第十三話:赤との邂逅
研修という名の慰安旅行(強制)から数日。
環境が少し変わった気がしている。
いや、気のせいではないんだが。
歩き回る毎日は変わらないものの、例の女子社員Aさん、改め桜井さんが、昼飯を用意してくれるようになった。
ランチボックスにサンドイッチを詰めて、あまり聞かない名前のお茶のペットボトルを用意してくれた。
で、この桜井さん、別部署だったのに、なぜか今は俺と同じ部署の事務として一緒に働いている。
理由は簡単なことなんだが。
今までいた事務のお姉さまが、例の慰安旅行でゴールイン。寿退社することが決まったため、引き継ぎが始まったわけだ。
で、この桜井さん、旅行明けの異動初日から、朝のミーティングの後に俺にだけ弁当を渡してきたんですよ。他の連中に見えるように、俺にだけ。
なんかもうね、なりふり構わず俺を落としに来てるなーと感じる。
で、完全に胃袋を押さえられたら、俺も落ちるだろうなーと、なんとなく思ってる。
目が合うと、優しく微笑むし、俺が声をかけると、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になるしな。そのうち、安アパートの部屋の隣に引っ越して来たりしてな。
孤立していた会社内では、確かな癒しとなりつつあった。
普段の気分が良ければ、仕事にも良い影響は出るもので。
取引先で、独身で結婚願望のある女性や、夫に先立たれた未亡人等を紹介される機会が増えた。
今は俺の方に結婚願望が薄いので、まだまだ考えられないとはぐらかしている。
取引先が上機嫌なのは構わないが、結婚を強く薦めるのは、俺にとっては正直迷惑。
ある取引先に、
「コーヒーの好みを知れば、相手の人柄が分かるの」
と言って、俺の好みのコーヒーを淹れてくれる女性もいるんだよな。
その人なぜか、俺の隣に座るんだよな。
正面じゃなくて、隣に。
なにか言いたいことがあるならどうぞ?
何事もなく今は夕暮れ時。
最後の取引先も辞して、会社に戻る途中、桜井さんに連日昼を用意してもらっているのに何も無いのはあんまりか? なんかお礼の品を用意するべきか? と思い立ち、少しお高いチョコレートのセットものでも買っていこうかと思っていたところだった。
赤い服を着た何者かが、少女らしき小柄な人物を追って狭い路地の方へ入っていったのを見つけたのは。
普段なら何とも思わないような光景。しかし、今日は、後を追わなければならないと、強く感じた。
小柄な人物が向かった先が、行き止まりだからか?
全身赤い何者かが、あまりにも怪しかったからか?
すぐに追わなければ後悔する。
強く、そう思った。
できるだけ足音を立てずに後を追う。
スマホは近所の交番の番号を表示して、いつでも掛けられるように。
狭い路地に入り一度だけ右に曲がるとすぐに行き止まり。曲がった先を覗き込もうと壁際に身を寄せて、音を立てずに覗き込むと……?
『さあ、行き止まりだよ? 質問に答えたまえ?』
なんの話だ? そう思っているうちに、赤いヤツは両手を広げてゆっくりと少女に近付き、 爆弾を投下した!
『さあ、きみの今日のパンツの色を教えなさい! 教えてくれたら、イイコトをしてあげよう!!』
変態だった!
赤いスーツに赤い帽子、赤いステッキを右手に持ち、赤いコートをマントのように広げた、変態的なことを言う本物の変態だった!!
すぐに通話ボタンをタップ。
警察に助けを呼ぶのが正解だろう。
コール音もなく、すぐに、
ーーーぶつっ。
とスピーカーが繋がったような音がする。
違和感が半端無いが、今はそれどころではない。
「もしもし、警察ですか? 全身赤ずくめの変態に、少女が襲われています! すぐに助けてください! 場所は……」
赤い変態と襲われている少女にも聞こえるように、普段出さない大声を出して警察に助けを求める。日本の警察は世界的に見ても優秀なのだという。俺が少しの時間を稼げば……。
ーーーそう、思った時、強烈な違和感を感じた。
視界が赤に染まった気がする。
電話の向こうから、警察の声が聞こえてこない。それは、あり得ないことだった。
そして、目の前の赤い変態が振り返る。
…………ぶわっ。
全身の毛穴から汗が吹き出す感覚。
血に塗れた大熊が、ナイフのような爪を広げて威嚇した。そんな姿を幻視する。
実際は、全身赤ずくめの紳士が、両手を広げただけ。
だというのに、恐怖と震えが止まらない……!?
