第五十二話:峠
『もしもし、私、メリーさん』
「どうしました? マダム? 用があれば仕事用の携帯の方にメールしてもらえると助かるのですが」
『もう、つれない人ですね。おちゃめさんもたまにはよいではないですか。ぷんぷん』
「……用がないなら、きりますね。俺も暇ではないので」
『用はありますっ。お仕事を一つ頼みたいのですよ。報酬は……そうねえ、膝枕して頭なでなではどうでしょう?』
「旦那さんにぶっ殺されるので勘弁してください。……用件をうかがいましょう」
『ふふふっ♪ では、よーく聞いてくださいね♪』
季節は秋へと移ろい、山の緑も徐々に色付き始めた今日この頃、俺はマダムの依頼で人と会う約束をしていた。
「こんにちは。ごめんなさい。お待たせしてしまったようですね」
「いや、まだ時間は早いから大丈夫だ」
予定の15分前に到着したのは、サイドカー付きのバイクに乗ってきた朧だった。
……今日は車じゃないんだな。いや、俺がバイクでって頼んだんだけど。
「そう言ってもらえると助かります。……はーい、タッチ♪」
無理を言って来てもらったのはこちらなので、謝らなくてもいいのだが……。
そんな、結構な気を遣っている朧は、姉貴と楽しそうにハイタッチしていた。
姉貴もノリノリでハイタッチ。楽しいのだろうか?
「じゃあ、いきましょうか」
「ああ、よろしく頼む。……こーら、姉貴は俺といっしょにこっちのサイドカーだってば」
秋の陽はつるべ落とし。というくらいには、陽が傾くのが早いし、気温も下がるのが早い。
今日は、車ではなくバイクでの移動なので、俺も姉貴もしっかりと厚着をしている。
それに対して、朧はライダースーツとかいうのを着てるだけだという。
それで寒くないのかと問えば、大丈夫と返事があった。
ツナギや作業服を着ているようなものと思えばいいのだろうか?
……それにしても、ライダースーツって体のラインがはっきりと分かって、なんというか、その、な。
……あー、姉貴。ぐりぐりするなら肩にしてくれない?
姉貴と共にサイドカーに乗り、夕暮れ時の峠を朧の運転で登っていく。
峠の頂上には結構な広場があり、自動販売機や公衆トイレも設置されていた。
既に結構な時間運転している朧を労い、自動販売機で飲み物を買って朧に渡す。
妙に嬉しそうな朧を尻目に、姉貴に何を飲むか聞いてみると……?
「……なあ、姉貴? ほんとにこれでいいのか?」
こくこくと首を縦に振る姉貴に負けて、仕方なくソイツのボタンをポチっとな。
取り出し口に顔を見せたのは、青汁 (ホット)。
自分でプルタブを開けて、熱々の青汁をぐびり。
そして、無言で俺に差し出してくる。
……一口で十分なようだ。
……そりゃあね。青汁だよ? しかもホット。子供の舌には美味しいとは感じないだろうさ。
「……うーん……。あんまりうまくはないなあ……。ホットだからか?」
初めて飲む青汁は、微妙だった。
「あ、私も飲んでみていいですか?」
なんと物好きな。
ほいっとなんの気なしに朧に渡すと、くぴくぴと飲み干してしまった。
……えー、美味しいの?
「まあまあです。ホットなので少しあったまりました……えへへ」
そういって、ちょっといたずらっぽく笑いちょこっと舌を出してみる仕草に、少しだけドキッとした気がしたが、まあ、気のせいだろうと思うことにする。
「さて、そろそろです。トイレは大丈夫ですか?」
俺は大丈夫だが……。あ、姉貴が大丈夫じゃないってさ。しばしお待ちを。
「はい、ヘルメットは被りましたね? ここからはノンストップでいきますから、放り出されないでくださいね?」
「任せた」
キック一発でバイクのエンジンをかけ、しばし待つ。
俺たち以外には誰もいない山の頂上の広場に、ドルンドルンとエンジン音が響いて少しの時間が経つ。すると、後ろの方から突然バイクのエンジン音が発生する。
それと同時に、ジリリと焼けつくような感覚。姉貴の黒髪も、一瞬だけブワッと広がった。
間違いようもなく、怪異のお出ましだ。それも、かなり強力な。
「孝緒さん、カウントダウンお願いします」
「分かった。3カウントで。……そっちのあんたもいいか?」
誰もいなかったはずの後ろの方から来た黒いバイクの運転手は、うなずいたように見えた。
……首から上が無いにも関わらず。
「じゃあ、3カウント。レディ、3、2、1、スタート!」
スタートの声に合わせて、二台のバイクが駆け出す。
辺りが夕闇に染まり出す頃、峠の下り道を、全速で。
ここは、地元にはちょっと知れた走り屋の集まる峠道。
頂上から麓まで、下りのみの一本道は、急なカーブが何ヵ所もある難度の高い道路な上に人もほとんど来ないため、走り屋からは人気のスポットでもあった。
しかし、夕暮れ時にこの黒いバイクとライダーが現れてからは、確実に事故が起きるようになり、走り屋は走る場所を失った状態だという。
マダムは、そんな走り屋たちの嘆きを聞いたわけではなく、ただ、黒いバイクのライダーの彼……男性らしい……が満足するように一緒に走ってほしいと頼まれたのだった。
ギリギリまでスピードを緩めず並走し、カーブの前後わずかな時間だけ減速、そしてまた加速。
ブレーキのタイミングやハンドル操作をわずかにでもミスれば、即山側の壁面か、崖側のガードレールに衝突するだろう。
こちらはサイドカーに二人分の体重が乗っかっていることで、車体が浮いたりしないが、黒いバイクの方は、転倒寸前までバイクを倒して急なカーブに対応していた。
すぐ脇で見ている俺にとっては、鳥肌が立つくらいの超絶な技巧。
それに食いついて並走する朧もまた凄まじい技量に思えた。
一時、呼吸も忘れるほどのドライビングテクニックに見入り、魅入られ、それでも朧の足は引っ張るまいと、体を沈めて空気抵抗を少しでもなくすようにする。
二人分の余計な重りがある分、こちらの方がたぶん不利。
けれど、向こうは常にカーブの外側にいるように思えた。
……これは、朧が常にカーブの内側をとっているってことかな? その分、ほんの少しだけ距離を短く走っているとか?
