第二十話:送る
今日も今日とて外回り。
朝ミーティングして、
桜井さんから弁当を受け取って、
以前は血の涙を流しそうだった、あまり仲良くない同僚から、「式はいつにするんだ?」と聞かれたり、
「あとは任せなさい」と、先輩事務のお姉さま(既婚者)から肩を叩かれたり、
桜井さんから「行ってらっしゃい」と、はにかみながら送り出されたり。
少し前では考えられなかったが、今では何気ない日常風景だ。……後ろに付いてくる黒い犬……オオカミ? ……がいなければ。
営業先で、以前から薦められてきた縁談やらお見合いやら告白やら変態宣言やらに、一つ一つ、丁寧に、心を込めて、お断りさせてもらう。
幸い、直接面と向かって断りをいれるケースは少なかったが、まだ小さい子を持つ若い未亡人や、親兄弟に先立たれて経済的に苦しい新人事務の娘など、交際しなくとも多少の援助はしたくなる相手もいた。
けど、俺の身体は一つだけ。
そう何人も支えてやることは出来ない。
まあ、そこら辺は、今の縁がうまくいかなかったら考えてくれ、と返事保留扱いにされた。
俺はちゃんと断ったんだが。
大事なことだから、もう一度。
俺はちゃんと断った。
……だというのに……。
「私にも、チャンスをくれないかしら?」
例の、コーヒー好きな女性が、ソファの隣に座って真剣な目で見つめてくる。
「ほとんど一目惚れだったわ。何年も前の話よ。暴漢に囲まれて連れ去られそうになっていた私を、あなたは助けてくれたの……忘れてしまっているでしょうけどね?」
……うん、どれのことか思い出せない。
言い訳させてもらうと、数年前SNSで、
『好みの女性に声掛けたら、嫌がられた。でも、少し粘ったらその日の内にホテルまで連れ込めたし楽しめた。《女性の嫌よは実はフリ? ~初対面の女性をオとすテク~》』
なんて書き込みがされて、それを真に受けたアホ共が女性を無理やり連れ去り乱暴する、という事件が何十件も発生した。それも、白昼堂々と連れ去る事件がだ。
一時期、営業の途中で事件を見つけて警察に通報したケースが多発したのは確か。
だからってね……。
遊びでいいの。10番目くらいでもいいから。たまに愛してくれればいいから。
……そんなこと言われてもね。
…………うん、あのさ、今、あなたの会社は仕事中でしょう?
ここの接客スペース、パーテーションで仕切っているだけだから、他の社員が興味津々だよ?
身体を密着させてこない分、まだ理性的に接してきている気はするけど……。
悪いとは思うけど、正式に断らせてもらいます。
……いや、違うから。気を引くための作戦じゃないから。
お付き合いしている女性がいるから。
幻覚やエア彼女じゃないから。
実際にいるから。
なんなら、写メでも撮ってくる?
…………んで、こっそり動画撮ってるアホ男性社員。お前は許さんぞ?
バレないとでも思ったか?
警察沙汰にされたくなかったら、スマホ貸せ。
中のデータ、俺が直接消去してやる。
あ、上司さんこんにちは。すいませんね、今取り込み中……や、無言でアホのスマホ奪わないで……って、中のデータ全削除と初期化ってよく平然とやりますね? 他人のスマホですよ?
「よその会社のきみに迷惑がかかるところだった。すまない。……で、きみ。きみだきみ。仕事中に、許可なく他者の動画を撮るとは何のつもりだ? 仕事中だよ? 仕事をせずに、何をしているんだ?」
上司さんは弁えていた。パワハラになるのを考慮してか、胸ぐらつかんだりぐーでお仕置きなんてしない。
ただ、淡々と、
「きみの処遇は我が社の顧問弁護士と相談して決める。さあ、来たまえ」
ただ、淡々とそう言って、アホな男性社員を連れ去って行った。
……結論。こちらも保留になった。
……連れ去り云々は置いといても、今のやり取りは会社ぐるみの仕込みじゃないのかな? と思ってしまうのは……俺がひねくれているからかな?
……だってさ、コーヒー好きの彼女、社長令嬢なんだよ?
