第6話 ダグラス・トール2
2015年8月12日改稿
***
カード型の一枚の用紙。
ザエルが取り出したそのカード型の紙は、『ハンター』であるあたしにとっては見慣れたものだ。
クエストの依頼、もしくは受領用紙である。
『クエストカード』と呼ばれるそれは、依頼内容や報酬、その他特記事項が記載されている。
クエストを受けるに当たって、外せないものだ。
その『クエストカード』は、本来であれば受諾をしたと同時に、カードには『ギルド』認可のスタンプが押されているものだ。
なのだが、こちらにはスタンプが押されているようには見えなかった。
おそらく依頼用紙だろう。
「依頼でもあったか?珍しい」
「特に珍しくも無いでしょうが。オレの本業は元々商人で『旅』が付くんだし」
ぴくり、と震えた指先。
マフィンを切っていた包丁が一瞬揺れた。
彼の言葉。
その真意は、そのままである。
本来、彼は『旅』と頭に付く『商人』だった。
彼を拾ってくれた家族が『旅商人』だった為に、彼はこの世界に足を踏み入れた。
そして『旅商人』とは、文字通り旅をしながら商売をする人の事を指す。
彼は、それに戻る、と言外に言っているのだ。
衝撃が無かった訳では無い。
吃驚した。
それも、突然だったので、余計に驚いた。
唐突な切り口は、彼にとっては珍しくは無い。
だが、内容が内容だ。
「ああ、でも今となっては無理なようにも思えるから無理にとは言わないけどね」
あたしの驚きは他所に、あっけらかんとした彼の様子。
ついつい苛立ってしまうあたしは悪く無いと思いたい。
見るだけ見てよ、というザエルの台詞。
あたしはマフィンを切り分けていた手を一旦止めて、その依頼用紙を受け取った。
中身は、簡単な任務内容が大きく書かれている。
だが、その下に書かれている詳しい依頼内容にふと眉を潜めた。
『『商業ギルド』取締相談役ザエル・ウル・ロー氏の遠征へと同行し道中の危険を排除するものとする』
という、簡潔ながら護衛依頼だった。
通常であればその下に依頼内容の誓約と、依頼金額が表記されているが今回の依頼書は『不明』となっている。
「金額が不明って事は、ずいぶん遠出する事になるかもしれないって事か?」
「そうなるね?一応リニアガウスには帰って来る予定ではいるけど、時期についてははっきりと言えない」
「なるほど」
そういう事か、と。
その用紙を見て、ふと溜め息を零した。
それと同時、
「キウイが受けてくれるなら、金額は言い値で良いやと思ってたんだけど」
喉に魚の骨が刺さったかのような声が出た。
その上、クエストカードを持つ手が震えてしまった。
言い値で良い、とはまた大胆な事を言ったものだ。
ザエルの依頼は基本的に受けてはいたが、それでも数は少ない。
実はザエルが一重に苦心して、彼女の生活面だけではなく安全面を考慮して、依頼する回数を少なくしていただけである。(というのも、後から知ったけど)
だが、実質、彼があたしに頼む依頼に関しては、なるべく危険度の少ないものしか割り振っていない。
怒りを感じたことはあっても、心配してくれているという点は理解出来ていた。
あたしも、子どもではないのだ。
そのまま知らないふりをして有耶無耶にしている。
だが、完全に怒りを感じないかと言えばそうでは無い。
正直なところ、ザエルはあたしが『ハンター』をしている事を好ましく思っていないのだ。
それを口に出しても、キーリエル・ターニアという少女が、鵜呑みにするとは到底思っていない。
だから、彼も、言わないだけ。
そして、その心情ぐらいは知っているあたし。
あたしも、それを表立って言った事は無い。
思えば奇妙な意地の張りあいである。
お互いが口を噤んでいる、もはや暗黙のルールであった。
ザエルは、紅茶を飲みつつ、度々あたしの顔色を伺っているようだ。
しかし、口を開こうとしていないのは、おそらくシャロンがいるからだろう。
あたしはといえば、数少ないザエルからの依頼と『言い値』という金額に少し揺れ気味ではあった。
何を隠そうザエルからの依頼で、月収ピーク時の30万を稼ぐ足がかりとなった事が幾度とあったせいだ。
逆を返せば、彼に手伝ってもらえなければ、あたしは満足に月収を受け取れないという事だ。
なにせ、あたしが受けられる『ハンター』のクエストが少な過ぎる。
まず女である事が一番のネックだった。
クエストを受けたら受けたで、女だからという理由でキャンセルさせられたり渋られた事もある。
そういった性別で差別される観点からして、あたしとしてみれば、ザエルの依頼は嬉しいものだった。
