死Ⅰ
寝てください!!
死は終わりでないのですが。
死を苦しみの一種、もしくは救済のようにとらえる信者によって、死神という一種の偽神が発生し、本来の信者が、死を終わりと捉えてしまうから。
それも広大なサイクルの、一つの点でしかない。
人には過去も現在もなく、一点の今だけが存在している。
動く点として存在している。
その偽物の神である死神が形成したのがこの世界、と問われれば、人による、とわたしは答える。
貴方が捉えた通りの世界が広がっているからだ。
事実存在することによる信仰は、死をもってしても、信仰していることに変わりはないからだ。
存在によって世界を崇めるか、死を以って死神を崇めるかは自由だ。
ⅩⅢ(死神)はいずれ来る、万人に訪れるものであるからこそ、それを絶対的な神であると錯覚する者が多いのだろう。
必ず訪れる終わりとしては合っている、が、それを絶対的な神であると思うは誤り。
実在するものであるから。本当の絶対的な神は、実在があやふやなもの、わたしたちが普段からそこにいる、内包。
死を救いだと思う者により、ⅩⅢ(死神)は力を得ている。
大鎌を持ち、黒い布を羽織り、痩せこけて骨になったそれ。収穫者はいずれ行き着く先であり、しかし、それは人としての終わりというだけで、この世界から消えるだけの話だ。他にも世界はあるのだから、その終わりを恐れることはない。全ては繋がっている。
人は経験したことのない事象において、恐怖を感じることを知っているので、そして、死によって別の存在となった者が、二度と此方に還ってこないことが、改めてその孤独さを引き立てているのだろうか?
『死神の仕事はまさしく収穫者ではあるが、収穫する実がなければ、私たちは職を失う。
生がないというのは死もないのだから、つまりは死神というものすら消滅してしまうんだろうな。
だからと言ってこれ以上忙しいのは嫌だし、かと言って少なくなられると力を失っていく。
人間は在るが儘にいればいい。』
昔は冥府の死者の方が多かったのに、今は生者の方が数を上回っているではないか。
過去を見よ。過去に栄えた数々の生命も、今や潰え、そして滅びに向かおうとする生命たちが多数いるのに、人間は数を殖やす事を考え、いずれ来る終焉を恐れている。
潰えし生命たちは、終焉を恐れずに受け入れたというのに。