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サウンドレスガーデン~あたしと子猫の世界旅行~  作者: 瑠璃色唐辛子
出会い編
8/231

第8話 『アイアン』のマスター

第8話目です。

2015年8月12日改稿

***


 次は、どうやって、苛めてくれようか。


 そんな、ベンの物騒な心の内を知らないダグラス。

 哀れな彼が、にっちもさっちもいかずに頭から煙を出そうとしていた。


 その時だった。


 バーの入り口が唐突に開き、呼び鈴となっていた鐘の音が響く。


 ベンの趣味により控えめな鐘の音。

 控えめにしてあったにも関わらず、その音は静まり返っていた店内によく響いた。


「お邪魔、マスターいる?」

「おう、ザエル。ガキは出来たか?」

「あちゃー…、もしかして噂になってる?」


 入って来たのは、若い男であった。

 ダグラスとは正反対の陽気な表情と声音。


 赤い髪をバンダナでアップにした男、『商業ギルド』の顔役の一人でもあるザエル・ウル・ロー。


 彼が入ってきた事で、静まり返っていた店内の空気が少しだけ和らいだ。


 だが、和らいだところで、違和感のある空気は変わらない。

 そんな空気に、彼が気付かぬはずも無く。


「どうしたの?この空気」

「ああ、まぁ座れ。話はそっから…」


 と、ベンがザエルを手招いたと、同時。


 その背後にいた黒と紫の入り混じった髪の少女が見えたせいで、ベンが珍しく口を空けた。


 ついでに、その腕の中にいた子供の姿を見て、咥えていたタバコをカウンターの上に落して。


「キーリ」

「え、あれ?久しぶり、マスター…何?この空気」


 キーリことキーリエル。

 彼女も店の中に入った瞬間に、店内の微妙な雰囲気を感じ取った。


 まるで、誰もが息を潜めて、何かを警戒しているような。


 それもそうだ。


 先ほどまで表題にされていた少女が、何を隠そう彼女なのだから。


「ガキ!?」


 いつもは物静かなベンですら、その腕の中の子供に驚きを隠せなかった。


 確かに噂にはなってはいた。

 しかし、例え噂になってはいても、彼自身はその噂を半信半疑で受け取っていた。


 彼女が、そう言った浮いた話一つ無い事が、唯一の要因に他ならない。 


 半年もの間、姿は見かけても声を聞く事もなかった義理の娘とも言える少女。

 だが、そんな少女が、半年振りに会ってみれば10歳ほどの少女を抱えているなんて誰が思うだろうか。


「…あ」


 そして、3年ぶりに顔も声を聞いた人間からして見れば、その破壊力は計り知れない。


 ダグラスは、空耳かと思えるような小さなキーリの声を聞いて、ふと我に返った。

 3年も想い続けたのは、やはり伊達ではなかった。


 ストップしていた思考の中でも、しっかりと彼女の声を覚えていた。

 そして、愕然とした精神状態の中でも、聞き分けていたらしい。


 恐るべき執念だと、後にベンは語る。


 しかし、可哀想な事に、噂は本当だった。


 彼は、その衝撃の事実をリアルタイムに知ってしまった。


 振り返ったと同時に口の形を「あ」のままで動きを止めたダグラス。


 まるで人形に早変わりしたかのような彼を見て、ふと彼女は目を瞬かせる。


 ダグラスは彼女を知っている。


 なにせ3年もの間、慣れない空気に耐えながらも会う事を望んでいた少女。

 それがキーリなのだ。


 しかし、そのキーリの腕の中、きょろきょろと所在なさげに目を瞬かせている少女然りの少年の姿。

 それを見れば硬直も、さもありなん。

 それどころか心臓でも止るかもしれない。


 とは、ベンが密かに思った事ではあったものの。


「…アンタ確か『軍』の討伐隊隊長…」

「『軍』大隊長のダグラス・トールだね。…何?キウイ知り合い?」

「知り合い、というか…顔だけ知ってるというか…。3年ぐらい前か?『メガ』級に出くわした時に、討伐隊とも鉢合わせになったって言っただろ?その時の隊長だった…ハズ」


 かくいうキーリも一応は、ダグラスの顔を覚えていたらしい。


 ダグラスにとっては、唯一の幸運だった事だろう。


 キーリとしては、あの時はあの時で、怒鳴りつけた事もあった。

 その手前、恐々としながらそのダグラスの事を見ているだけであったが。


「あー、あれね?ってなると思った?初耳だけどその話!!」

「あれ?言ってなかった?」


 ザエルにとっては、初耳の話題が飛び込んで来た。


「何よ『メガ』級って!?」

「…話してなかったっけ?」

「聞いてない!!なんて危険な事してんのよ!?オレがわざわざ、安全のクエスト斡旋あっせんしてる意味がなくなっちゃうんだけど!?」

「安全なクエストの時に『メガ』級にでくわしたんだから仕方ないだろうが!ま、まぁ、鬱憤も溜まってたからこそ、あの『メガ』級のタートルのぶつけまくって来た事は否定しないけど…」

「鬱憤溜まってたからって自殺行為されるこっちの身にもなって!?」


 


