第2話 日常
見切り発車かと思っていたら、ネタの神様にはまだ見捨てられていませんでした。
2015年8月12日改稿
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『子猫』もとい、シャロンとの朝食を終えて。
さて、今日は一体何をしようか。
彼と一緒に洗濯物を畳みながら考える。
最近家の近くに建ってしまった背の高い建物のせいで太陽の光が少なくなり、窓辺で干す事が出来なくなってしまった。
太陽の香りを一杯に、とはいかないがわざわざシャロンのために早起きをして干している洗濯物。
朝の日差しを吸収してほかほかとしていて柔らかい。
それだけで、早起きの得もあろうものだ。
しかも、隣でお行儀よく座りながら、見よう見まねで洗濯物を畳もうとしているシャロン。
おかげで、顔面の土砂崩れが止らない。
全体的に動きが細かいシャロン。
その上に、ちょっとだけ不器用なのか。
今も洗濯物相手に悪戦苦闘している。
畳んだ断面からはみ出た布を直そうとしてもう一度折り直して。
そんな事を繰り返しては、その折り目から別の場所から布がまたはみ出してしまってそれを直そうと弄っているうちに、元の場所から布がはみ出ている。
なんて事をかれこれ何回目だろうか繰り返している。
なんて可愛いのだろうか、この子。
全部やらせてしまうとさすがに非効率だ。
一枚だけは、基本的に彼の為に用意して畳ませてあげるのがあたしの教育方針。
手を出すところと出さないところを、見極めている。
勿論、諦めて泣き出したらアウト。
でも、泣きそうになる一歩手前で踏ん張っているシャロンの表情の可愛らしい事この上ない。
はてさて、今日は、どこまで頑張ってくれるのだろうか?
シャロンが畳んでいるのは彼のお気に入りのふわふわ素材のニット。
首周りのもこもこが気に入って一時期はこのニットしか着ようとしてくれなかったせいか、洗濯をするのが苦労したものである。
わざわざ街まで似たような形のセーターを買って来てやらなければ、着替えようとしてくれなかった。
新しく買い直したセーターもお眼鏡には叶った様だ。
案の定、そのセーターのもこもこも気に入って、もふもふもふもふと可愛らしい姿かたちが更に可愛らしい事になっていた。
まるで、羊だ。
余談だが、どこかの雑貨屋で見つけたパーティーグッツかアクセサリーに、羊の帽子があったような気がして買いに行こうか悩んだ事がある。
まぁ、全力で理性を自制した結果、白い猫耳帽子だけは買ってある。
親馬鹿とかなんとか、言うならば言えば良い。
親馬鹿で何が悪い。
馬鹿親は許さんが。
いかん、話が逸れに逸れまくった。
閑話休題。
ニットを頑張って畳んでいるシャロン。
そんな彼の目尻は、既に真っ赤になってしまっていた。
鼻も垂れて来たのか、ぐすぐすとぐずっている。
だが、今日は諦めようとしていない様子。
あたしは既に畳み終わっているが、シャロンを待つ過程で休憩中。
ウルウルとしているくりっくりの眼が、真剣にニットを綺麗に折り畳もうとしている姿を見続けている。
ふと一瞬、シャロンが顔を上げた。
眼がかち合う。
しかし、あたしが微笑んで見せると、一瞬くしゃりと歪まされただけ。
そして、またニットを見下ろして真剣な眼を向けている。
よしよし、諦め癖は出てないね。
ご褒美には、朝早くから焼いておいたマフィンにしようか。
今頃しっとりと落ち着いているだろうから、生クリームをたっぷり添えてあげよう。
シャロンがニットと格闘する事、早数分。
ようやく畳む事が出来たらしい。
ぐずぐずと鼻を鳴らしながらも、満面の笑みで笑った彼にあたしも笑顔で応える。
「よく出来たね、シャロン」
「………ッ!!(こくこくこくこく)」
よほど嬉しかったのか、いつもの倍以上に元気一杯に頷いている彼を見て、先ほど考えていた今日の予定を改めて考える。
この子のご褒美は生クリームたっぷりのマフィンで決まり。
