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第4話 たぬきのワタシに出来ること


「ああ……あのときはマジで痛かった」



 お地蔵さんへの頭突き(ヘッドバット)を思い出したら、なんだかおでこがヒリヒリしてきた。


 あの空爆から数日後の真夜中、私と史朗にぃは馬の背の後方にある九十九つくも岳という丘を登っていた。濃い霧がこの小高い丘を覆い、月の光は重なり合うような分厚い雲のせいで、この島を照らしてくれることは滅多にない。


 お化けでも出てくるんじゃないのかと思うほどの暗い夜のなか、史朗にぃは一歩一歩、確かめるように歩を進めていた。そのたびに吐く白い吐息が、シーツのような純白の水粒と溶け込み身体を包み込んでいく。


 そんな史朗にぃの襟巻マフラーに化けていた私は懸命にモフモフと首周りを温めていたが、さっきも言ったようにこの霧の濃さだ。私の体もずいぶんと水気みずけを含んでしまった。



「なぁ鼠乃松そのまつ。いい加減自分の脚で歩いてくれよ」



 史朗にぃがやけに面倒くさそうな声でつぶやいた。当たり前である。何を隠そうこんな夜分遅くに連れ出したのは私なんだから。


 でもしょうがないじゃん。

どーしても私は行きたかったんだし。


 私は化けてた襟巻マフラーから耳をピョコっと覗かせた。誰も周りにいるはずがないのに、もぞもぞと動き、内緒話のように耳元でヒソヒソと喋る。



「駄目だよ。この辺りは藪が生えてないし、足跡が見つかっちゃうとまた中佐にどやされちゃう」



 そう私がささやくと史朗にぃが少しはにかんだ。もぞもぞと耳元でささやく襟巻わたしがくすぐったいのか。それとも、自分で歩くことがただ単にめんどいのをやっぱり見透かされたのかな。



「でも、軍隊狸の“人間可視化行動”は夜間なら許可されているだろ?飛行場の建設だって鼠乃松たちがいなかったらこんなに早く終わらなかった」

「中佐がとにかくうるさいんだ。化かしついでに肥溜めに落としたのをまだ根に持ってる」



 史朗にぃはやれやれと言ったように首を横に振る。理由ワケを聞いたせいなのか、かすかにはにかんでいた顔はいつの間にかニッコリとした笑顔に変わっていた。



「それに私、あの人あんま好きじゃないしね。馬の背にだってまだたぬきは入ったらダメって言うし。あの人は“たぬき差別主義者”だよ!それに空襲のときだって一目散に逃げたらしいじゃん?それでヤマトダマシー、ヤマトダマシーうるさいんだからまったく!」

「まぁあの人は七光りも同然だからな。あんまり言ってやんな。直属の兵士たちがかわいそうだ」



 私はぶすぶすとあからさまに不機嫌な声を発していたが、それを意に介すことなく、史朗にぃはなおも笑みを浮かべている。


 すると、足場を気にしていた史朗にぃがおもむろに上を向いた。



「ほれ、もう頂上だ」

「あっ!ほんとだ!」



 史朗にぃが最後の上り坂を登りきる。頂上に着くと、ちょうど目の前の霧が晴れ眼下の景色が露わになった。

 そこには悠然ゆうぜんとそびえる山々とその尾根が霧化粧を施し、広大な自然が私たちに見せつけるかのように広がっていた。



「すごいな……本当に幻想的だ。南方のサイパンではこんなのはまず見ることはできなかった」



 そんな史朗にぃの感嘆のため息にちょっと嬉しくなって、私は調子よくしゃべり始めた。



「そうでしょ!最近この島にやって来た史朗にぃは知らないと思って!月明りが出るともっとすごい絶景なんだ!それにあそことほら!あそこが港で、あそこが北方富士って呼ばれてる山で!それであの尾根が……」



 そのとき思わず、息をのんだ。

 

 ちょんと指をさした方向にあったあの馬の背は、初めてこの場所に登ったときに見えたそれとまったく異なっていた。

 先日の空襲で青々しく茂っていた藪や草木は真っ黒な炭となり、一面の焼け野原が終わりのない漆黒の絨毯のように永遠と続いていた。



「鼠乃松、お前の出番だ。祈ろう。四国の仏閣に神使しんしとして祀られているお前が祈れば、あいつらも喜ばしいはずさ」



 この丘をもう一度登ろうと思っていた本当の理由ワケ。史朗にぃは分かってたみたい。


 その真意を、突かれてしまった――

 