黒い犬は、変わらず付いてくる。
近づこうとすれば離れるし、走れば一緒に走るし、とにかく距離を保ってくる。
……しかも、普通の人間には見えてないっぽい。
震えるような悪寒や恐怖は感じない。
……だからといって、都市伝説や怪異でないという保証もないか。
「おっと、あれ?」
何もないところで躓いて転ぶ。
……その、瞬間。
後ろの黒い犬の気配が、爆発的に膨れ上がった。
舌なめずりして、口を大きく開け、今まさに、俺を一口で飲み込もうと……。
「ふぅ、ちょっと休憩」
後ろの黒い犬の気配が、一気にしぼんで普通サイズになった。
……てーか、俺、気配とか分かるようになったんだな?
前の人面犬の時といい、犬限定かもしれないが。
そしてこいつは、『送り狼』かな。
地面に落ちたものは食べていいって、神だか仏だかから許しをもらっているらしく、間違って転んだりしたらむしゃむしゃヤられてしまう。
その代わり、必ず家まで無事に送り届けてくれる……妖怪?
家に帰ったら、礼をしなきゃならんのだがね。……犬に食べさせても平気なもの、何かあったかな?
「さて、ただいま。お前さんも、お疲れさん」
あのあともう一回転んで、「一服一服」と言いながらペットボトルのお茶をぐびりとやる羽目になったが、まあ、無事に帰宅と言っていい。
で、その黒い犬、玄関にお座りして尻尾を振っている。お利口さんだ。
……や、無事に送り届けた報酬を待っているんだがな。
さてさて、何かいいものはあったかな、と、良いもの発見。
この前メリーさんから送ってもらったカツオが、まだ残ってた。
レンジで半解凍して、切り分けて、沸かした湯にくぐらせて、カツオのしゃぶしゃぶ出来上がり……ということにしといてくれ。
昆布で出汁とってる暇なんてないしな。
……お待ちの黒犬、既によだれ垂らしてるし。
ほんとは履き物の上に置くのが『送り狼』に対する礼儀らしいが、さすがに革靴の上に置きたくない。なので、発泡スチロールのトレーにカツオを載せて、さあ召し上がれ。
待ちかねた! とばかりにがっつく黒犬。
あっという間に食べ終えて、ベロリと口元をひと舐め。
用事は済んだとばかりに背を向けた。
「じゃあな。お疲れさん」
俺の言葉に、尻尾をひと振りして応えて、夜の闇に消えていった。
黒犬を見送ったあと、玄関のドアを閉めたところで着信。
なんだかがっくりと脱力しながらスマホを見てみれば、
( `д´)ノノ=З
あれ? メリーさん? ちょっとお怒り? 不機嫌?
『もしもし、わたし、メリーさん』
あれ? 声を聞けば、別に普通だな。
『先輩が一人、見当たらないの。呼んでも来ないの……(くろすけせんぱーいっ! どこに行ったのーっ!?)』
ぶふっ、……くく……いや、笑うな、俺。
いやいや、メリーさん? 先輩て。一人て。
先住犬を、先輩ってか?
先輩たちの数を数えるときは、一人二人ってか?
いやまあ、心配は要らんよ? そのうちすぐに……。
『(あ、くろすけ先輩、どこに行ってたの? ご飯の時間は守らないとダメなの。他の先輩がたの迷惑になるの)……わたしもこれからご飯なの』
そうか。今日の夕ご飯はなんだい?メリーさんや?
『メニューは内緒なの♪……また電話するの』
がちゃ、つー、つー、つー。
……くろすけ先輩……くくく……。
晩飯残すなよ?
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・総合商社の営業。優良物件。
ハーレム願望はありません。
……今度、桜井さん連れて営業回ろっかな?
・メリーさん:少女の姿の……怪異?
……備考:もうすっかりマダムの家の子。
先輩たち、自由で困るの。
・桜井さん:同じ会社の、同僚の女性。
……備考:会社内では、入籍までカウントダウンな扱い。……実際は、そこまでじゃない。
主人公側の事情を、なんとなく察している。
・送り狼:帰り道、後ろを付いてくる犬(狼)の妖怪。
犬なだけに、律儀だし我慢するし家までちゃんと送り届けてくれる。
後ろ付いてく相手に、何か危険が迫ったら出番だぜヒャッハー!
神か仏か、何か上の存在から、『地面に落ちたものは食べていい』と許可されているらしく、転んだりしたら遠慮なくむしゃむしゃヤる。
その際、『履き物の紐が切れた』、『休憩』、『一服』などと言うと、ちゃんと『待て』ができる偉い子。
家まで帰ったら、さっきまで履いてた履き物の上におむすびを載せると、それを報酬としてむしゃむしゃヤって、満足してお帰りなさる。
確実に家まで送り届けてくれるため、ある意味ありがたい存在。