第三十一話:二重
ある少女に起きた、忘れられない出来事。
「なあ、双葉、お見合いしてみないか?」
夕食時、微妙にそわそわしていた父が、満を持して口を開けば、ワケわからないことを言われた。
「……はぁ?」
総合商社の営業課長をやっているという父は、地位に見合ったプレッシャーとか、ストレスとかあるのだろうか?
強いストレスに晒され続けると脳が萎縮してボケる。などと聞いたことがあるけれど……。
「お父さん、わたし、この春高校に入学したばかりなんだけど?」
花も恥じらう十六歳、とは、いつも「双葉ちゃん、可愛い!」を連発してくれる母の言。
マジ恥ずいから、やめて欲しい。
父もまた、一人娘の私のことを溺愛してくれているのは理解している。
だからって、つい先日十六歳になったばかりのわたしに、お見合いとか。
仕事のストレスに耐えかねて、ボケたとしか思えないんだけど?
「いやぁその……。母さん?」
「もぅ、私をだしにしないでくださいな。……双葉ちゃん、そろそろお年頃でしょう? 男の子とお付き合いとか、どうなのかなぁっ? て思ってね。お父さんとお話ししたの。そしたらね? お父さんの会社に、すごくいい人がいるって言うから、会ってみたらどうかなぁって?」
母ののんびりとした声を聞くと、ついうなずいてしまいそうになる。
けれど、ことは、わたしの将来を左右する重大なことだ。
それと……。
「えっと、たしか、二十歳以上の大人と二十歳未満の子供が付き合ったら、大人の方が罪に問われるって聞いたけど?」
うろ覚えだけど。
法律だっけ?条例だっけ?
そんな感じのことを、聞いた気がする。
つまり、さ?
「仮に、わたしが相手と交際を始めたら、相手の人が逮捕されるんじゃない?」
オーバーリアクションな父は、恐れ戦いたようにのけ反る。
背景は、落雷なイメージだ。
「会ってもいない相手のことを思えるなんて……双葉ちゃん、きみは本当に天使だね!!」
お父さん、大袈裟すぎ。
「双葉ちゃんが嫌ならいいのよぉ? 相手かたの都合もあるでしょうし。でも、双葉ちゃんはお友達は多いのに、お休みの日はお出掛けしないでおうちにいることが多いでしょう? お母さんちょっと心配になっちゃったのよ」
お母さん、心配する方向が違くない?
「……はぁ」
ため息ひとつ。そりゃね? 学校にも素敵な男子はいるよ?
イケメンで成績優秀で運動神経抜群で教師たちの受けも良く誰にも愛想良くてコミュニケーションお化けで生徒会長とかやってて金持ちの息子で親の会社の役職持ちでそれとは別の事業を経営してて。
……こういうの、スパダリって言うんだって。友達が言ってた。なんのこっちゃだけど。
……でもさ? そういうのに限って、基本的に他人を見下してたりするんだよ?
少なくとも、そいつは、他の人たち全員を見下してた。
「うーん、まあ、会うだけならいいよ。親の顔に泥を塗るわけにもいかないしね」
根負けして了承すれば、両親共に、ぱあぁっと花が咲いたような笑顔になるんだ。
ほんと、素敵な笑顔。
:無愛想なわたしとはまるで違う。
なんで、こんな素敵な両親から、わたしみたいな無表情で無愛想な子供が産まれたかな?
「仮に、お見合いが原因でお父さんが会社クビになっても、わたしが養ってあげるから。老後は心配しないで」
実を言うと、お年玉をつぎ込んで買った株が大当たりして、私はお金持ちだったりする。
今ある現金だけで、孫の代まで遊んで暮らせる程度はあるらしく、両親の老後はなんの心配も要らない。
将来は、孫を早くみたいと言う両親のために、結婚して子供は産みたい。……って、自分で産むことになるんだよなぁ……。
お相手は、わたしのお金をアテにしない程度の稼ぎがあれば、誰でもいいやって思ってるけど。
っと、まあ、こんな感じで、最優先は、私のことを産んでくれて、愛してくれる両親。
それをわきまえてくれるなら、ほんとに誰でもいいやって思ってる。
……あんまり醜いのは勘弁!! だけどね。
※※※
わたしの外見は、それなりに良い方らしい。
街を歩けば、何人かの男は振り返って、隣の彼女に耳をつねられている。
ばーか、彼女がいるのに、よそ見なんかするから。
ほんと、なんで、わたしみたいなのを……。
……その時、ゾクリと、強烈な寒気がした。
目の前には、若い頃のお母さんによく似た誰か。
今日の、私と同じ服装をしている。
その、誰かを見ていれば、震えが止まらなくなってしまう。
容赦なく照りつける、真夏の日射しに晒されているというのに!
