第三十二話:月
見上げた先には、真ん丸の月。
時刻はすっかり夜になってしまった。
というのも、隣町の変態ハゲイボカエルがやらかしていた色々が、次々と発覚。
その余波はうちの会社にも及び、わざわざこっちから出向かなければならない事態に。
……いや、普通は、向こうから挨拶回りに伺って、頭下げるのが筋だと思うのだがな?
しかしながら、一部の経営陣の不正発覚、それによる解雇と損害賠償の嵐、会社の体制を一新したり、見切りを付けた社員の辞職と、もう、会社自体がガタガタになったらしい。
向こうの新しい担当も、忙しすぎて泣き言を言ってくるものだから、俺が仕方なく出向いてやったというわけだが……。
うーん、蜂の巣をつついたような慌ただしさで、茶の一杯も出さずにソファに放置。他の会社の営業もソファで待っていたが、退社時間だとか、待ちすぎて怒ったりだとかで、次々と帰っていったわけだ。
で、俺は最後まで残っていたが……。
「申し訳ないです。残業などはやめろと警告されておりまして、また後日、日を改めて……」
……残業? 今、何時だと思ってるのかな?
担当とその上司が、申し訳ない、申し訳ないと何度も頭を下げるが、俺としては、会社に報告は義務なので。という他ないぞ?
……おのれイボカエル。責任とってから姿くらませよ。
電話報告すれば、すっかり出来る上司に変貌した係長は、
「退勤処理はこちらでやっておく。直帰したまえ」
と、頼もしい返事が返ってきた。
「私も早く帰って、関口さんに会いたいからね!」
それは言わんでもいいよ。ごちそうさまです。
あ、関口さんとは、係長とお付き合いしてるという、マスク外さない女性のことだそうだ。
干支は卯というその女性に、係長が木彫りのウサギをプレゼントしたとか。
スマホのカメラで撮った写真を見るに、毛の質感まで再現した、それはそれは見事なウサギだった。
係長さあ、いっそ木像彫刻家に転職したら?
以前の金剛力士立像といい、今回のウサギといい、才能……というか、適正があるんじゃない?
※※※
電車で戻って安アパートまでの帰り道のことだった。
……ゾワッ!!
満月に照らされた明るい夜道を歩いていれば、突如、強制的に体がこわばり、思わず足を止めてしまうほどの恐怖を感じる。
それと同時に、ずっと後ろからカポカポと馬の蹄の音が聞こえてくる。
しかし、最初の恐怖はどこへやら。危険なものは何も感じない。
どういうことだ? と思い、深呼吸しながら辺りの様子を伺えば、なんとなく、理由が分かった。
馬の蹄の音の主が、とても大きな存在感を発しているようだった。
アフリカ象が群れで歩いてきたら、こんな感じだろうか?
道を譲らないと、存在感の小さな俺は、認識されずに踏み潰されてしまいそうな雰囲気だ。
ちょうどいいところに自販機があったので、蹄の音の主が通りすぎるまで一服といこう。
冷たいお茶を飲んで一息つけば、蹄の音も通り過ぎるところだった。
……の、だが……。
『もし?』
少し高い位置から聞こえてきたのは、穏やかな女性の声。
とりあえず、知らぬ振りをしようか?
『もし、そこのお方?』
ブルルル、と、馬の吐く息まで聞こえてきた。
『もし? そこの殿方、聞こえますか?』
お前だよお前、とばかりに、馬の気配が近づいて、むふー、と鼻息まで感じた。
……ああ、振り返りたくねぇ……。
「……っ!? ……どうしました?」
振り返り、最初に見た光景に声を上げそうになったが、なんとかこらえた。……はずだ。
いやその、この馬、首から上が無い……というか、首から上が透明になっていたからだ。
むふー、と鼻息。扇風機かよ? といいたいくらいの風圧。
『ここは、何処なのでしょう? わたくし、道に迷うてしまったようです』
……いや、何処って……。
こら、馬、顔をすり寄せてくるな。
痒いのかよ? 掻いてやるか? その透明な顔に俺が触れるならな!
……いや、なんか触れるし。適当にコリコリやってると、ここを掻け、とばかりに頭動かしてくるし。
……こら、馬、透明な頭を押し付けてくるな。体格も馬力も人間とは違いすぎるから、思いっきり押されるぞ?
よしよしと言いながら馬を掻いて撫でてやってると、馬の背に横座りする女性が、コロコロと鈴を鳴らすように笑った。
豪華でありながら落ち着いた印象の着物……十二単とでもいうのだろうか? ……の袖で口許を隠す様子は、なんともお上品で、生まれも育ちも上流階級なことが伺えた。
……うーん、マダムの縁者だろうか?
『うふふ、この子がこれほど気を許すなんて……。あなた様のこと、気に入ったようでございます』
首から上が透明な馬に好かれても、あんま嬉しくないけどね。
『わたくし、お城に行きたいのですが……。なにぶん、景色が様変わりしており、途方に暮れていましたの』
そりゃ大変だ。で? そのお城、なんて名前?
自販機で、ミックスジュースと緑茶と天然水を買う。
「果汁と茶と水、どれを飲んでみますか?」
果汁?これが?と、首をかしげるお姫様。
ペットボトルのキャップを開けてやれば、一口飲んで目を見開いて、一口ずつ、ゆっくりと味わいながら飲んでいた。
こくり、こくりと、お姫様の、喉が動く様子を見ていると、なんだか……。
……おい、馬、口開けろ。お前には富士山の天然水をくれてやろう。
なに? 足りない? もう一杯? えーい、荒ぶるな! 背中の姫さんがビックリするだろうが!
