第二十八話:座敷
「きみ、今度の土日は空けておきたまえ。社用であるところへ行ってもらう」
いきなりこれだ。
最近、お見合いしたことでセクハラとか一切なくなって、以前とは別人のように仕事に打ち込むようになった係長。
ただ、弊害もあったりする。
こんな風に、営業の合間にこなせとばかりにいきなり仕事を言い付けることが増えたわけだ。
これがまた、会社の業績とは直接関係ないことが多いようで、他の同僚達からは、
「以前よりはマシだけど、自分でやれよ」
と陰口叩かれている。
つまりは、嫌われる方向性が変わっただけだったりする。
「西野氏の奥方からの、直々の依頼だよ。断ることはできん。さらに、きみを指名している。断るにしても、相応の理由が必要だ。……私ときみの首で済めば良いがな」
脅すな脅すな。西のマダム直々の依頼とあっちゃあ、断るわけにはいかんよ。
係長、詳細よこしてくださいな。
さて、本日は土曜日。
会社はお休みだが、マダムとの約束だ。ちょっと気合いの入れたスーツ姿で、手書きの地図と住所片手に、やって来ました旧市街地。……はて、目の前の風景は、市街地といえるのだろうか?
街の東側は、歴史ある建物と畑や田んぼが並ぶ、古い田舎の農村といったような地域だ。
広い田園風景の中に、背の高い木に囲まれた木造住宅が点在している。
今俺は、東側の小高い丘の上に建つその一軒。とても大きな木造平屋の日本家屋の前に立っていた。
その家だけは、周囲に塀が立っており、敷地の中を窺えない。
また、その塀自体も、分厚い鉄筋コンクリートの壁に板を張り付けて景観を壊さないようにしている様子は、まるで、監獄のような印象を受けた。
まるで、城門のような堅牢さを窺わせる木製の門に取り付けられていたチャイムを鳴らすと、割烹着姿の老女が姿を表した。
この監獄のような日本家屋に、代々仕える使用人の家系という老女の案内で、ある部屋に通されるが……。
……おい、こいつは……。
メリーさんに匹敵するくらいのプレッシャーを、部屋の中から感じるぞ?
体が勝手に震え出すレベルの恐怖。間違いなく、即死級の怪異が、 薄い引き戸の向こうにいる……!!
老女が引き戸を開ければ、夏の午前中の強い日差しの中だというのに、奥の壁が見えないほどの暗さと、冬と勘違いしてしまいそうな冷気が溢れてくる。
「あの、ちょっと……」
「お許しを。いえ、どうか、この婆を恨んでくださいまし」
老女に文句でも言おうとすれば、暗い部屋の中へ突き飛ばされ、ピシャリと引き戸を閉められてしまった。
その引き戸越しに掛けられた言葉からは、尋常でないほどの恐怖が滲んでいて、なんというか、状況を察してしまった。
……閉じ込められたよ、おい。
「……はぁ」
ため息ひとつ。それを合図にしたかのように、広い部屋の四隅にある蝋燭に一斉に火が灯った。
それでもなお、薄暗い部屋の中央に、スポットライトで照らされたように着物姿の少年が浮かび上がる。
年の頃は10歳くらいか。
長めのおかっぱ頭のてっぺんを、ちょんまげのように結っているところを見ると、下手すれば江戸時代の農民の子供なのかもしれない。
そんな子供が、突如顔を上げて、口の端を三日月のように吊り上げ、嗤いながら言った。
『ねぇ、あそぼ?』
直後、心臓を鷲掴みにされたような恐怖と、立っていられないほどの突風に晒されたような衝撃を感じる。
まるで、車に轢かれたような気分だ。
心臓が早鐘を打つ。
冷や汗が止まらない。
のどが渇いて咳き込みそうだ。
だからって、弱みは見せられんなあ。
なんせ、よく分からん童子より、荒ぶったメリーさんの方が、よっぽど恐ろしいからな!
※※※
毬に独楽に、
おはじきにビー玉に、
けん玉にメンコにあや取り。
さすがに、この閉鎖空間にずっと一人で居ただけあって、一人遊びは得意なようだった。
それぞれの玩具の遊び方を聞けば、嬉々として説明しだす。
それからしばらく、童心に帰ったつもりで遊び倒した。
……で、さすがに疲れたと言えば、意外とすんなり遊びをやめた。
代わりに、なにかおしゃべりしようかと言えば、それはもう、嬉々として語りだした。
この童子、人に飢えていたようだ。とてもよくしゃべる。
だから、致命的なことを、自分から語りだした。
『ねぇ、きみ。ずっとここに居ればいいよ! そうしたら、ずっと一緒に遊べるよ!』
………………うーん、一言忘れてるぞ?
…………俺は、ここに居たいなんて一言も言ってない。
……そして俺は、童子と遊んで楽しいなんて、一言も言ってない。
だから、この閉鎖空間に、自分の代わりに俺を閉じ込めておくことなんて、出来ないぞ?
