第二十六話:暑い……。
季節は夏。また、今年も暑い時期がやってきた。
この時期は、営業には本当に辛い。
照り付ける日差し、
地面から反射する照り返し、
湿気の息苦しさ、
他にも、他にも。
さすがに、盛んに暑い時間帯に歩き回るのは、自殺行為ではないかな? と思うのだが。
だからといって、取引先は今日も変わらず待っているわけで。
ギラギラと強い日差しが照り付ける暑い時間帯だろうと、行かないという選択肢は、無いわけで。
営業は辛いよ。
はあ、よそ様はテレワークやらで、冷房の効いた室内でパソコン向かってお辞儀をしてるっていうのにな。
俺は、というかうちの会社は、未だに足で稼いでいるわけだ。
あ、冷たい麦茶、ご馳走さまです。
「……ふう、暑っちいな……」
今日も桜井さんが用意してくれた昼食をいただいて、ちゃんと食休みをしてから次の取引先へ。
今は午後一時過ぎ。一日で一番暑い時間帯はもう少し続く。
そんな、移動中のことだった。
(……工事現場か……。お疲れさまです)
なんとなく、気になった。
工事現場の出入り口に立っている誘導員の女性が、ふらふらしているように見えたから。
その女性の立ち位置は、ちょうど俺の通り道。近くまでいったら声くらいかけよう。
そう、思っていた時だった。
突然、女性が工事現場を仕切る仮設の白い壁に背を預けて、そのまま座り込んでしまった。
「大丈夫ですか!? 俺の声が聞こえますか!?」
慌てて駆け寄って、声をかける。しかし、返事はなく、しかし、両目は大きく見開かれ、視点が定まらないにもかかわらず、どこか一点を、あるいは、何かを見つめているようだった。
額に触れてみれば、かなり熱い。
そして、かいた汗も乾いて、新しく汗が浮かぶ様子もない。
これたぶん、熱中症の、危険なやつ……!
背中と膝裏に手を添えて抱き上げ、近くの日陰まで移動させ、身体を冷ますために上着を脱がそう……と、して、相手が女性であることを思い出して、一旦やめる。
代わりに、桜井さんの弁当に入っていた保冷剤を額にくっつけて、冷たい麦茶を飲ませてやった。
……てか、誰か気付けよ!
工事現場うるさくて、誰も気付かねぇよ!
その時、ちり、と、静電気が走るような感覚。
最近よく感じる、危険なやつ。
「……くね……くね……」
少し、痙攣しているような女性が、うわ言を呟いている。
なんのことかは分からないが、まだ半分くらい凍っているペットボトルを取り出し、首に当てて強制冷却開始。
ペットボトルの表面に着いた水滴が、女性の肌に移った途端に消滅……というか、蒸発する様子を見て、ちりちりとした恐怖が、強くなっていくのを感じた。そして、工事現場だというのに、騒音が遠くなっていくのを感じる。
「……ちっ、ええい……」
意識の朦朧とした女性に、ペットボトルを掴ませる。今だけは、冷やすのくらいは自分でやってもらう。
そして、俺は……。
ぱあんっ!!
拍手、というか、柏手を一つ。
予想以上に大きな音が鳴って、自分でビックリだが、ちりちりとした恐怖が薄れるのを感じた。
柏手をもう一つ。
本当は、救急車を呼ぶのが先なんだろうがな。
しかし、原因が怪異となると、話は別だと思う。
さらにもう一つ。
火の用心の拍子木のような高い音や、犬の遠吠えのような大きな音は、邪気退散の効果があるという。
柏手もまた、同じらしい。
ほんとかどうかは知らんがな。
だけど、三度目の柏手で、例のちりちりとした恐怖は、感じなくなった。それと同時に、周囲の音も戻ってくる。
工事現場のやかましさを聞いてほっとするとか、さすがにどうなんだろね?
女性に目を向ければ、浅く早い呼吸も少しは落ち着いて、目を閉じて、気を失っているようだった。
……って、意識障害!? ヤバいか? ……ええい、判断が付かん。
ペットボトルの氷はどんどん溶けている。その、溶けた冷たい水を女性に飲ませ、脇や首にペットボトルを押し当て、冷却を試みる。
それと平行して、救急車にコールすれば、ちゃんと繋がって対処法も教えてくれた。
……んで、工事現場の誰もが、誘導員の女性が倒れたことに気付かず。
作業服姿の太っちょが来たのは、救急車が到着して少ししてからだった。
……んで、状況の説明を、救急隊員と、工事現場の責任者と、安全担当とかいうのと、他にも数人。それぞれ別に説明するはめになった。
おかげで、解放されたのは、日が傾きかけた頃だった。
取引先に、お詫びの電話を入れ終えた時、スマホに着信。
ああ、もう、誰だよ……。
舌打ちすらめんどくさくなりつつ、画面を確認すると……。
(・ω・)ゞ
……うん? それは……何が言いたいんだい?
『もしもし、私、メリーさん』
なんか、やり遂げたような、満足げな声だね?
……何やらかしたんだい? 言ってみ?
『なんか、ヒモみたいな姿のくねくね動くキモいのを見つけたの』
……メリーさん、ほんと、変なの見つけるの得意だよな……。
『今、逃げ出さないように踏みつけているの。でも、あんまりにもキモいから……』
ゾクッ!?
あれっ!? メリーさん、なんか怒ってるのっ!?
俺今回、なんもやってないよな!?
『滅! 殺! なの!』
ぐりゅ、ぶちゅ。
……うーわ、おっかねぇ音がしたよ……。
『ああ……もう……汚いの……』
……そんなに嫌なら、殺らなきゃいいんじゃないのかな?
『……また、電話するの……』
がちゃ、つー、つー、つー。
……えーと、なんというか、その……、お疲れ。
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
俺も熱中症になりそう。
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
なんかそいつ、許しちゃいけない気がしたの……。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍カウントダウンな扱い。
急な暑さは、体調崩さないか心配です。
……でも、あちこちで女性と縁があるのも、心配です。
・くねくね:正体不明の存在。くねくね動いている?
……備考:夏真っ盛りのとても熱い時期、田舎の祖父母の元へ帰省していた兄弟が、田んぼになにか浮かんでいるのを見つけた。それがなんであるか確認しようと目を凝らすが、兄が、《くねくね》を見たという。
弟もまた、それを確認しようとするが、様子の変わった兄に気を取られ、確認は出来ずじまい。
しかし、その時から兄は、精神に異常をきたしてしまっていた。
祖父母は悲しみつつ、『正体不明の、見たものを狂わす存在』がいることを告白。
その後、兄が正気に戻ることはなかったという。
これは、重度の熱中症で脳に深刻な障害が起きたことを、怪異の仕業に例えたものと思われる。
山や田んぼがある田舎だろうと、山に囲まれた盆地などでは、都市部より気温が高くなることもある。
それに加えて、頭上の太陽光、地面の反射熱、田んぼの水面からは、紫外線の反射など、しっかりと暑さ対策しなければ、命に関わる事例を、怪異として表現したものだろうか?
また、《くねくね》自体は、熱による大気の揺らぎや、水面からの光の反射、波の揺れなどを、なにかが《くねくね》と蠢いている、と表現していたのかもしれない。
※このネタ《くねくね》は、《イクス》さんより提供していただきました。