世界Ⅲ
考える葦によって解析
「物質」の世界以外にも他に色々とあるはずだ。
「物質」と銘打っている限りあるに違いなき。いいや在る。
わたしはその物質でない世界を求めている
世界。
区切られてなどいない 全て板の上だった 無限たる板の上
時間。
区切られてなどいない 全てが自由でいた 無限の自由の身
それを区切った。人は世界に釘を打った。人は世界を流血させた。
それを区切った。人は時間にメスを入れた。人は時間を解剖した。
一本取の色取り取りの世界、一つの目で見た世界
二本取りの色取り取りの世界、二つの目で見た世界
その差異はただ目玉の数に非ず!
二つの目で見ていても、一本も取らず世界を縫う者もいるというのに。
目玉の数と本数は関係がない。能力と目玉の数に関係がない。無い
世界、これは意識する存在の認識によって成り立っており、他のそれ以外のものは存在しない。
認識の存在を問うには、器が必要であり、人はこれを肉体と称する。
人は。また認識する者と認識する者の間ではある程度の情報の共有はされてはいるが、
絶対にあり得ることはない。二つが同一になることは。
認識によって世界は成り立つ。世界は、その認識する者の道だった。
そしてこれからも線分であり続ける。 認識する者には時間制限というものがある。
認識する者はその間に何を考えてもいいし、何を見てもいい。
しかし、時間は本来区切られているはずもなく、
認識する者もまた、別の認識する者によって、彼の世界に杭打たれる。
流れる液体は知名度、評判、そういったもので構成されており。
杭打たれ、数々の、数多たる認識する者の世界に杭打たれることにより、
たくさんの液体を流して、それは間違いもなく確約される。逆に言えば、数多たる視点に影響される。
この世界の物質的現象に原因はある。結果はある。
しかし、目に見えない事象に対して人間が原因を問うことは不可能に等しい。
結果だけが浮かんでいるのみだ。
この図は、太陽系にただ一つ水の惑星がある図と、
該当なしに満たされた空間に存在している認識された我らが宇宙の図とほぼ一致している。
つまりあなたが今すべきことなのは、地図を愛するのではなく、世界そのものを愛することだ。
区切られた世界の、境界線を見るのはいけないこと、それで人を区別することは在ってはならない。
人間が人間を区別しようなど、あまりにも傲慢ではないか。