 高射砲の第一分隊、第二分隊の人たちはもういない。たしかあの人たちは貴重なお酒を、二度目の上陸部隊としてこの島に来たとき、わたしたちに“ケンジョウ”してくれたんだっけ。


 直属の“狸付き”の部隊でもないのに。優しい人たちばっかりだった。だけど、“悟られない”が化け狸の譲れないポリシーである。あの時地蔵に化けてた私たちは、えらく戸惑ったんだっけ。


 でもそりゃそうだよね。


 まずこんな殺風景な狐島に地蔵がひょっこりあるのはゼッタイおかしいし。新しく来た人たちを一目見ようと藪からこっそり化け出たものの、よくよく考えたら岩場の作りかけだった港にお地蔵さんがいるわけないじゃん。


 上陸がてら急に行進を始めたと思ったら、なんてこった徐々に近づいてきやがって。案の定先頭にいた隊長さんと目が合ったんだ。


 眉間にしわを寄せながら数秒ジーッと見つめられる。人間の頃から思い返しても、男の人に見つめられるという経験は私の人生の中で数えるうちもない。

 その熱い視線に私が耐え切れず目をそらした瞬間、急ブレーキを掛けたように行軍が止まっちゃって。


 その後ろで新兵さんたちが、なにやらヒソヒソと話し始めたかと思うと、私たちの目の前にこぞってワイワイとお酒を積み上げ始めちゃった。


 ここに来る前にめちゃくちゃ叩き込まれた“超スパルタ鬼畜狸”こと檀十郎おじさんの『絶対バレんじゃねぇぞ』って言葉が脳裏をよぎりまくって尋常じゃなく汗をかいたのを覚えてる。

 

 その後方で古参の兵士たちは、バレッバレの私たちをみて懸命に笑いをこらえてるし。

 結果、プライドの高い猫松は地蔵フェイスを真っ赤にしてプルプルしだして、人見知りの猫竹は滝のような汗をぐっしょりかいて足元に水たまりが出来てるし、鼠乃竹といったら爆睡かまし始めてモフモフの尻尾が地蔵から出てしまってる始末だ。


 檀十郎おじさんの化け学講座中であれば、罰として最寄りの田んぼに耳まで沈められるレベルの大失態だなと私はひとり震えた。


 でも……黙々とお酒を積み上げてる兵士たちの顔はなんだかすっごく嬉しそうで。目が合いそうになるたび私が目線をそらすのに、その都度ニッコリ笑ってくれた。

 そのとき隊長さんがボソッと呟いたことを、私は今でも覚えてるんだ。



「ありがとう。あなたたちと一緒だから、俺たちは戦える」



 このとき思ったんだ。

この時代のたぬきたちがどれだけ慕われているのかって。私たちの力が、どれだけ彼らの支えになってるのかって。


 だけど……。



「私たちは……彼らに何もしてあげられなかった」



 ヨイショヨイショとにこやかにお酒を運んでくれてた若いあの青年たちの顔が、閉じたまぶたの裏に浮かんでくる。いつの間にか私の化けの皮は剥がれ、気付けば涙がとめどなく溢れていた。



「だから祈るんだ。鼠乃松よ。祈りは勝つためだけのものじゃない」



 ヒックヒックと、嗚咽を懸命に殺しながら、彼らのことを想った。彼らが戦ってくれたあの場所が見えるここから、彼らに祈る。

 

 それが、たぬきとして転生した私が出来る弔いなのだと。私は小さく手のひらの肉球をそっと合わせ、史朗にぃと共に目をつむった。


 緩やかに吹き付ける潮風と共に、この島に寄せる波音が、遠くから静かに聞こえてくる気がした。



 あの隊長さんの、言葉とともに――



 ジュルジュルと垂れまくっていた鼻水をすする。涙と鼻水が史朗にぃのコートにかかりまくっていたが、それに気づくのは少々先のことである。



◇ ◇ ◇



「こんな雄大な自然を見ると、歌を歌いたくなってくるなぁ。聖歌団に入っていた時のことを思い出すよ」



 ひとしきり祈り終えたところで、私の涙と大量の鼻水でコートがグッショリになってしまった史朗にぃが唐突に言い出した。

 

