第5話 ダグラス・トール
またしても、勢いで書き進めてしまいました第5話です。
2015年8月12日改稿。
***
この時期は、雨が多い。
『王族』の住まう要塞国家都市だけでは無い。
天候の悪化に関しては、世界全域としても同じ事。
雨季に入っているのである。
現在は、『レノーの月』(6月相当)だ。
新緑の季節にも当たる。
とは言え、雨が降っては景観も損なわれ、また大草原での危険度も増す。
雨が多いと必ずと言って良いほど一部の魔物の攻撃性が上がる。
攻撃性の事をアクティブと呼ぶが、活動自体を活発化させることによって、脅威である魔物が更に厄介なものになる。
その上、討伐するのも面倒な『ギガ』級魔物の活動が活発になるのだ。
毎年の事とはいえ、なんとも憂鬱な季節であった。
そんな危険度や憂鬱さも、一部の人間にとっては嬉しい誤算ではあるものの。
魔物の目撃情報や活動報告などの書類を片手にしながら、割り当てられた執務室内にて。
男が一人が溜め息を吐いた。
長く伸ばした黒髪を無造作にかきあげる。
しかし、その手が少し跳ねた寝癖に触れた。
彼は、この寝癖に今初めて気付いたのだろう。
またか、と撫で付けるようにして直す。
しかし、直そうとしたものの、意味は無かった。
性格と同じで、寝癖も頑固だった。
突然気になってしまった寝癖の所為か。
おかげで、今まで見ていた書類や報告書の数々がより一層憂鬱になってしまい、一気に脱力。
集中力が切れてしまったのだ。
はぁ、と気だるげに、再度髪をかきあげて。
男は窮屈そうに腰を降ろしていた椅子の背にもたれ掛かった。
数回ぱちぱちと瞬きをして目の霞を追い払おうとする。
しかし、長い時間書類片手に睡魔と格闘していた所為か瞼が重い。
瞬きをするだけで、追い払えるものではなかった。
このまま昼寝でもしてしまおうか。
目の前の執務机に広がった書類の束。
そして、処理を待ち続けている報告書の数々。
それ等を放棄する。
なんと、甘美な誘惑だろうか。
堕落的な思考が頭を過ぎる。
「(今日中に終わらせなければいけない書類もあるのだ。…いかんいかん)」
元々、書類整理の苦手な自身の怠惰で溜めた書類。
期日通りに提出出来ないのは、沽券にも関わると彼は首を振った。
そして、憂鬱な溜め息を吐き出した。
そんな鬱蒼とした気分を振り払おうと、今度は窓へと視線を向ける。
外は、快晴であった。
日向ぼっこをするには十分な日差し。
昨日までの雨模様が嘘のようにも思えた。
しかし、この快晴ともいえる天気は長くは続きそうに無かった。
後々にはまたも雨に塗り替えてしまうような黒々とした暗雲。
それが、街の北西から迫っているのが見て取れてしまった為だ。
またも憂鬱になってしまった気分。
そんな気分を、息に乗せて吐き出して。
この黒髪の男。
名をダグラス・トールと言った。
由緒正しい家柄に生まれた彼は、貴族・トール家の長男である。
艶々とした長く伸ばされた黒髪。
家系でもあるエメラルドにも似た碧い目の色。
顔立ちは眉目秀麗。
年を追うごとに、母や父の美貌を受け継いで成長してしまったと、自他共に認めている。
その所為か、今ではトール家への見合い話がひっきりなしにやってくる。
彼にとっては、鬱屈な問題でもある。
家系を辿れば、この要塞都市国家であるリニアガウスの『王族』にも連なる家柄という男。
しかし、無骨で武を極めんとしてばかりで、貴族に多い高い商才や社交性は持ち合わせていない。
母の腹の中に置いてきてしまったようだ。
そして、美麗な顔とは別に、無口な上に仏頂面。
もはやその表情も性格も隠す事は出来ず、貴族としての家同士の集まりや、催しごとですら敬遠してしまう。
無理矢理参加させられたとしても、壁際の花を決め込んでしまうほど。
