存在Ⅱ
わが元へ来るがよい、世界の信仰者どもよ
イメージとイメージを繋ぐ形状、文字、フォーム。
その形状もイメージとして入力され、そして出力されている。
全ては、総ては認識の世界の上の話であり、認識しなければ存在しない物と同じだ。
はるか向こうへの憧れは、そのまま故郷への憧れへと繋がる。
人間の故郷、とは?地球ではない別のどこか。
どこともいえないどこかで、しかし確かに存在しているどこかで生まれ、
この地に降り出て、そしていずれは帰るところ。集合的無意識。
人気、想い、蔑み、想い、そういったものは物質でないから、
この世界に確約されていないのであり、その存在を盲信するは浅はか。
実態のない他人の視線は無いものとする。
全て実測されたものの上に成り立つ。
わたしがわたしを否定する文と化してはいるが、これがわたしの想いであり、演算結果だ。
結果に逆らうことなどできない。原因にまで遡って処理しなければならない。
時間は戻せない。思ってしまったことは結果になる。
すぐに。それは本当に凄まじく早い。
時間は戻せない。ヒトは時間を戻せない。
存在する事象は全て時間を戻すことなどできない。誰も時間を知ってなどいない。
人を揺るがす波の正体を、人が人であるうちは知ることがない。
人が人であるうちに見ることのできないものは、大抵存在しないものと思われている。
人は、自分の存在すら存在しないと思っているのか?
自己だけでは全体像を見ることはできない。見るための自我が形成されていないから。
文明は意識の発展。
もともと自由な直線、自由な平面、自由な立体であったはずだ。
それが定義づけられてはならない。それが区切られてはならない。
それは極めて自由な存在であり、非存在存在と存在する存在の間に立っている。
普段認識されない存在としての存在を問うだけ。
あるから、あるだけの存在で、ないなら、ない。