 その場でザエルとの言い合いが始まってしまった。

 おかげさまで、すぐに視線は彼から外される事となった。


 そのダグラスの視線は、未だにキーリの腕の中に抱かれたままの少年に向けられている。

 そんな事も、今の彼女は気づけもしない。


 店の中の空気は、更に不明瞭なものに化していた。


 ザエルいわく違和感ある空気。

 すっかり彼女達の登場でもはや混沌カオスだ。


「店の入り口で夫婦漫才してんじゃねえ」

「「夫婦じゃない!!」」


 見兼ねたベンが制止をかけた。

 それと同時、揃って否定をしたキーリとザエル。


 これには、さすがにベンも「あ?」と口を開け放している。


 ダグラスよりも早く衝撃からは立ち直っているものの、まだ動揺が拭えないままで。


「じゃあ、そのガキはどうした?浚ったか?」

「違う!!マスターまで浚ったなんて言うのか!?」


 と、声を荒げたキーリ。


 しかしながら、その少女然りの少年が、彼女が大きく張り上げた声に竦んだのを腕に感じ取ったのか。

 すぐにあやし付けるところを見れば、すぐに前言を撤回せざるを得ない。


 夫婦じゃない。

 浚って来てもいない。

 だが、彼女の腕の中にいる子どもは間違えようも無く、どう見たとして10歳前後の子どもだ。


「二人とも、座れ。まずは、そっからだ」


 こういう時こそ、冷静に。

 ベンの経験上の勘は、遺憾なく発揮された。


 ベンは、ふと溜め息を吐き出して、入り口を騒がしく占領したお騒がせ漫才夫婦、もといキーリとザエルをカウンターへと手招いた。


 取り残されたのは、一人だけ。

 その口を「あ」の形で固めたまま、動かなくなったダグラスだ。


 そんな彼に対してベンは、静かに「ドンマイ」とだけ呟いて。

 それ以上、彼を苛める事も無く追撃を取りやめた。


 慰めもしないのも、ある意味彼の優しさではあった。



***



 先ほどの、騒ぎは一体なんだったのか。


 落ち着きを取り戻した店内。


 昼下がりの休憩やらなにやらを楽しんでいた『ハンター』達。

 そんな彼等も聞き耳を立てている中、


「…と言う訳で、この子を拾った経緯はこのぐらいかな。ザエルにも説明してるけど、なんか差異はあった?」

「うんにゃ。さっき聞いた話と同じね…嘘を付くなら、少しはボロが出るもんだけど」


 と、ザエルに確認を取って貰いながら、シャロンを拾った経緯をマスターに説明した。

 久しぶりに会ったマスターは、以前と変わらず怖かった。

 説明を終えたあたしは、ほっと息を吐く。


 ふと、時計を確認する。


 到着したのは2時半頃だった筈。

 今の時刻は3時半。

 一時間近くも説明していた事を今更ながらに気が付いて、ふと溜め息を吐いた。


 このむさくるしい店内のどこにあったのか。

 マスターが持って来た子供用のカウンター席。


 そこに収まって、ホットミルク(|蜂蜜入り)をくぴくぴと可愛らしく飲んでいるシャロン。


 そんな我が子を眺めながら、ベンへと改めて向き直る。


 ザエルは、既にこの時間から酒を注文していた。

 この男は、一体仕事はどうしたのだろうか。

 からころ、とグラスを振って氷をいじり倒している。

 まぁ、コイツにとっては二度目の説明だったからだろう。

 仕方ないとは思うものの、もう少し真面目に聞いて欲しいと思うのはあたしの我侭だろうか。


「事情は分かった」

「ああ。誤解が解けたようで安心したよ」


