世界Ⅰ
全ては許された
夢の世界が実は本物であり、
この世界の方が夢だったという可能性も捨てがたいがそれはたわ言である
世界は人間の見た夢。そこに映っているのは人間の見た夢。
その夢から抜け出す事はできない。ディレクトリ構造のように。
人間は夢の中で夢を見る。
人間の見た夢。人間が見た夢。人間は夢の登場人物。
足掻くしかないもの。足掻くしかないから、努力をする。
足掻くしかないから、試行錯誤する。
考える生き物であるからにして、考えることを止めることはできない。
ずっと動いたら動いたまま止まらない。止まれない。
時々誤作動を起こすことがある。判断ミス、などの。
時々でもいい。人間の枠を超えてみないか。
人間が敷いた枠を超えて、少しだけでも外の世界を見てみるといい。
感性だけの世界を。
演算し続ける。終わりを迎える日までわたしは常に考え続ける。
終わりとは肉体の脱却を意味し、そしてそれは世界へ至る唯一の道、
王国から上へと上り詰める、知恵の隠れた道を通して上へ至る。
物質的な世界は狭い。
そして物質に囚われることが無くなれば壁は取り除かれる。
無限大の世界が其処に在る。
周りの声は波、波に感情を感じるのであれば、それは感情と言う名の物質であり、
そして全ては物質世界に依存して、精神とは物質であることに着目する。
全ては物質世界の上に成り立っているのだが、
そうともなれば同じような考えを持った者がいてもおかしくないのでは、と思う。
ホルモンと呼ばれる情報伝達物質によって表現された数々の感情も、
精神という不確かな物質ではなく
物質世界に存在するタンパク質が生み出したものなのでは、そしてわたしは物質であると
何を思うことがある。
全てはこの世の解明のためにあり、
そして分かったところで「どのように行動するか」を明らかにしなければ、
学んだ意味がなくなってしまう。
人間が、人間たちが当たり前のように産まれ、生きて、死んでいく、
この世界のことを、実はよく分かっていない。不確定なままだ。
この世界と言う名の一種の箱庭を誰も気に留めない。
何でできているか、よりも、何故存在しているのか、よりも、
自分の生活の方が重要なのだ。
自分が何でできているのか、気に留めない。それが寂しい。
生きている時間を、ただ一つの道のために進み、他を見ようとしない事実が悲しい。