頑張れ、朧。
なにもできないが、せめて、気持ちよ伝われと念じる。
やがて、一番の難所と思えるほとんどV字の急カーブに差し掛かる。
朧と俺たちは崖側。いったいどんな魔法か、急に横を向くバイク。ドリフトってやつか?
慣性の向くままに、スピードをあまり落とさず横向きでカーブに進入し、加速しながらカーブを曲がりきった。
それに対して、黒いバイクは山側。
カーブが少し膨れたと思ったら、ほとんど横滑りするような姿勢で山側の壁面に突っ込んでいった。
ぶつかるっ!? 少なくとも俺は本気でそう思ったが……。呆れたというかなんというか、ぶつかったように見えた黒いバイクは、少しの間山側の壁面を走り、三角飛びでもしたような感じで何事もなく路面に戻っていた。
なんつーヤツだ。……いやこれは、バイクの性能もあるのか? 詳しくはないから分からんが。
「負けませんよおーっ!」
珍しく、朧が吠える。
黒いバイクの方も、応えるようにエンジンが唸りをあげ、さらに加速していく。
2台のバイクの並走も、麓の交差点で赤信号で停車したことで終わった。
黒いバイクは、左手でサムズアップしたあと赤信号にも関わらず加速して、止める暇もなく煙のように消えてしまった。
「あ……。いっちゃいましたね」
「だな。……これで、終わりなのか?」
「たぶん、としか……」
向こうが消えてしまったのでなんともいえないが、なんとなく、彼 (おそらく)は満足そうには見えた。
「帰りませんか?」
「そうだな。……帰りは安全運転でよろしく」
「はい。任せてください」
青信号を確認してから、ゆるりと加速していく。
彼? は、ちゃんと満足して消えていったのだろうか?
ふと、空を見上げると、薄く明るい曇り空に、月光の輪が浮かんでいた。
・俺 : 主人公。男性。名前は『孝緒』
……備考 : 職業・総合商社の営業。優良物件。
サイドカーから降りた時、安全運転の大切さを感じた。
速度や技量に魅入られ、危険を危険と思えない状態だったように思える……。
・メリーさん : 金髪碧眼の、少女の姿の……怪異?
……備考 : もうすっかりマダムの家の子。
乗り物にはあまり興味がないの。
むしろ、背中にわたしを乗せてくれる先輩もいるので、そっちの方が楽しいの。
・桜井 美咲 : 同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
車の免許は持っていても、ペーパードライバー。
運転する必要は……子供が出来てから、とか?
・源本 雫 : 主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
車の免許必要かしら? と呟いたら、運転手から、私の仕事をとらないでくださいね? とやんわりと止められた。
・木ノ下 双葉 : 無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長(やや天然)。母は専業主婦(天然)。
免許、あって損はないと思うけど……。
事故りそうな不安しかない。
・碓氷 幸恵 : 幸薄い誘導員。実家は歴史ある町工場。
……備考:誘導員は退職、工場の事務に専念。
誘導員していた頃は車がないと仕事にならなかった。
今は、運転の頻度も減った。
・朧 輪子 : 明るい笑顔を絶やさないタクシードライバーの女性。
……備考:先祖に人化した妖怪を持つ、先祖返り。
陸の乗り物に関しては、負けるわけにはいきませんよぉーっ!
・謎の幼女 : 御神木の桜の木の中から引っ張り出した、姉と認識する幼女。
……備考:霊だったはずなのに、実体がある。
口数も少ないが、別にしゃべられないわけでもなさそう。
姉として、弟のことは気がかり。
バイクは、もう乗らなくてもいいかな……。
・西のマダム : 高級住宅街に住む、セレブな女性。既婚者。
……備考:メリーさんを迎え入れ、たくさんの犬と旦那と一緒に過ごしている。
犬はたまに増える。犬じゃないのもたまに増える。
バイクの運転手のことは、何か知っていた模様。
・首なしライダー : バイクと首から上のない運転手セットで出現する怪異。
・備考 : 暴走族がたくさんいた時代、敵対関係にある暴走族チームによりピアノ線が道路に張られ、あるライダーがそれに気づかずにバイクで通過、首をはねられたという事故……いや、事件が発生した。
その後、夕暮れ時以降の暗い時間帯に、首のないライダーが運転するバイクが出現するようになる。
そのバイクは、ただ並走するだけでなにもせず、少しすると煙のように消えたという。
ただし、道路にピアノ線を張った暴走族チームはよく首なしライダーと遭遇し、事故が多発したという。
その後、この首なしライダーを見たものは、誰であっても何らかの不幸が訪れたという。
これは、実際に起きたとされる事件から生まれたフィクションやこじつけと思われるが、夕暮れ時の暗く視界が悪くなる時間帯以降は、事故が起きやすいため警戒が必要とも受け取れる。
みなさん、安全運転を。
自分だけでなく、大切な人のことを思えばこそ。