2―1
ほんとごめんなさい
「馬鹿なんじゃないの!?」
野球部による練習が行われている離島第一中学校のグラウンドで、マネージャーである楓の怒声が鳴り響いた。練習中の野球部の声や衝撃音よりも一段と高く大きい彼女の声に、周囲がびくりとし、そちらを見る。
見るとうずくまってなんとも汚いモノを吐き出しているクレイと、彼に駆け寄っていく楓の姿があった。楓の表情は、もの凄い剣幕、というよりも心配に青ざめていると言った方が正しい。
どよめき立つ部員達を、部長である灼球は制する。
「お前らは練習! あっちは俺に任せろ!」
「「「う、うっす!」」」
灼球に言われた通りにする、部員達の声や衝撃音がグラウンドを征服した。
楓はクレイの隣に寄り添い、彼の背中をさすっていた。
「う、うえっぷ……オロロロロロロ!!!!」
「ぅぅ……。大丈夫?」
「おっぇ! オロロロロロロ!!!!」
「……じゃなさそうだねー」
つんと鼻につく臭いに顔をしかめながら彼を見守る楓は、深い深い呆れの溜息を盛大に吐き出した。
……完全に食べ過ぎでしょ。
食後すぐに運動をすると腹痛になることがあるため、少々気にかけてはいたのだが、さすがに嘔吐までは考えてはいなかった。まぁ、考えていたところでエチケット袋を渡しておくことぐらいしかできることはないし、眼下に小池を作ってしまうほどの量であるからゴミ袋を渡すことになっただろう。そうはいっても「邪魔だから」と言って受け取らないのがクレイである。受け取ったとしてもいつの間にかゴミ箱にっぽいだ。
彼女らのもとに灼球は駆け寄ってくる。
くるなり灼球は眼下に広がる、否、足元に侵攻してきている汚物を見て一歩後ずさると、シリアスな顔をする。まるで殺人事件が起きたときに涙を見せながら悲しんでいるふりをした真犯人のように、悲しみの声を漏らした。
「どうしてこんなことに……」
「灼球先輩!? 今完全に帰りたいと思ってますよね!? 『こなきゃ良かったな……』とか思ってますよね!? 最低ですか!?」
「失敬な! 俺はそんなこと思ってないよ! ちゃんと心配しているさ!」
そう言い切った灼球。
ふと疑問に思う節があった楓は、白い目でじとっと見ながら彼に質問を投げかける。
「……そうなんですか。ちなみに、なんの心配ですか?」
「これからここの掃除しなきゃいけないんだなー、汚れないと良いな――はっ!」
「やっぱり最低じゃないですか!」
まさかとは思ったが、本当に部員のことではなく、自分の後のことを考えていた。いくらグラウンドの管理は部長の役割になっているのでこれから掃除しなくてはならないからと言っても、部員以上に大切なものの内に入れてはいけないと、楓は思った。
これからは軽蔑するか、と決意すると、ちょうどクレイの嘔吐が終わった。
「うっぺ、気持ち悪っ……!」
「食べ過ぎなんだよ馬鹿。立てる? 肩貸すから保健室行こう?」
「う、うっす……」
二人が保健室へと向かう後ろで完全防備の灼球は、クレイの吐いた嘔吐物の後始末を始めた。
灼球は二日程楓やクレイをはじめとする、部員達から白い目で見られ、避けられたという。もちろん「げろくさ」というあだ名を付けられて。
✽
離島第一中学校では、せっせと文化祭の準備が、文化祭実行委員(通称文実)を中心にして執り行われていた。
バラルの若者の過疎化が進み、今では五十人足らずとなってしまった離島第一中学校の生徒たちは、無駄に広い校舎の飾り付けに追われている。
軽くバラルの十分の一はありそうな校舎が、全盛期には溢れかえっていたとは到底思えない。幾多の表彰状やトロフィーや写真が辛うじて面影を残してはいるが、今となってはもう見る影もない。
広すぎて手入れの行き届いておらず、ところどころ腐敗してきている第二校舎はこの冬、取り壊しが決まった。
