葬が行われている。
そこになぜか、ただの営業でしかない俺が参列することに。
こういうの、係長の仕事じゃないのかなぁと思いつつも、先方からは「どうしても俺を参列させてくれ」と頼み込まれたらしい。
毎日回る営業先に、今日は行けないと詫びの電話をしまくりつつ、姉貴をマダムのところに預けて、会社にも連絡いれて、ちょっと忙しい。
火葬場は、山を越えた先の町外れにある駐車場完備の広い土地。
そこでも葬式ができるくらいには広い建物なのだが、社葬となるともっと広い空間が必要とか。
……取引先の「関係者」であって、「社員」や「退職者」ではないんだよなぁ……。
まあ、それも仕事と割りきりますか。
きれいに舗装された山道……朧と一緒にライダーと競った峠道を思い出す……を越えれば、火葬場にたどり着く。
その先のトンネルを抜ければ隣の町だが、今は関係ないか。
朝礼で同僚が各自の持ち回りを確認していたのを思い出しつつ、喪主や他の参列者に挨拶と雑談。
同僚が世話になっている人には頭を下げ、初顔の人には名刺を渡していく。
時間と共に火葬が始まり、身内の方々が別れを惜しんでいく。
その後は、時間が来るまで参列者全員声を潜めるように静かに話をしていた。
火葬が終わり、あとは係長に電話すれば直帰しても良い予定。
空は未だに雨模様。
亡くなった方か、あるいは遺族の方か。
まだ逝きたくないと、逝ってほしくないと、泣いているのだろうか。
……ちり
どこかから、肌がひりつく感覚。
周囲を見渡せば、隣町に繋がるトンネルの方で、傘を差し静かに佇む人がいた。
……あれが理由か……。
先方からどうしてもと言われた理由が、いたようだ。
しとしとと、涙のような冷たい雨が降る中、傘も差さずにその人のところへ近づく。
「こんにちは」
江戸時代の唐傘のような古めかしくも雅な傘を差す白い和服姿の女性は、優雅に頭を下げ、『こんにちは』と返してきた。
「あいにくの天気ですね」
『いいえ、雨は好きなのですよ』
染み渡るような静かな声は、今なお降り続く雨のようで。
『あなた、濡れておられますよ?』
案じるような言葉は、女性の薄い表情からも感じられて。
『風邪をひいてしまいます。こちらへどうぞ』
傘を差しているのに、濡れているような瞳や唇は、吸い寄せられそうで。
『送ってさしあげましょう。こちらへどうぞ』
……しかし、俺は焼け付くような恐怖を感じている。
『せめて、この傘をお貸ししましょう。あまり濡れては、身体に障ります』
……しかし、俺の身を案じる気持ちも同時に伝わってくるようで。
「いえ、大丈夫です。……それより」
『左様ですか……。はい?』
拒絶を示せば、女性はわずかな落胆の表情。
「それより、あなたのお住まいはどちらに? 私があなたを送りましょう」
『あら……。あら……』
隣町に繋がるはずのトンネルは、距離が短いなりに電灯も点いているはずなのに、その先は昼にもかかわらず見通すことができない闇が渦巻いていた。
そちらに目を向けないようにしつつも、境目で迷い惑う女性に、手を差しのべる。
『あら……。困りましたわ……。わたくしの家、ここからでは分からないの』
「なら、どうぞこちらへ。分からないなら探しましょう。あなたが還れるところを」
氷のように冷たい女性の手を取ると、傘を差し出してくれた。
……俺の体も、急速に冷えていくように感じるのは、たぶん気のせい。
冷たい雨にさらされてしまったから。それでいい。
『わたくし、ここに居ないといけないのよ?』
そっと手をひいて歩けば、女性も着いてきてくれる。
なら、平気だろう。
「もう、そこに居る必要はありませんよ。逝きましょう。あなたの逝くべきところへ」
『あら……。あら……』
涙に濡れた小さな声が聞こえるが、振り向かない。振り向いたら、向こう側に連れていかれる。
『わたくし、そちらに逝っても良いのかしら?』
「それを決めるのは、私ではないので」
確かな歓喜に震える声で泣く女性に、できるだけ優しく声をかける。
怖い。
トンネルの先の向こう側から、恐ろしいなにかを感じる。
しかし、そっちに引きずられてやるわけにはいかないな。
俺には帰る場所も待っている人もいるから。
突然、どん、と前に突き飛ばされる。
傘を差す女性がそうしたのだと思うのに、少し時間がかかった。
『ごめんなさい…………。 』
気がついた時には、焼け付くような恐怖も、涙のように降り続く雨も、恐ろしい向こう側の気配も、なにも感じなくなった。
立ち上がり、日が差し始めた空を見上げる。
目から、雫がこぼれ落ちた。
……せめて、彼女が、ちゃんとしたところに逝けたのだと、祈るほかなかった。
・俺 : 主人公。男性。名前は『孝緒』
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
後に、そこで何も起きなくなったと聞いて安堵した。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
何度も電話をかけようとしたけれど、なぜか電話してはいけない気がしたの……。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
急に不安になって、けれど仕事は投げ出せずに落ち着かなかった。
休憩時間に電話が繋がって、声を聞けたとき泣きそうになりました……。
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
雨は嫌いよ。死人のような以前のことを思い出すもの。
……でも、あの人と会えたときも雨だったのよね……。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
一時、赤い糸が消えた気がして大いに焦った。
電話して声を聞くまで、気が気じゃなかった。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い元誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:誘導員は退職、工場の事務に専念。
なんとなく、電話をかける。
その電話で、聞きたい声が聞こえるのが嬉しいと再認識した。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
後に、傘の女性の話を聞き、送り届けるなら呼んで欲しかったと告げた。
でも、無事だったことで泣いてしまった。
・謎の幼女 : 御神木の桜の木の中から引っ張り出した、姉と認識する幼女。
……備考:霊だったはずなのに、実体がある。
口数も少ないが、別にしゃべられないわけでもなさそう。
姉として、弟のことは気がかり。
『繋がり』が途切れそうになって大いに焦った。
でも、ちゃんと帰ってきたから許す。
……泣いてないもん。
・西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしている。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
参列は、マダムも頼み込んだ。きっと気付くと信じて。
今回、一つ大きな借りを作ってしまった。
ちゃんと返さないといけないわね。
・傘の女 : 傘を持ち火葬場のそばに佇む和服姿の女性。
・備考 : 深夜、火葬場のそばにあるトンネルで、白い和服姿で長い黒髪の女性が傘を差している。
その女性は『送っていきましょうか?』と声をかけてきて、それに応じて傘に入りトンネルを抜けると、消息を絶つという。
トンネルを抜けた先は、天国か冥土か。
迷う者を導くというよりは、魅入られた者を連れ去る怪異。
知らない人に着いて行ってはいけません。
女性がおいでおいでしたからといって、鼻の下伸ばしてはいけません。
※このネタ《傘の女》は、keikatoさんから提供してもらいました。