 最初はマスターも、この子を少しだけいぶかしんでいた。


 それもそうだ。

 この子は、あたしの手元に突然転がり込んできた。

 それが、他動的か受動的かの差異はあったとしても。


 拾って来たあたしが言う事ではないが、十分厄介事の種になり得る。


 しかし、あたしの声に素直に答え、素直に頷き、少し強面のマスターにすら緊張しながらも微笑んだ所為か。


 今では、強面のマスターがパンケーキを焼きながら生クリームを泡立てている。


 シャロンはマジで天使。

 見事にこの子は、マスターを陥落させた。


 正直、あたしの言葉だけでは足りなかっただろう。


 マスターの筋肉の塊とも言える剛腕。

 そこに抱えられたボウルが、あたしがいつも使っている茶碗程度に見えてしまうのは気のせいだろうか。

 そして、確実に生クリームを泡立てている姿が似合わないというのは、口には出さないで置く。


 本題は、頼み事があっての事。

 この子を、あたしの仕事の間だけでも預かっていてくれないか、と言う不躾な自分勝手な願い。


 その為には、彼の覚えを目出度くしておかなければならない。

 臍を曲げて断られてしまっては堪らない。


「しかし、可笑しいな」

「ん?何が?」


 とは、隣で2杯目か3杯目になるだろう、グラスを握り締めているダグラスだった。

 そんな大事そうに抱え込まないでも良いと思う。

 誰も、君からグラスを取ろうとはしないから、安心したまえ。


 思うだけで口には出さない。


 そんな彼の意見は、


「わざわざ捨てるにしても路地裏、しかも『セントラル』だとすると、幾らなんでも一目に付き過ぎる。なのに、雨に紛れてとはいえ、何の報告も入っていない上に、子供に対して捜索願いが出ていないのはどうかと思うが…」


 この件に関しての、異常性。

 それをはっきりと、教えてくれたのはザエルも同じ。


 そして、あたしも同意見。

 だが、しかし。


「アンタ等『軍』の職務怠慢じゃなくて?」


 ぐ、と喉を詰めた彼には可哀想だが、あたしもザエルと同じ事を考えていた。


 彼は『軍』のお偉いさんだ。

 しかし、その実情は知らないのだろう。


 『軍』の怠惰ぶりは、正直『ハンター』としても、一般市民としても腹に据えかねている。

 彼等は権力に尻尾を振っているとしか思えないからだ。


 しかし、これ以上嫌味を言うのは辞めておいた。


 どうやら、彼は先ほどまでマスターに苛められていたらしい。


 先ほどから見目整った顔が、可哀想なほどに歪む事が多いのである。

 出会った時は、ずいぶん無表情だった筈。

 この3年で何かあったのだろうか?


 いや、半年で何かがありすぎた、あたしが言う事じゃないか。


「シャロンは喋れないから何があったか聞きようにも聞けないし、聞くとしてもあたしはこの子が話したい時の方が良いと思ってる」

「まぁ、この年齢の子供には酷だわね。聞いたとしても『軍』が素直に聞き入れて調査をしてくれるとも思ってないし」

「うぐっ」


 しかし、追撃を取りやめたあたしの代わりに嫌味を零したのはザエルだった。

 またしも、彼の口から呻き声が漏れる。


 表情も、悲痛を通り越して、いっそ蒼白だ。


「まぁ、同感だけど。アンタが悪いわけじゃないから。『軍』の職務怠慢なんていつもの事だから別に構わないし…。それにアンタがそんな顔を歪めた所で、この子の親がひょっこり出てくる事もあるまいし」