「……だ、だれ……?」
その誰かは、私を見ると、ニヤリと不気味に嗤い、身を翻して走りだしてしまう。
追わなければならない!
なぜか、強くそう思い、その誰かを追うべく走りだ……したところで、誰かに羽交い締めにされてしまう。
「何しているんだ!? 赤信号だぞ!! 車道に飛び出すんじゃない!!」
ナニをイッテいるのか、理解デキない……。
はヤく、逝かなきゃ、追いテかレ……。
「そこのお姉さまがた、この子を抑えるのを手伝ってください!そこの青年、救急車を呼んで! この子、熱中症で前後不覚になっているから! このキモデブ、近寄るんじゃねぇ! セクハラで訴えられたいか!?」
……あ、ワタシが……車に、轢かれ……
「ええぃっ、目ぇ覚ませ!」
ぱあんっ!!
目の前で、ナニかが破裂した音がして、わたしの意識は闇に沈んでいった……。
※※※
ゆらり、ゆらり。
ぬるま湯に浸かったような温かさに、目を覚ます。
辺りは、星の光も見えない闇。
なんとなく、ああ、死んじゃったんだな、と思った。
ゆらり、ゆらり。
ぬるま湯の海に揺られているような心地よさ。
ナニも見えないココで、
ナニも聞こえないココで、
ずっと過ごすのも、イイのかな。
そんなふうに、思えて……
「戻ってこい!!」
意識が、覚醒する。
目を開ければ、知らない男性。
耳を澄ませば、たくさんの声。
白衣を着た救急隊員の、「大丈夫ですか? 私の声が聞こえますか?」という声。
わたしの手を掴む、誰かの手の熱さ。
ぬるま湯の闇から引き揚げてくれた、誰かの熱い魂の叫び。
……ああ、この人だ。
両親は、お互いに一目惚れの恋愛結婚だったらしい。
それはそれはもう、誰もが微笑むような、恋愛結婚だったらしい。
それはまるで、赤い糸に結ばれていたかのように。
わたしも、いつか出会うのだと、両親は言った。
お父さんとお母さんが、出会った時のように、わたしもまた、この人だ! と、魂が叫ぶような相手に、巡り会うのだと。
両親揃って、確信をもって、力強く、宣言していた。
……うん。わたしも、出会ったよ。
見つけた。わたしの、赤い糸。
よかったね、と、誰かが言った気がした。
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
目の前で車道に飛び出そうとするから、自殺志願者かと思った……。
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
最近、カンが鋭くなった気がするの。
また、増えた気がするの……。むぅ……。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
人を助けるということは、素晴らしいことだと思いますよ?
……私、何番目になるのかなぁ……?
・源本 雫:主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
何人増えても、問題ないと思ってる。
・木ノ下 双葉:無口で無表情で無愛想な、現役女子高生。
……備考:父は総合商社の営業課長。母は専業主婦。
両親の愛情を一身に受けて真っ直ぐ育った。
人見知りが激しく内向的。向けられる愛情は、家族限定。
ドッペルゲンガー:見る人と全く同じ姿をしている存在。他人には見えない。
影法師、二重影とも呼ばれる。
……備考:ある時、自分自身を見た、と叫びながら走る人がいた。
その人は、脇目も降らずに走り、事故死をしてしまう。
ドッペルゲンガーは、死を招く存在ではなく、先に死という結果が存在し、体がその結果に引きずられるのだという。
そのため、ドッペルゲンガーを見たものは、必ず死んでしまうと曲解され、恐れられた。
魂魄という、魂には魂と魄という二つの姿があり、その片割れは影に宿る。と言う考えから、人は、先に影が死ぬのだと言われている。影がない人は、既に死んでいるのだと。
魂と魄。両方健在で初めて人は生きていけるのだという。
そのため、影に宿った片割れを失えば、人は生きてはいけない。
ドッペルゲンガーを見た人は、片割れが失われた場所に招かれるのか。
死という結果を、自ら探し、受け入れることで、辻褄を合わせているのか。
もし、もう一人の自分を見つけたら、追いかけてはいけない。