真面目で堅物、という代名詞は彼のためのものではなかろうか。
と、他の煌びやかな生活をしている同年代の貴族の青年達から常日頃から陰口を叩かれていた。
畏怖とも嘲笑とも言える噂ではあるが、それはもはや暗黙のルールのように実しやかに囁かれている。
それは、彼は知っているし、分かってもいた。
本人は、そのような青年達の小うるさい囀りなど至って気にはしていない。
だが、問題は、貴族である家柄である。
貴族としての立ち居振る舞い。
それに見合った教養。
無駄に着飾る事の多い、家の催し。
そのどれもが、現在所属している『国家武装軍』の階級に邪魔だった。
彼の現在の地位は、少将。
『王族』であるリニアガウス家直属の『国家武装軍』の大隊長である。
軍事組織において部隊とは。
組織的な作戦行動を遂行する単位。
それが、部隊だ。
複雑な任務を遂行できるような分業的ヒエラルキーで組織、構成され、部隊の任務及び職域に応じて上位部隊及び、隊長を中心とした階級の順位が割り振られる。
それを踏まえた上で、職務に基づく指揮命令系統により、部隊行動・作戦が展開・管理される。
大隊長というのは本来の通常の軍事組織では中佐や少佐程度。
ではあるものの、彼の所属する『国家武装軍』としてであれば、中将や少将でもある師団長に告ぐ地位である。
現職の師団長は、ホーキンス中将という初老の男性。
魔物討伐は勿論の事、十数年前にあった戦争では数多くの武功を立てたという歴戦の将。
そして、そのホーキンス中将とダグラスは遠縁。
いわば親戚の叔父となる。
貴族には珍しく上昇志向の欠しいダグラスにとっては、現在収まっている地位をこれ以上上げようとも思っていない。
しかし、せっつかれているのは、上からも下からもだ。
ましてや、親族からも一緒にせっつかれている。
正直、息がつまりそうだった。
親類各位は、無骨ながらも容貌も麗しく武に秀でたダグラスに上申を迫り、師団長でもあるホーキンスからも打診をされている。
そろそろ報告書を纏めるのではなく、既に纏まった報告書を眺めるだけで良いのではないか、と。
それは、つまり魔物の討伐などの前線から退けと言う事。
情報を思うがままに懐に収集。
その上で、のうのうと拠点で人を手駒として扱え、と。
要は椅子に踏ん反り返って指示を出せ、と言う事だ。
それが、ダグラスにはどうしても受諾出来ない。
承諾も出来ないでいる。
彼にとって、秀でた武を振るう瞬間が、至極の瞬間であった。
家柄としての貴族の、被り続けて何匹必要になったかも分からない猫の皮を脱ぎ捨てる事が出来る瞬間。
それが、討伐の時だった。
彼は、嬉しい誤算を喜んでいる側の一部であった。
彼は、武を極め、振るった瞬間に己の生き様を見出している。
真面目で堅物、という囀り。
しかし、それは本当の事だ。
だから、当人も至って気にしていないのだ。
遊びも、余暇も必要ない。
ただ、いまいち学が足りなかったせいか、書類を眺める事がなくなるのは嬉しいものの。
武に対して、真面目で堅物。
さらには愚直に振り続けた大刀『ドグマ』が、自分にとっては結婚相手だとも思い始めている。
好いた女がいない、といえばそこまで。
今まであった見合い話も、不本意ながら受けては蹴って受けては破談にさせてきた。
ダグラス自身好いた女がいないわけでは無い。
無いのだが、この役職を離れてしまうと今後関わる事がいっそう減ってしまう。
だからこそ、上からも下からも親類からも受けている煩わしいせっつきを今の今まで蹴り続けていた。
纏めてしまえば、彼・ダグラスという男は、武一辺倒の貴族らしからぬ貴族であっただけ。
不器用な男だっただけだ。
そんなダグラスの視線の先。
そこには、晴れ渡った快晴の空が広がっていた。
