第三十話:かつら
「すいません、どうも、ありがとうございます。お疲れ様です。すいません」
何度もヘコヘコと頭を下げる、頭頂部が薄くなった男性を、冷めた目で見つめる。
この男性の都合で、夏の太陽が沈んでから会って話をして交渉して、ごねて上に確認するから待てと言われて目の前で長電話して、終わってから交渉を再開させて、
そこまでやって、一旦持ち帰り、という名の交渉決裂。
何のために、通常業務を終えたあとに、隣町の会社の、目の前の男性に会ったのだろうか?
態度は、低姿勢や卑屈とも取れるが、その表情は、予定調和とでも言いたげだ。
……うーん、これ、元々の担当じゃ手に負えなくて、俺にお鉢が回ってきたんだが……。うちのモンを怒らせてうちの会社から断らせて、契約違反で違約金でもせびろうとしてんのかな?
つーか、この男性、この前桜井さんに不倫関係迫ったって話だしな。
……ヤっちゃうか?
いやいや、正攻法で行こうか。
「我が社は、慈善事業で成り立っているわけではありませんので、このお値段ではお話になりません。他を当たってください。それでは」
「……は?」
げ?
ぽかーんとしているバーコードなオッサン。
交渉と難癖と契約違反と脅迫とをごっちゃにしているような相手に、これ以上構っていられんわ。
提示金額からの交渉は、別に普通のことだろう。ただ、提示金額から値引きして、さらに半額を要求って、どういうことだろうね?
売れば売るだけ損するわい。
さらに、売ったものを定価で横流しすれば、あちらの丸儲け。
契約違反で裁判でもヤってみろ? 会話、全部録音してるからな?
俺、メーカー希望価格と提示額と値引き額とそっちの難癖、金額全部声に出してるからな?
その上で、態度は低姿勢だが言葉の内容は脅迫そのもののそっちのセリフしっかり録音しているからな?
ボイスレコーダーを再生してみせる。
青ざめる男性。
さらに、以前桜井さんが録音していた問題発言も再生してみる。
胸を押さえて膝を着く男性。
心臓でも止まったかよ?
まあ、これ以上はお互い不幸になるだけだよな。ここらで手打ちにしようぜ?
そんな感じの言葉を丁寧に掛けてやれば、男性は平伏して、足にすがり付こうとキモく這いよってきた。
……あ、これ、しがみつかれたら、駄目なやつ。
口許がわずかにつり上がってるハゲを、殺意を込めて睨み付ける。
……あのさあ、しがみついたら、自分から離れて転がって、暴力反対とでも言うつもりだった?
……いい加減にしてくんない?
ビタリと止まるハゲ。
青い顔して脂汗だらだら。
まるで、蛇に睨まれた蛙だな。
そういえば、桜井さんの印象は、イボカエルだったな。なるほど。そのまんまだな。
「それでは、失礼します。もう遅い時間ですから、私はこれで」
終電、間に合うかなぁ……。
家まで、徒歩で帰りたくないなぁ……。
数日後の休日。
マダムのおかげで修羅場った三人と、ちょっとややこしくなりかけているので、今日は桜井さんとお出掛け。
さすがに、三人のなかでは一番大人なだけはある。
「仲直りするために、プレゼントを贈り合いませんか?」
と、提案してきたわけだ。
メリーさんは、自分でなんか作るらしいし、雫嬢は、夏ギフトをお取り寄せ、と言っていたとか。
……と、いいますかね?
「見てください。メリーさんが送ってきた既読スタンプ、可愛くないですか?」
電話、メール、トークアプリなどのアドレスを、交換し合っているみたいなんだよな。三人してさ。
「雫さんは、落ち着いた印象のものを好むようです」
楽しそうだね。
俺の場合、メリーさんのアドレス、いまだに毎回違う顔文字が送られてくるんだけどね。
雫嬢からは、なぜか非通知で電話かかってくるんだけどね。
……羨ましくなんか、ないぞう。
「……あ……」
桜井さんの、どこか怯えたような声。
視線の先を見てみれば……。
例の、イボカエルなオッサンが不釣り合いなほど美人な女性を複数侍らせてこちらへ歩いて来た。
……チリ……
『おお、キミは、桜井クンではないかね。キミも、ボクに会いに来たのかい?』
何だこのイボカエル? 俺のことが見えてないのか?