「ところで、少年」
平気な顔して問い返してみれば、キョトンとした顔の童子。
「この建物取り壊されるそうだ」
さすがに、理解に時間かかるか。
「そうしたら、お前さんもここから解放される。この座敷牢から解放されて、自由の身になれるぞ? そうしたら、今度はどこへでも……」
『嘘だっ!!』
急に激昂する童子。気持ちは分からんでもない。
この童子、封印されていたわけでも、引きこもっていたわけでもなさそうだからな。
「嘘じゃないさ。なあ、聞いたこと無いような騒音が、聞こえてこないか?」
『嘘だっ!! やめろっ!! やめろっ!!! 許さないぞ!!』
悪鬼羅刹もかくや、といった形相で飛びかかってくる童子。
しかしな、俺を一瞬で押し潰せない段階で、お前さんの敗けは確定してしまったよ。
飛びかかってきた童子を、勢いを利用して、巴投げで投げ飛ばす。
軽い童子は、毬のようにぽーんと飛んで、薄い引き戸を突き破り、外へと飛び出てしまった。
生前、自力で出ることの叶わなかった、座敷の外へ。
そこはもう、童子の居る座敷ではない。
光当たらぬ、暗い部屋ではない。
燦然と輝く太陽の元、百と数十年越しの怨念は、断末魔の悲鳴さえ上げることなく、消滅してしまった。
いつの間にか、暗かった部屋に光が差し込み、
無音の世界に、音が戻り、
そして、部屋には、腐臭……いや、死臭が漂いだした。
……いや、そんなんじゃない! この座敷、たくさんの人形に紛れて分からなかっただけで、白骨化した遺体がたくさんあるぞおい!?
あの老女、いったい何者だよ!?
……いや、分かりきったことか。
この遺体の全て、あの老女の手引きによって、この座敷から出られなくなった犠牲者達なんだろう。
で、俺は、何十年かぶりの生け贄ってとこか?
……ふざけやがって。
イライラするが、仕方ない。今あの老女に会えば、ぐーを振り切ってしまいそうだしな。
依頼と共に、事前情報をしっかりともらっていたから、なんとか助かったってところか。
マダムに感謝……いやこれ、これからも面倒なこと押し付けられる流れじゃないか……?
勘弁して欲しいね。
車に乗ったところで、スマホに着信。
イライラしたまま画面を見れば、
?\(゜Д゜\)≡(/゜Д゜)/?
あれ? どうしたのよ? メリーさん?
『も、もしもし、私、メリーさん』
うん? なんか焦ってる? どうしたんだい?
『……うー。なんでもないの。ただ、声が聞きたくなったの……』
……えっ? なにそれ? なあメリーさん? きみは俺を萌え殺す気かい?
……やっべ、なんか鼻血出そう……。
『にゅ……。また、電話するの……』
かちゃ、つー、つー、つー。
あらあら、通話切った音までしょんぼりしてるよ。
……くっくっ。やべぇ。今日はいい日だ……。
後書き
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
哀れではあるんだがな……。
そういえば、赤マントほどじゃなかった気がする……。
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
声を聞けて、ほっとしたの……。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
……なにか、胸騒ぎがしました。
電話したら、元気そうな声が聞けて、ほっとしました。
・座敷わらし:住居に居着く妖精の一種。着物姿の少年である場合が多い。
……備考:居着いた家に、幸福をもたらすとされる存在。
ただし、家から出ていった場合、その家に最大級の災厄が振りかかるとされる。
だからといって、悪意ある危険な存在ではない。
座敷わらしが訪れた家は、一生分の幸福が短い期間に訪れる代わりに、幸福が尽きたあとは反動が来るものと思われる。
・座敷 童子:同じ名前の、全く違う存在。
……備考:古い日本家屋の一室に居着く、怨霊と化した地縛霊。
外へ出たがっており、正式な手順を踏むことで、自身を見ることが出来る子供を部屋に閉じ込め、自身は外に出ることが出来るようになる。
その部屋で生まれ、その部屋で育ち、その部屋から出ることなく死んだ童子が、外への羨望を持ったまま怨霊と化した。
部屋の一室に限定した地縛霊でありながら、面倒な手順と生け贄が必要ではあるが、外へ出ることが可能な珍しい存在。
閉じ込められた生け贄は、次の童子となる。
・座敷牢:座敷童子が封印されている和室の一室。
……備考:ある一面だけを見れば、怨霊を封じる結界でありながら、怨霊の元になった童子を育てた揺りかごでもある。
人が水の中で生きていけないように、
魚が陸の上で生きていけないように。
座敷童子もまた、この座敷から出てしまっては、存在を維持出来ない。
特別な力のある場所ではない。
ただ、童子にとっての揺りかごというだけ。