今頃は何をしているのだろう、と、密やかに懸想をしていた少女の姿を思い浮かべる。
身の丈に合わぬ大刀を振り回していた、『ハンター』の少女。
『ハンター』というのは危険が伴う。
その上に、タフな体力や強靭な精神力なども必要となってくる。
必然にして、当然の帰着。
『ハンター』の性別の割合が、必ずしも比例する事は有り得ない。
何が言いたいか、といえば『ハンター』の女性は全世界を見てみても、少ないと言う事。
密林の奥深くには、女性だけの種族である『アマゾネス』がいると聞いた事はある。
だが、その例を差し引いても『ハンター』の割合からしてみれば、女性は3割にも満たない。
だというのに、その少女の勇姿は凄まじいものだった。
ダグラスの脳裏には、未だ鮮明に残る衝撃でもある。
身の丈程の大刀。
それを一心不乱に、振るっていた。
それこそ、愚直なまでに振り落し続けていた。
彼は、手出しも手助けも出来なかった。
邪魔だと、暗に理解してしまったからだ。
少し、話は逸れるが、魔物というのは、等級や討伐ランクがそれぞれ分けられている。
等級とは、『ギガ』級から『ノーマル』級まで。
討伐ランクとは、最高ランクSSから最低ランクのEまで
等級については、軽くではあるが、上から『ギガ』級、『メガ』級、『レア』級、『ノーマル』級などなど。
『ノーマル』級の中に、『ザウルス』や『モブ』などが含まれている。
SSランクは、未だ遭遇した事は無いが『レア』級+『ギガ』級の亜種だろう。
未だ数件しか、報告されていない事例である。
Sランクは、純粋に『ギガ』級。
これも滅多に無いが、『軍』の一戸師団を投入しなければならない程の脅威ともなっている。
次に、Aランクが『メガ』級もしくは『レア』級。
討伐には、最低でも一戸師団は必要となる重量級、もしくは遭遇確率の低い魔物である。
更にBランクが『ノーマル』級。
ただし、これには討伐が困難な『ザウルス』系統や、驚異の繁殖力を持つ厄介な『モブ』系統の群れなどが含まれる。
CからEランクに関しては、『ノーマル』級。
こちらは、比較的難易度が下がる。
せいぜい、『捕食種』や『鳥類』などだ。
ここまで、魔物の等級の説明をしていた。
話は、ここからだ。
ダグラスが驚いたのは、何もその『ハンター』が少女だったからだけではない。
対峙していた魔物がAランクの『メガ』級だった為だ。
『ギガ』級よりはランクは落ちるものの、通常の『ハンター』であれば厄介な事には変わりない重量級の魔物『メガ』級。
そんな『メガ』級に不運にも鉢合わせたという『ハンター』の少女。
退いては大刀を振り落し、また退いてはその魔物の行動を見極める。
ヒットアンドアウェイの戦法で、大刀を振る作業を繰り返していただけ。
そして『メガ』級の魔物を、討伐せしめてしまった。
その姿は、まるで歴戦の勇者の姿を見たかのように感じられた。
自分にとっては、天啓とも思えた存在だった。
黒かと思えば光の加減によっては紫の髪。
そして、両目にはめ込まれたアメジストのような瞳。
常に口はへの字に曲げている無表情ながら、自分の周りに溢れかえった飾り立てるだけの女性とはまったく違った少女の姿。
そんな彼女の姿に、途轍もなく衝撃を受けた。
感銘を受けたとも言う。
そして、それと同時に、どうしようもなく惹かれた。
その少女に対しての想いは、早3年が経とうとしている今でも変わらない。
思わば、この3年間、彼女の為に自身はこの仕事を続けていたといっても過言ではない。
名前も知らない、『ハンター』の少女。
だというのに、自身は3年間、この想いを胸に秘め続けていた。
そして、恋焦がれていた。
脳裏に蘇った、彼女の姿。
知らず知らずのうちに、物憂げな表情となった彼。