馬の要求通り、富士山の天然水(二本目)を馬の口に注ぐ。それで満足したのか、目を細めて頭を擦り付けてくる。
えーい、馬、やめんか!
そんな、馬と戯れる俺の様子を、姫さんは楽しそうに笑いながら眺めていた。
※※※
さて、この街には、城というものは残っていない。城跡という名の公園が、丘の上にあるだけだ。
満月の明かりに照らされた道を、俺の歩く速度に合わせて優雅に進む馬。
その背の姫さんは、周囲の様子を興味深そうに見ていたが、建物が減ってくれば、やがてそれも飽きたようだ。
俺たち以外は誰も人がいないし、そもそも人通りの少ない道を選んで歩いているしな。
その方が近道だし、ずっとアスファルト舗装を歩かせるよりはいいかなと思ったし。
東の旧市街地……という名の田んぼや畑地帯……を抜けて、南東地域の丘の上。
舗装もされていない砂利道の坂を上っていけば、城跡兼、自然公園のそこは、ただの平らな広場。
ここが目的地だと、いう他無い。
『……ああ……。皆と過ごした城すら、もはや、影も形もないといいますか……』
首が透けてる馬から降りて、しばし、呆然と佇む姫さん。
月の光に照らされて、静かに涙を流すその姿は、神々しさすら感じるほどの美しさだった。
『………………今宵は、月が綺麗ですね』
不意に、姫さんが何かを言う。
首が透けてる馬が芝生の草を食んでいる様子に気を取られていて、何を言ったかは分からなかったが、とりあえず頷いておく。
姫さんを無視するのも不味いかと、同じように月を見上げてみる。
スーパームーンというやつだろうか? 普段より大きく見える満月の、海と呼ばれる黒い部分やクレーターの一つ一つまではっきり見える気がした。……気がしただけだけどな。
『里帰りは、これまで。わたくしは、お暇することに致します。案内、ご苦労様でした』
馬が顔を上げて、姫さんのところへ寄り、背に乗せて、嘶く。
近所迷惑、などとは言わんさ。誰もいないしな。
『月を見上げれば、わたくしはそこにおります。あなた様、月を見るたび、思い出してくださいましね?』
「あ、はい」
その、美しくも儚げな笑顔に、つい、頷いてしまった。
『それでは。……はいやーーっ!!』
姫さんが満足そうに頷く。
行きと違って、帰りは馬にしっかりと跨がり、別人のように勇ましい掛け声を上げれば、首が透けてる馬は、その背に月の姫を乗せたまま空を駆け、天に座す満ちた月へと登っていった。
あとには、俺一人が残される。
懐っこい馬も、姫さんもいない。
俺、狐に化かされたんじゃろか?
頬をつねる。痛い。夢じゃないか。
……さて、現実逃避はやめて、家に帰るか。
ため息ひとつ、ついたところで、スマホに着信。
( ´_ゝ`)ゞ
……あれ? 顔が変だぞ? どうしたメリーさん?
『もひもひ、わらひ、……めりーさん……ふぁ……あふっ』
あくびした? 眠そうだな、メリーさん?
『……こどもは、もう寝る時間なの……ふぁ……』
……げ、もうこんな時間かよ……。明日の仕事、大丈夫かな……?
『お休みなしゃいなの……ふぁ……また、電話するにょ……』
かちゃ、つー、つー、つー。
うん、お休み、メリーさん。
……さて、俺は、どうするかな……?
なんとなく、傾いてきた月を見上げれば。
姫がたおやかに微笑んでいる気がした。
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
タクシー呼んだら、例の女性ドライバーが速攻で来た。
……尾行してたの?
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
月が綺麗な夜だけど、子供は寝る時間なの。ちゃんと寝ないと、ママさんに怒られるの。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
月が綺麗な夜ですね……。
あの人も、同じ月を見上げているのでしょうか?
・源本 雫:主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
いずれ、主人公を養う側に回るために、会社経営などを猛勉強中。
ふと、窓の外を見上げれば、月が綺麗なことに気がついた。
・木ノ下 双葉:無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長。母は専業主婦。
赤い糸で結ばれた男性を探すため、お見合いは断った。
ニヨニヨと気持ち悪く笑う父に、キモいと言ったら、ガチで落ち込まれて焦った。
夜行:首の無い馬に跨がる姫。
馬とセットで呼ばれる。
……備考:満月の夜、背後からカポカポと馬の蹄の音が聞こえてくる。
しかし、振り返っても何もいない。
かと思えば、上半身は若い女性、下半身は馬という、ケンタウロスのような存在が、猛スピードで視界を横切るとか。
それと出会うと、不幸になると言われる。
昔、姫に求婚した武将が、断られた腹いせに圧倒的武力で城攻めを行い、攻め滅ぼしてしまったという。
逃げ延びた姫は、待ち伏せしていた兵に襲われ、馬の首を斬り落とされてしまう。
しかし、忠義の馬は、首を落とされても姫を乗せたまま月へ向かって駆け登ったのだという。
かぐや姫の逸話が示すように、こちらの姫も大層な美人だったという。
……だからって、求婚を断られた腹いせに城攻めすることはないだろうに。
可愛さ余って憎さ百倍。そんな、武将の怒りの叫びが聞こえてきそう。
欲に溺れた愚かな武将に、呪いあれ。
月を見るたび思い出すがいい。
末代まで祟ってくれようぞ。
※このネタ《夜行》は、keikatoさんより提供していただきました。