 あたしとは違って、平然と皮肉るザエル。

 一応のフォローはしておく。


 彼は『軍』とはいえ、お偉いさんであり、確か貴族の一人だった筈だ。

 いらない折衝は子ども(シャロン)の為にも、避けたいのが本音だった。


 しかし、残念ながらあたしのフォローも意味は無かったらしい。

 ダグラスが更にダメージを負った。


 グラスを握り締めて、がくりと頭垂れたダグラス。


 何故だ。

 解せん。


 そんな彼を、横目で見やってから、ふともう一度シャロンを見る。


 相変わらず可愛らしい天使のシャロンに、溜め息。


「(今更親が出てきても、素直に渡せないと思うけどね…)」


 口の周りをホットミルクで真っ白に染めて、あたしを見上げて微笑むこの子。


 うん、なんだってする。

 この子が笑ってくれるなら、あたしはなんだってする。


「いっぱしに、女の顔になってんな」


 ふっくらと焼き上げたパンケーキの上。

 そこに先ほどまで泡立てていた生クリームを落したマスター。


 そんな似合わないことをしているマスターが、あたしの事を上目遣いに睨みつけるように見ていたのに気付いた。


 その言葉には苦笑を零す。


 ザエルにも言われたが、そこまで顔に出ているのだろうか。


「子供育てるってのは大変だぞ?」

「うん、分かってる。だけど、あたしに出来る事だったらなんだってする」

「それが、どんなに苦しくてもか?」

「ああ」


 そうかい、とマスターが頷いた。


 彼が持つとまるでミニチュアかと思えるミントの葉っぱ。

 それを器用に生クリームの上に置いたかと思えば、


「お前さんは、ママが好きか?」

「?(こてり)」


 問い掛けたのは、あたしではなくシャロンだった。


 熱々のパンケーキに生クリームが溶けてふんわりと柔らかい匂いをさせている。

 それに眼を奪われ、目を輝かせていたシャロン。


 彼の質問の意図が分からなかったのか、それとも聞こえなかったのか。

 首をこてりと傾げながらマスターを見上げた。


 見上げた先のマスターの口元が、ぴくり、と痙攣した。

 おそらく、笑いかけそうになったのだろう。


 それを見て噴出しそうになるが、喉元でぐっと堪えた。

 だめだ。

 今は笑っちゃいけない。


 今は駄目だ、今は駄目だ。

 と心の中でエンドレスリピート。


「お前さんのママは、そこにいるキーリだ。分かるな?」

「(こくこく)」

「ママ、好きか?」

「!(こくこくこくこく)」


 勢い良く上下に振られたシャロンの首。


 その後、ふんわりと花が綻ぶように笑った。


 その屈託の無い微笑み。


 いっそ輝いて見えるほどの、天使の微笑(エンジェルスマイル)だった。


 それを見て、あたしは勿論ザエルも一緒になって笑う。

 あーあ、ザエルまで顔面土砂崩れ。


 隣でダグラスが噴出しかけたように思えたが、あたしは気にしない。


 「可愛いすぎるだろ…ッ」なんて声も聞こえないし、気にしない。


「そうかいそうかい」


 そして、マスターはといえば、


「「ぶはっ!!」」


 蕩けきった笑みを浮かべていた。

 目尻が完全に垂れ下がってしまっている。


 耐え切れずにあたしとザエルが噴出した。


 今、何か飲み物のを飲んでいなくて良かった。

 本気で良かった。


 そして、死亡が確定したような気がする。


 マスターといえば。


 あたし達の認識としては、強面過ぎる強面でも有名なマスターだ。


 顔面の筋肉が動くのは大抵怒った時か、機嫌が悪くなった時。

 眉をピクリとも動かさないで、接客なんてことをしているのが嘘のように思えてしまうようなマスター。


 こんな荒くれの集まるバーでなければ有り得ない程の、強面の顔面凶器のマスターなのだ。


 そんなマスターがとろけ切った顔をして笑っているなんて、誰が想像できたもんか。


 さすが、天使!

 あたしの天使!


 マスターが満面の笑みで、顔面土砂崩れを起こしたのを確かに見た。


 シャロンの天使の微笑(エンジェルスマイル)は、マスターの堅牢でいて頑強な顔面の筋肉すら陥落させた。


 あたしとザエルが揃って噴出してしまっても、無理は無いだろう。


 そして、あたし達は初めて、彼の満面の笑みというものを見たと思う。


 記念ものだ。


 勿論、記憶カードに映して、半永久的に保存しておきたいものだ。

 『レア』級と言っても良い。


 しかし、人の夢と書いて「儚い」と読むのである。


 その顔面凶器のマスターの笑顔は、結局記録できないままだった。(※その後の報復が怖くて、記録が出来なかったとも言う)


 ちなみに、彼はあたし達の様子には、気付いていても思考を放棄していたらしい。

 隠れ子ども好きだったようだ。

 シャロンのおかげで、名実共にあたし達は彼の『お仕置き《ゲンコツ》』を免れた。



***

誤字脱字乱文等失礼致します。

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