そして、同じく無意識のうちに溜め息を吐いた。
その吐息すら、男でも赤面してしまうだろう熱いものであった。
「息抜き、するか」
ぼそり、と呟いた声は太く低い。
だが、渋みの無いテノールは、若さゆえだっただろうか。
その声は、熱に浮かされていた。
言葉の奥底に秘められた、その息抜きの先。
それは、彼が無意識に楽しみにしている行動のひとつ。
『ハンターズギルド』に認可された列記とした『ハンター』ご用達の店が、『セントラル』の路地裏に存在している。
彼女も、そこを贔屓にしていると、小耳に挟んでいた。
そこに行けば会えるかもしれない。
と、淡い期待を持ちながら、通い続けているその店。
謂わば、彼の想いの丈を、受け止めてくれる場所であった。
かれこれ3年も通い続けているが、いまだ会えた試しは無いのだが。
残念だがら、ダグラスのそんな淡い期待は、全戦全敗という悲しい結末を迎えている。
そもそも、彼女がそこに通っているかどうかも知る術が無いのであるが。
しかし、彼がその脚を遠のかせようとしていないのは、その愚直なまでの真面目で堅物の性格の所以だろうか。
本日は、快晴也。
願わくば、息抜きの先でその少女の姿が一目でも見る事が出来ることを。
しかし、彼の心の中で快晴となる日が来る事は、当面の間見込めずにいた。
***
「あ」
と、ふと気が付いたように声を上げたのはザエルだった。
「ん?」
その対面に座りながらマフィンを切り分けていたあたし。
「?(こてり)」
先ほどお昼寝の中で目を覚ましたシャロン。
そんなあたし達の他愛無い会話の最中であった。
シャロンが首をこてりと傾げたのを横目で見て、可愛いなぁ、なんてついつい鼻の下を伸ばしてしまう。
だが、今は、目の前の男の話が先決だ。
突然何事かを思い出したらしいザエルの次の言葉を待った。
先ほどのリス事件から一転、シャロンが目を覚ましてからはキッチンとリビングルームを行ったりきたりでゆっくり会話もしていなかった。
シャロンもザエルも簡潔ながら自己紹介を終えて、散歩に行く前のおやつタイムに移行した。
朝に焼き上げておいたマフィン。
タルト用の大皿で作り上げたものだ。
生クリームは勿論泡立ててある。
その真っ白なクリームが入ったボウルを抱えながら、鼻歌でも歌いそうなほど幸せそうに笑ってマフィンを見ているシャロン。
おかげで、あたしも嬉々としてマフィンに包丁を入れてしまった。
そんなシャロンマジックのおかげもあってか、ちゃっかり癒されていたザエル。
彼は、「あ」と発した口の形をそのままに、衣服の中をまさぐっていた。
「そういや、シャロンくんの事が衝撃的過ぎて、一番の用事を言うの忘れてたよ」
ああ、一応用事はあったんだな。ずいぶんまったりしているようだったから、ただ紅茶とクッキーを集りに来ただけなのかと思っていた」
「違うよ!紅茶にクッキーとご馳走様!しかも、マフィンに生クリームまでわざわざありがとう」
「誰もやるとは言っていないが?」
意地悪く答えたあたしの台詞に、ザエルが愕然としている。
彼はそんなに食い意地が張っていただろうか。
「え、嘘!くれないの!?」
「ガキじゃあるまいし、あからさまにショックを受けるな馬鹿者。それで?お前があたしに用事とは何事だ?」
「これこれ」
ようやく衣服の中から探し当てたらしい目的の品。
カード型の一枚の用紙。
おや、とあたしは首を傾げた。
ザエルが取り出したそのカード型の紙は、『ハンター』であるあたしにとっては見慣れたものだ。
クエストの依頼もしくは受領用紙。
『ハンター』として働く人間は、必ず目にする変哲も無いものだった。
特に何か問題がある品物では無い。
しかし、その実、書かれた中身が問題である。
***
誤字脱字乱文等失礼致します。