半歩横にずれて、イボカエルの視線を遮れば、桜井さんが、震えながら俺の服を掴む。
……ほほぅ。テメェ、このイボカエル、桜井さんを怯えさすとは……
覚悟はできてんだろうなぁ?
真っ昼間で人目もあるけれど、視線に殺意を乗せて睨み付ければ、
きゅぇっ、と鶏を絞めたような変な声を出しながら転げ回るイボカエル。
その拍子に、イボカエルの頭から、ヅラがバサリと落ちてバーコード頭が晒される。
それと同時に、侍らせていた女性たちが、我に返ったように辺りを見渡していた。
それに気付いたイボカエルは、無様なバーコード頭を晒したまま、どこかへ走り去ってしまった。
……あー、つまり、あのイボカエル、催眠術でも掛けてたってことか?
それが、ヅラが無くなったから、催眠術の効果も切れたってか?
なるほどなるほど。
桜井さんに催眠術掛けるとこだったんだな?
……ヤっとけばよかった……。
人の目があると遠慮していたが、今となっては後悔している。
マジで、ヤっときゃよかったよ。
そんなことを思っていると、スマホに着信。
二人して我に返って、とりあえず画面を見てみると……
( ´ ω ` )ゞ
……どうしたメリーさん? それは……敬礼?
『もしもし、私、メリーさん』
うん。本当にどうした?
『今日は、明るいうちからお月様が見えるの』
お、そうなのか? その手は敬礼じゃなくて、手で日陰を作っていたのか?
でも別に、昼間から月なんて……。
『いつになくはっきり見えるから、電話を掛けてみたの』
……。
『今日の月は、半分に欠けた月。欠けた月は……』
『(メリーさーん、ちょっと手伝ってくれなーい?)』
『(はーい!ママさん、いま行くのー!)……また、電話するの』
がちゃ、つー、つー、つー。
お、おいい……。途中でやめないでくれよ。欠けた月は、何だ? 何があるんだ?
なんとなく、二人揃って空を見上げてみれば。
半分に切り取られたような月が、ずいぶんはっきりと存在を主張していた。
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
(俺の)桜井さんに手ぇ出そうとは。あのイボカエル、いぼ痔になる呪いを掛けてやる。
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
月……?何を言おうとしたか、忘れちゃったの。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
あの、気持ち悪い人の目を見たら、なにか恐ろしいことになりそうな気がしました……。
・源本雫:主人公に憑いた何者かによって、死の淵から生還した、名家の令嬢。
……備考:外見からして、深窓の令嬢然としている。
スマホデビューした。
今、生きていることが楽しくてしょうがない。
・桂男:月に住むとされる、美男子。あるいは、別のなにか。
……備考:日本神話における月の神が、他の神を殺したという逸話から、満月以外の欠けた月を長く見ていると、月に惹かれて命を取られると言われている。
また、かぐや姫が絶世の美女で無数の求婚があったことから、月の民は美男美女揃いとされる。
月には、人を惑わす怪しい魅力がある、ということ。
※このネタ《桂男》は、《猫じゃらし》さんより提供していただきました。
・インキュバス:男性型の夢魔。
……備考:女性の夢に侵入し、悪さをする悪魔。夢の中では、女性の理想の男性像に姿を変え、口説く。口説き落とされた女性は、大変なことになる。……というか、夢の中のことなので、普通は抵抗など出来ずに必ず口説き落とされて大変なことになる。
また、女性型の夢魔サキュバスの別の姿とも言われており、自在に変身できる。
こちらも、理想的な女性の姿になって、夢の中で男性を誘惑する。
……ただ、この夢魔、本来の姿は、見るに耐えないとても醜い姿をしているという。
自身の醜い姿を偽って、女性も男性も弄ぶ、まさに、悪魔そのもの。