しかも、今のところ金銭面での心配をしたくない事情がある。
その事情だけを考えれば、彼の依頼はとても魅力的に思えた。
しかし、
「シャロンがいる。あたしは、しばらくこの街を離れる事は出来ないよ」
あたしの足元で心配そうに見上げていたシャロン。
不安に揺れるかのような瞳。
瞬きを忘れたかのように大きく見開かれたままだったそれ。
その足元の可愛い可愛い子猫に笑いかけながらそのカードをザエルへと投げ返せば、予想通りではあったのだろう。
ザエルは、受け取ったカードをまた衣服にしまいこんで肩を竦めるだけ。
分かってたという、いつものお決まりの仕草だった。
そして、その子猫はといえば、ほんわり、と音がしそうなほどの満面の笑みで安堵をしていた。
その愛らしく癒しともなる笑顔を見れば、当面の金銭の心配事などどうでもよくなってくるのだから不思議なものである。
だが、本当にどうでもよくなってしまうのは問題だ。
気を引き締める事にする。
「だと思った」
にっこりと笑った彼。
思えば、今日はこんな笑顔を見ていなかった気がする。
「だとしたら、オレもお散歩ついでに『アイアン』に行かせて貰うから」
「付いてくるのか?」
「うん、そのつもり」
「また、マスターが勘違いしそうではあるがな」
「…ひ、否定はしないけど、」
言葉を不自然に区切って苦笑を零したザエル。
ふと、何事か気になったものの、停止していたマフィンの切り分け作業を再開した。
シャロンが、待ちきれなくなってしまっていたのだ。
口の端からマフィンを見つめて、涎を垂らしている。
そんなこの子も可愛いと思うのは、あたしだけだろうか。
その為、彼の表情を伺う事はそれ以上出来なくなった。
そんな彼が少し、渋い顔をして、何を思っていたかなんてあたしは知る由も無く。
切り分けたマフィンを皿に盛り付けて、シャロンに生クリームを好きなだけ乗っけてやる。
蕩けるような幸せそうな笑顔で抱き付かれた。
おかげで、あたしの脳内は一気にピンク色。
花でもなんでも飛ばしてやるさ。と鼻歌交じりにザエルの分も一緒に用意してやるなんて酔狂な事をしていた。
ああ、無駄な事したかもしれない。
とんでもなく情けない顔をしていたかもしれない。
だが、こればっかりは仕方ない。
「美味しい?」
「!!(こくこく)」
シャロンが可愛いのが悪いのだ。
子供用の小さなフォーク片手に、頬っぺたをもぐもぐと膨らませたシャロン。
そういえば、この子も口の中一杯に詰め込んでしまうんだった、と思い出してふと可笑しくなる。
同じようにテーブルの対面で頬っぺたを膨らませて食べている男と同じじゃないか。
可愛らしさでいえば、断然この子の圧勝であるが。
「リスみたいになるのは、ザエルと一緒だな」
「ちょ…っ!!オレを10歳児と一緒にしないで!!」
「10歳児と同じような事をする28歳が悪い」
ザエルの悲鳴にも近い抗議を聞き流して、あたしもシャロンに習ってマフィンを口に放り込む。
ふわり、と香るバターの濃厚な香り。
やはり少し時間を置いたからかしっとりと落ち着いていて、じゅわりと広がる優しい甘みにほっと溜め息。
「上手に出来て良かった。今度はシャロンも一緒に作ろうな?」
「(こくこくこくこく)」
喜びと比例してぶんぶんと首を上下に振るシャロン。
そんな彼を見て、もう床を転げまわっても足りないんじゃないかと思う程の幸福感を感じる。
顔が始終崩れっぱなしである。
「今のキウイだらしない顔してるよ?記憶カードに映して、マスターにも見せてやりたいぐらい」
こんなのは空耳だ、そうに違いない。
もう、ザエルがいるとか考えたくない。
この子がいれば、こうして笑いあっていられれば、ずっとこのままであれば、と。
笑いながら、どくり、と重くなった胸。
先ほど、ザエルが来る前に考えていた思考が戻ってきたせい。
『いつか、あたしがいなくなったらこの子はどうなるのか』
突然泣き喚きたくなるような奔流。
それこそ漠然としていて圧倒的な恐怖を感じた。
あたしが死ぬのは構わない。
だが、残されたこの子を考えた時が、一番怖い、なんて。
「(あたし、依存しちゃったのか、この子に…)」
心の中だけで思ったそれ。
もぐもぐ、と頬っぺたを膨らませ、にっこりふわふわと笑いながらマフィンを食べているその姿。
横目と言わず、しっかりと見ていながらも、あたしは何を見ているのか分からなくなる。
先ほどまで食べていたマフィンの味もなんだか分からなくなった。
***
ついつい渋い顔をしてしまったが、気付かれなかっただろうか。
先ほどのキウイの台詞に、一瞬何を口走ろうとしていた?