 一方の私はというと、既に史朗にぃの肩の上から降りて、一刻も早くコートの件を謝んなきゃいけないと一匹おろおろしていた。


 だが気付いていないのか、拭き取ろうとするそぶりすら見せない。この人は寛大なのか、それともただ単に鈍感なだけなのか。



「歌?なにを歌うの?」

「ミサ曲さ」



 コートのデロンと垂れてキラリと光る大量の鼻水がちらちらと視界に入るたび、なんとも言えない背徳感を感じていた私はおもわずポカンとしてしまう。


 その阿呆みたいな泣きっ面をちらりと見た後、史朗にぃが続けて説明してくれた。


 “葬送曲レクイエムさ。

死を迎えた人に贈る歌なのだと。”


 史朗にぃは胸元から取り出した十字架のネックレスを握りしめ、目をつむりながらそう呟いた。



「天国に行く人を祈りと歌で送るんだね。アメリカ人の神様は不思議だなー」



 けど人間だったころの教養がすっぽり無くなっているわけじゃない。私は知らないふりをしたけど、キリスト教くらい知ってる。もちろんそのミサ曲っていうものが聖歌っていうことも。


 医学の道を志して、アメリカに行っていた史朗にぃ。そんな第二の故郷でもある国と相対あいたいすることとなってしまったこの戦争に・・・・・・


 あなたはいったい、何を思うのだろうか。


 史朗にぃの顔を覗いてみたけど、山影と海の水面みなもが映る淡いその瞳を見ると、聞くことをどうしてもためらってしまう。



「鼠乃松よ、俺が死んだら歌で送ってくれるか?」



 史朗にぃはまた、少しはにかんだ表情で私に尋ねてきた。


 私は困惑した。


 だって、史朗にぃの言いたいことがなんとなく分かってしまったから。でも、それになんて返せばいいのかわからない。



「たぬきは……祭囃子まつりばやししかわからないよ」

「そうか。でも、祭囃子でいいんだ。殺伐としたこの戦場から、笑い声の絶えない祭囃子で天国に送られる。この上ない幸せだよ」



 まるで死を覚悟したかのようなその言葉に、私は慌てて口を挟んだ。



「ダイジョブ!私たちがついているかぎり勝つから問題ないよ!“狸付の部隊”がこの島の守備隊にはいるんだ!」



 けど、私は知ってる。


 この戦争の行く末を。

でも分からない。

この島に残る人たちが、

史朗にぃがどうなっていくのかを。

私はこの戦争を知ってるようでなにも知らない。

この戦争で戦ったこの人たちのことも。

日本から遠く北方の孤島で、

戦ってた人たちがいたってことも。

学んできたようで、

本当は何も学んでいなかった。


 ふと、もう一度史朗にぃの顔をみる。

 少し微笑んでいたはずの表情は、苦虫を嚙むような険しいものに移り変わっていた。クリスチャンとしてではなく、アメリカという国を知ってる史朗にぃだからこそ、今の私の言葉は複雑なものだったのかもしれない。


 そんな史朗にぃが、もう一度何か言いかけたその時、雲の切れ間から一筋の月明かりが島全体に差し込んだ。

 島の山々をまばゆ月光げっこうが照らし、壮大な絶景が眼下に広がる。


 史朗にぃのこわばった表情が一瞬、

驚きに変わった。



「……そうだな」



 なにかを察したのか、それともなにかを悟ったのか、ひと言そう呟くと史朗にぃは再び愛らしい笑顔を浮かべ、眼下に望む光景を見続けた。


 隣にちょこんと立っていた私は、

史朗にぃをもう一度見上げてみた。

 

 私はこの人の笑顔が大好きだ。

だってその優しそうな横顔は、死んだ私のおにいちゃんにそっくりだったから。そういえばおにいちゃんもよく胸元の十字架を握りしめてたっけ。


 初めて史朗にぃに会ったとき、この人はもしかしたら、おにいちゃんの生まれ変わりなのかもと思ったけど。私がたぬきに転生したのは、『70 年前の日本』だった。

 

 そう、

あの地蔵のタマタマがおでこに直撃したそのあと。


 たぬきになっちゃった私が初めて会った人。

史朗にぃが言うには再会らしいけど。この世界で目を覚ましたとき、絶望のなかで出会ったのが史朗にぃだった。

 

 きっと私がこの物語を、誰かに伝えなくちゃいけないとき、私はこの人との出会いから語り始めなきゃならないはずなんだ。


 この人たちと共に歩んだ、

私たちの鎮魂歌レクイエムを――

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