彼らが出入りすることは、学校生活の中で一度もなかったし、そもそも施錠されていたために入れなかった。だから感慨なんてものは待っていない。
けれどいつも見ればそこにあったものが一度なくなることを想像すると、少しだけ寂しい気持ちになってくる。
最後の最後だけ、と言って結託し文実ともろもろのボランティアのみんなは、自分らの第一校舎だけではなく第二校舎の飾り付けも行うことを決めた。
「花嫁衣装と思ってやらない?」
とアレイが言い始めたのがことの発端だという。
どこの馬の骨かもわからない『天国』なんてところにいってしまうから、それが花嫁衣装と表現した彼の理由だ。
文実は主に五つの部類に分かれて勧めている。
その名の通りのメインモニュメントとサブモニュメント、校門を彩るアーチ、有志を募るスカウト、雑用全般パシリ。
アレイはこの中でメインモニュメントを担当している。
今年の題材は宇宙。まるで宇宙空間に飛び込んたかのような感動を与えたいので、中身を完全に宇宙にするそうだ。
さすがにそれには誰もが口々に「無理」と言ったが、アレイはそうは思っていなかった。できると思っていた。彼はできると思ったことしかしない、そして今までもそうしてやってきたことはすべて成功させてきた。
その姿を間近で見てきたみんなには、少しだけほんのちょっぴり、やればできるのではないか、とヤル気が湧いた。
「あ、もうちょっと右ー!」
「「「おっけー!」」」
アレイの指示で鉄骨が動く。今彼らは大きな宇宙船を作っているのだ。
真ん中にどんと置き、今にも発射しそうな臨場感を演出したい。
「そこ!」
「「「おっけー!」」」
「じゃあ後は設計図通りに組み立てておいてくれ。上手くいかなかったらまた呼んで。外側に付ける紙丸めてくるからー!」
「「「おっけー!」」」
アレイは返事を聞き遂げると、見るからに手こずっているスゥイの隣に座った。
スゥイは作っていた丸まった紙をぽとっと落とした。一瞬で頬が赤くなる。
「手伝うよ」
「い、いや、大丈夫だよ!」
「どこが。薄い楕円形のを作る予定でしょ。なんで野球ボール作ってんだよ」
「え、あ、えっとその……。こ、これからその、発展していくんだよ!!」
「そうかぁわかったわかった」
「ちょっ! 憐れむような瞳で『ボク』の頭を優しく叩くな!」
目の端に涙を浮かべて抵抗する。
……そこまで嫌か。
と彼は傷付いた。
スゥイはれっきとした女子である。なのになぜ一人称が『ボク』なのかは、見た目がボーイッシュであるからだそうだ。
見た目が男っぽいなら、口調男っぽくすれば良いのでは? と思ったらしい。
だが周知の事実として、彼女が運動オンチであったり、結構女子力が高かったりと、見た目がボーイッシュなだけなことは広まっている。
それにショートヘアなだけで、ちゃんと女子の顔立ちをしているから、髪を伸ばせば良いのではないかとアレイは思う。
潔く頭を撫でるの止める。
「っ!?」
「さーてと。やるか!」
「や、」
離れていく手を握るスゥイは、悲しそうに言った。
「やめちゃうの?」
「うっ!!」
この瞬間、アレイの脳内でスゥイに猫耳が取り付けられた。
……に、似合いすぎる……!
自分を映す潤んだ瞳、素直になれない心、ことあるごとの仕草が猫に見えてきてしまう。
アレイは彼女に「にゃあ」と鳴かせたい欲求に駆られた。
「な、なぁスゥイ」
「なぁに?」
この猫撫で声に鼻血が噴出しそうになり、必死に片手で鼻をつまんだ。
はてなとスゥイは首を傾げる。こんなとき猫ならば、首輪に付いた鈴が鳴るのだろうか。
「ものは相談なんだが……」
「ボクにできることなら、なんでもいいよ! なんてねっ? ふふっ」
小悪魔すぎて話が進まない。
本当に鼻血が垂れてきたのだろうか。血の匂いがする。
ええい、それでもいい! と決めたアレイは求めた。
「にゃあって言ってくれない?」
スゥイは笑って言った。
「…………死ぬ?」