「(別に良いよ、なんて言ったら怒るだろ?)」
オレがあの時、自制を出来たのは一重にシャロンがいたおかげだ。
もし、そのシャロンが目の前に見えなくて、二人っきりだったりしたならば、きっと自分は白状してしまっていたかもしれない。
危なかった。
シャロンがオレとキウイの子供だとマスターに誤解されるかもしれない。
でも、それでも良いよ、と言ってしまったら、これは負けも一緒だ。
昔から、オレは彼女を想ってきた。
この8年間ずっと。
しかし、いつからかその気持ちが変化した。
彼女の行動ひとつで、一喜一憂してしまうほどには。
昔、一緒に暮らしている時。
正直、気が気じゃなかった。
彼女は、良くも悪くも無防備だった。
たかが10歳。
そして、一緒にいたのはたった2年。
それでも、12歳。
そんな小さな彼女に、オレは惹かれてしまった。
キウイは可愛かった。
昔は、無愛想でも可愛かった。
今が可愛くない訳では無い。
むしろ、今こそマズイ。
泣き顔も知っている。
怒った顔も、無表情ながらも内心では喜んでいる時の表情も知っている。
思った事をすぐ、口に出してしまう悪癖も、彼女ならば長所に思える。
不思議な事だ。
だが、オレは彼女の後見人。
親では無いが、彼女のパトロンという立ち位置。
オレが思っているキウイへの気持ちは、きっと家族愛だと自分に言い聞かせてきた。
そう言い聞かせて、何年も隠し続けて来た。
だというのに、
「(…何、早くも心が折られそうになってるんだろね。…離れるって決めたのに、まだオレ様は、キウイと離れたくないなんて思ってるんだ…)」
自分の女々しさに、嫌気が差す。
心のどこかで、彼女は自分と来てくれると確信していた所為か。
イレギュラーであるシャロンの存在によって、その確信は打ち崩された。
正直、シャロンに嫉妬している。
だからこそ、気弱になってしまったのかもしれない。
何を自分で負けを認めて降参してしまおうとしているのか。
その負けを認めた瞬間に、この心地よい空間がブチ壊されてしまうなんて分かりきっている。
だからこそ、何度も考えて自制してきたじゃないか。
「今のキウイだらしない顔してるよ?記憶カードに映して、マスターにも見せてやりたいぐらい」
いつものキウイなら真っ先に殴りつけようとしてくるようなオレの台詞にも、耳を貸そうとしないぐらいのとろけ切った笑顔。
それを見ていると嬉しくなる反面、同時に胸が痛くなった。
なんで、そんな顔をしているんだ?
オレの時は、感情を忘れたような無表情しかしていなかったくせに。
ふと、昔を思い出せば、彼女の笑顔なんて数えるぐらいしか見た事が無かったの事に思い至って、口に含んでいたマフィンの味がどうにも苦く感じてしまう。
しかし、そんな彼女の幸せそうな笑顔を見てしまったら、どうにもこうにも我慢ならない。
募らせ続けているともいえる感情のセーブが効かなくなってしまった。
家族愛、と言い聞かせてきたその気持ちをいっそ、開き直って彼女に伝えてしまいたくなるほど。
キウイがオレの気持ちをどう受け取るか、なんてたかが知れてる。
そして、その時には彼女は自分のことでも無いのに、振られたオレの感情を思ってか傷付いてしまうのだろう。
痛みを残せるから、なんて理由でオレにとっては唯一の憩いの場でもある空間は壊したくない。
結局は、自分の為。
そして、その自分の為であるその行動が、結果として正解だと分かっているからこその自重。
だって、これ以上良いポジションなんて思いつかない。
キウイと自然のまま、隣にいて笑い合える空間。
意識もせずに笑って砕けて話せるなんて相手は、この街のどこを探しても自分にはキウイ以外いないのだから。
胸の奥で、きりきりと痛むその音を無視してでも、オレはその光景を眺め続けていた。
少し、キウイの微笑が陰ったのだって、見ていた。
大方、この子を手放す事になるかもしれないときの事でも考えたんだろうけど、もう遅い。
そんなのもう遅い。
依存し切っているのは、シャロンもキウイも一緒なんだ、と声を大にして叫んでやりたい。
怒鳴って叱りつけてやりたい。
でも、きっと、それは無駄に終わるだけ。
キウイは何度でもシャロンの笑顔を見るためになんでもするんだ。
わかり切っているからこそ。
オレはこの気持ちも言わないし、彼女に対してこれ以上の手助けもしない。
いや、きっと乞われてしまえば、それに唾を吐き捨てて見捨てる事なんて出来ないから。
願わくば、この癒しと憩いである生活が、彼女達のいる生活が長く続く事を。
「(神様がいれば…ね)」
いるかもどうかもわからない。
ましてやオレは存在を信じていない神様に願う。
どうか、このままで。
この報われない子ども達を守ってあげて欲しい。
柄にも無く、願わずにはいられなかった。
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誤字脱字乱文等失礼致します。