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玉依手稿  作者: Trakhtn
思想Ⅰ
18/58

存在Ⅰ

箱庭を見よ

今日も、生きて、生きている。生きていると死んでいるの境界、意識の有無に他ならず、

そこに肉体の存在、肉体の状態は加味されない。

では意識の有無とは?意識の死とは?精神の死とは何だ?


誰からも気にされない存在、誰も気にしない存在、

つまり人間界隈から離れる必要があるのだが、現実にも、

ネットにも人間界隈が広がっているのだから、絶対に、逃げられない。

どこまでいっても「人間界隈」からは逃れられない。人間であることからも逃れられない。

なんと重い鎖だろうか。

時折生きているということを半信半疑、疑いの目で見てしまう。

この世界は本物なのか?ここにいるのは事実なのか?生きていることは事実なのか?

この世界は存在しているのか?

上の世界から見れば、ここはただの箱庭なのだろうな。

わたしたちの人生すら。笑いものにされる。わたしは人を楽しませるため?

過去の物体は現在にあらじ。現在の物質は未来にあらじ。

そもそも過去を創り出すは脳髄、はたまた細胞の数々が各々に。

そして未来というのは存在せず、線だと今まで思っていたものは線分であるのだ。

少し進むたびに前の線分は消されて、結果的には点しか残らない。人間には、生物には今しかないのだ。


この世に闇などないのだが。この世に光などないのだが。


全ては空である。虚構である。

認識することそのものが虚構であり自分の存在も虚構である。

何一つ信じられるものはなく、この世には何も存在していない。

もしそこに何かを見出すことができたとしても、それはあなたの虚像かもしれない。

世界は共有されるべきものだが、最初からそういう風にできているわけでもない。

だからこそ人はすれ違うのだから。だからこそ芸術は生まれるのだから。

肉体を脱却すれば、確かに世界は共有され、るが、

世界が共有されなかったことでの芸術は死してしまうから。わたしはそれが悲しい。


だからあくまでも「脱却せよ」で、「脱却すべし」ではないのだ。

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