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「頭痛がする……」
ユキ達のもとへ行った後すぐに襲ってきた頭痛、そしてなにかを忘れているような感覚が、何者かによる人為的なように思えて気持ち悪かった。
集中できないときにする食材の調理は、危険な事この上ない。
「……時間はあるし、大丈夫かしら」
時計を確認してそうつぶやいたウレイは、冷蔵庫横の小椅子に座った。
しばらく経っても治りそうな兆しはない。むしろ次第に強くなっていく。
だんだんと、ちゃくちゃくに、悪魔が『記憶』を蝕んでいくような、忌々しく汚らわしい感覚が脳全体を支配していた。
今のコンディションを一言で表すならば、最悪、だ。
「……つらっ」
日常的に苦言を吐くことのない彼女だったが、これには吐かざる負えなかった。もっとも、苦言を吐いたところで、その謎の頭痛が治ることはないけれど。
……偏頭痛は、患っていなかったはずだけれど。
突発的に頭痛が起こったので、その線を疑った。だが生憎と医学方面の知識には乏しい。今すぐ調べようにも頭痛が許してはくれない。
加えて今の自身の近況を報告できる相手はいない。
最も信頼を寄せているユキも、さっき自分から買い物を頼んでしまったばかりだ。最近のスーパーマーケットまで片道三十は最低でもかかる。買い物をする時間もかかる。願望も加えて軽く見積もってあと四十分は帰ってこないだろう。
アウロラは仕事中。アレイは文化祭実行委員で学校だし、クレイには意地でも縋りたくはない。
ニーヴはユキに起こされてから姿を見ていない。どうやらまた寝ているようだ。
「っち……!」
コンディションだけでなく、状況も最悪なようだ。
これは神様からの試練か? と突拍子もない非現実的な考えをしてしまう。
まるで「そうだったらいいな」と偶像に自分の弱さを押し付ける、理想主義者のような考え方をしてしまった自分が腹立たしくなった。
「ど、どうかしたのお姉ちゃん!?」
「あ、え? ニーヴ……?」
自己嫌悪に苛まれている彼女の傍を通りかかったのは、意外なことにニーヴだった。
心配そうにこちらに駆け寄ってくる。
「なんで……? 寝てたんじゃないの?」
「んなっ! さすがに五度寝なんてするわけないじゃん! ストレッチしてたの!」
「……嘘つき。お菓子食べてたでしょ……袖に生クリーム、ついてる……」
「おわっ!?」
ばれた! とばかりに過剰な反応を見せるニーヴ。実際は『てきとー』に言っただけなのだが、こういうときの予想はどうやら的中率が高いようだ。
なにがどうであれ、ここで彼女が降りてきてくれたことはとてもありがたい。
ずいぶんと久しぶりに『使える』と思った。
「そんなことより……おじいちゃん、呼んできてくれる……?」
「りょ、了解しましたー!」
申付けられたニーヴは大きな返事をして、逃げるように走っていく。
元気なのは良いが、あのままいって転ぶなんて二次災害を招きたくはない。
それが、優しい姉心というやつである。
✽
ウレイに言いつけられた通りのものを買ったユキは、山道という名の帰り道を歩いていた。片道三十分近くかかってしまうのは、家の前に構えるこの山を登り下りしなければならないのが大きい。
ユキ命名『鬼畜道』だ。今さっき思いついたばかりである名前は、人にストレートに「ああ、きついんだな」と思わせることができる、画期的なものだった。
……ボクサーのパンチ以上にストレートかもな。
なんてことを思いながら山道を進んでいく。
「うんしょっ!」
――ぱき。
「ぱき?」
掴んだ木の枝がそう残酷に音を立てた。
時間が限りなく静止に近いスピードで流れているかのように、目の前の景色がゆっくりと降下していく。
「ちょ、おい? 待てって、話し合おうや!」
落――下。
「嘘だろ――――――――!!!!」
木の枝への相談虚しく、重力は華麗な手さばきで彼をふりだしに突き落す。
この高さから落ちれば、常人なら軽く死ねるだろう。だがユキはまだ死んで逝っていい歳ではない。
……〈身体強化〉!
それは彼の持つ能力のひとつ。
己の身体能力をすべて十倍近くまで底上げし、肉体で闘い肉体で護る、戦士の能力。完全適合魔力系統『強化』の人間がよく所有する能力である。――魔力には系統があり、能力にも個々に適合する魔力系統が存在する。もっとも、完全に魔力が適合しなければ発動できないわけではない。完全適合魔力とは、その能力のポテンシャルを最大限に引き出すことのできる魔力に過ぎないのだ。ユキの魔力系統は、すべてに適合する『多様』である。
ウレイの完全適合魔力系統『縛』の〈制限限定〉によって彼には制限がかけられており、一日二分間限定でしか発動できないが、十分である。――〈氷輪気造〉は適合魔力『生成』の能力であるが、制限限定も発動できるのは、彼女の魔力も多様系だからである。
食材やら生活用品やらがたんまりと入っているエコバッグを胸に抱き、護りながら落ちていく。
砂利に背中を打ったが、耐久力も十倍になっている今の彼にはノーダメ―ジに近い。例えるなら、ささくれに気が付いてひん剥いたときくらいの痛みである。
「よっし。中身は大丈夫だ……やべっダチョウの卵にひび入ってる。まぁダチョウだし大丈夫だろ、ダチョウだし」
一安心ついたのは良いことだが、これからまたあの山道を登るのかと思うとげんなりする。いっそのこと身体強化を使用したいところではあるが、制限を設けられている能力だ。残った一分三十秒くらいで登り切れるとは到底思えない。
ユキは口から溜め息を漏らした。
「さて登るか……!」
と結構ノリノリに気合を入れて立ち上がると、じゃりっと足音がした。
聞こえた方に目をやると、ひとりの少女がいる。
黒い装束に身を纏い、フードは被っていない。肩まで伸ばされた銀髪が可愛さと美しさを両立させている、美形の少女だった。年齢は彼よりも上だろうか、雰囲気からしてそう思える。
この出会いがマンガやアニメである、『ボーイミーツガール』という喜ばしいものならば大歓迎だ。けれど彼女の瞳はそんな生易しいものではない。
まるで獲物を捕えんと睨み、今にも飛びかからんとする獣のような瞳だ。
しかしそこには、「当たり前」や「仕方なく」といった擁護に値する感情は無く、「憎しみ」や「嫌悪」といった負の感情に彩られていた。
「なにか?」
ずっと黙って睨みつけてくる少女に訊いた。
しかし返答はこない。
「……こんにちは。クーリアの忌子ユキラウル」
「誰、お前?」
「…………」
なぜ見たこともない少女が自分の名前を知っていて、気安く忌子と罵られるのか。
言われたことに虚偽などはない。事実を言われたことは事実として受け止められ、理解はしよう。だが、次の瞬間に言われたことは理解しがたいものだった。
「“我々”は“ドルグワント”。ユキラウル・クーリア――」
――もしも彼女との出逢いが、道を尋ねられただけだったなら。次の瞬間には別々の道を進んでいて、視線が交錯することがなかったなら。そんな未来が待っていたなら、どれだけ嬉しいボーイミーツガールだったか。
「――あなたをこの世から抹消しにきました」