理由を察して、絶望する。
赤ずくめの、目の、白目部分、それが、血のように濃い赤だったから。
そんな人間、いるはずがない。
仮にいたにしても、まともな人間のはずがない。
服装の段階で気付かなかったことにも違和感はあるが、今は、目の前の全身赤ずくめの存在に恐怖の震えが止まらない。
『きみは何者かね?』
つい、自分の事を詳細に語ってしまいたくなる衝動に駆られる。
しかし、決して応えてはいけない。
質問で、ようやく確信に至った。
何故気付かなかった?
目の前の赤ずくめ、それは、怪異『赤マント』。
夕暮れ時の、空が茜色に染まった頃発生する怪異で、質問に答えた相手を、答えた内容に応じた方法で惨殺する怪人。
時間が限定されている分強力な怪異で、逃げることも、立ち向かうこともできない怪異。
何故なら、子どもの誘拐殺人に対する親の恐怖から生まれたとも言われる怪異で、その存在の在り方が、怨み辛みではなく、誘拐殺人そのものだからだ。
ーーーーこれと対峙したとき、拐われて、殺される。
今生きているものとして、死、そのものと対峙し、俺は絶望した。
これは死んだ。……しかし、あの子だけは助けよう。一瞬だけでも隙を作り、何とか逃がそう。
己を奮い立たせるために叫び、突撃しようとした、その時だった。
『……ふむ? きみは、少し、おかしいな?』
とってもおかしい赤い変態に、おかしいと言われたこの感覚。一体、どうすれば言い表すことができよう?
気が付けば、死を確信し、絶望していた心は、晴れ渡るように何かが満ち溢れ、恐怖を全く感じなくなっていた。
それどころか、誰かに、背中を抱き締められているような安心感。
何かと、誰かと、繋がっている。そんな感覚。
いつの間にやら、恐怖ではなく、勇気が溢れてきているのを感じた。
そして、目の前の赤い『死』が、ただの変態にしか感じられなくなっていた。
『……ふむ。さすがの私も、二柱の怪異が相手では分が悪いか……』
怪異が二柱? どこからか、こいつと敵対している怪異が寄ってきているのか?
……犬の遠吠えが聞こえる。
そういえば、犬が近所で飼われていたな。
取引先の従業員が近くに住んでいて、人見知りのくせに甘えたがりの犬が居るって。
直後に、巨大な土色の蛇がとぐろを巻き、大きな口を開けて見下ろしているイメージが伝わってきた。けれど、睨まれているのではなく、見守られているような安心感。
援軍はすぐに駆けつける。
何故か、そう確信していた。
なら今は、この赤い変態を……一発くらいなら、ぶん殴ってもいいよな? 少女にイケナイ事しようとした変態に、愛と勇気と正義の鉄拳をプレゼントしてもいいよな?
そう思い、拳を握りしめた時だった。
赤い変態が、舌打ちと共に空高く飛び上がり、どこかへ消えてしまった。
一瞬の事だった。止める間もなく、消え去ってしまう。
さすが怪異。何故か、妙に納得したのだった。
赤い変態が消えた直後、少女が駆け寄って、抱き付いてきた。
よほど怖かったのだろう。震える身体で、ぎゅっと、抱き付く力が強くなる。
少しの間悩み、意を決して、少女の頭をなで、背中をぽんぽんしてやる。
すると、少女は一度だけビクッと震えたが、すぐに安心して身体を預けてきた。
しばし無言で少女をあやしてやると、パッと離れてしまう。
少女をよく見れば、長い金髪に水色のワンピース姿。顔立ちは和風なのに、青い瞳と見事な白金色の髪はとてもよく似合っていた。
小学生くらいか? 12~13歳くらいの綺麗な少女。
その、青い瞳に、吸い込まれそうに…………
「また、電話するの」
そう言って、少女は止める間もなく走り去ってしまった。
…………えっ!? まさか今のが…………?
リードが着いたままの犬が、飼い主をバカにするように振り返り、こっちに顔を向けた後、どこかへ走り去ってしまった。
人物紹介
・俺:主人公。男性。
……備考:職業・会社員。
胃袋を掴まれそう。
・メリーさん:少女の姿の怪異?
……備考:都市伝説の中でも、屈指の強力な存在。……しかし、相性というものが存在する。
・桜井さん:同じ会社の、別部署の女性。今は同じ部署の同僚。
……備考:主人公の事が本気で好きらしい。
好きって言えないなら、好きって言わせればいいと言われた。
なら、まずは胃袋を掴むと張り切っている。
・赤マント:男性の姿の怪異。
……備考:辺りが夕日に染まる頃発生する怪異。
その姿は、夕日に染まったからか、返り血に染まったからか、赤いマントを着ているようだと表現される。
子どもに質問し、返答内容に応じた方法で惨殺するとされている。
親の子どもに対する愛情を逆手に取ったかのような存在。
子どもに対して、絶対的な優位性を持つ。
紳士などでは、決して、ない。