だけど、それだけじゃ足りないだろうから、甘いと言われても良いから、好きなことをささえてあげようか。
「今日は、何がしたい?」
「?(こてり)」
きょとんとした眼をしたまま、小首を傾げたシャロン。
それだけで、見ていて幸せになれる表情とは、これいかに。
こんあ表情も可愛いが、笑顔も捨て難い。
この子の微笑みに勝る魅力は無いのだ。
頬っぺたを撫で回すだけにしておく。
ハグも抱っこもシャロンはお気に入りだけど、この頬っぺたをすりすりするのも大好きのようだ。
「お散歩行く?お昼寝する?絵本読む?」
「ッ…!!(ぴこぴこぴこぴこ)」
ふわふわと揺れた髪。
今言った選択肢を全てやりたいという、身体一杯の表現。
声が無くても、頬っぺたを真っ赤にして小さな手や腕をぱたぱたしているのを見れば一目瞭然のその反応。
よし、今日の予定は目白押しだね。
「じゃあ、まずはお散歩にしようか?」
「!!(こくこく)」
嬉しそうに上下に頷いた顔。
満面の笑顔を向けられて、本日何回目かも分からない顔面土砂崩れを起こしながらも彼と一緒に洗濯物のお片づけ。
だが、残念。
持ち運ぶ過程で苦労して畳んだはずのニットが崩れてしまって、結局泣いてしまうのはご愛嬌である。
***
リニアガウスという街。
ここは、あたしの生まれ故郷ではない。
ただ、父がここで死んだという理由から、居住をしていただけ。
しかし、この街で生まれ育ったのは事実である。
確か、オールニンズという街があたしの生まれ故郷だったハズ。
どこにあるかは、私も詳しくは知らない。
あたしが物心付く頃には母はいなかった。
父や、父の友人であるとあるバーのマスターから聞いた話では、流行り病に侵されて、そのまま彼岸を渡ったそうな。
物心付いた時から、傍らには『ハンター』である無骨で豪胆な父がいた。
あたしもその父を見習って小さな頃から『ハンター』になる夢を持っていた。
父があたしを男手一つで育てていた過程。
そんなに長かった訳では無い。
いつかはやって来るかもしれない、という漠然とした子供ながらの恐怖が現実になっただけのこと。
あたしが10歳ぐらいの時、行商人の護衛の任務を受けた父は、そのまま帰って来なかった。
いや。
帰って来るには帰って来たのだ。
だが、それが腕一本なんて、当時10歳程度のあたしにとては惨過ぎる。
父の無骨な腕と、節ばった手。
薬指のエンゲージリングと、小指にも嵌められた指輪にはあたしの名前が彫られたリング。
あたしが産まれた時に、エンゲージリングとは別に、母さんとおそろいで買ったという、オニキスで作られた指輪。
間違いなく、父の腕だった。
結局、当時10歳ぐらいだったあたしの元に残ったのは、父さんと母さんの結婚指輪と、そのオニキスの指輪だけだった。
護衛の任務中、魔物の中でも厄介な『ギガ』級に遭遇したとだけ聞いた。
その時の旅商人の一人が、父に助けられたとあたしのところにまで腕を届けてくれなければ、あたしは父さんの死も父さんの死の理由を知らないままだった。
その時の縁で、その旅商人にはお世話になったし、今でも連絡を取り合っている。
一方的に、あちらからの連絡が多いのは玉に傷ではある。
あるものの、感謝もしているし、数少ない飲み仲間としても頼りにしている人間だ。
ぶるり、とあの日の事を思い出して、背筋が震えた。
父さんの死を知った時、あの泣き崩れた時の胸の痛みを未だに覚えている。
全身を膾切りにされてもまだ足りないのではないか、というような痛み。
泣き崩れた時、傍らで支えてくれたあの青年は何を思っていたのだろう。
あたしの短かかった髪を一生懸命に撫でて、励まそうとしてくれていた彼。
あの頃よりも更に長くなった髪を一房、肩から落ちてきたのを払った。
あの時と確実に違うのは、あたしが見習いでは無い正真正銘の『ハンター』だという事。
そして、目の前にいる銀色の髪の少年の存在。
シャロンは、未だにピスピスと鼻を鳴らしているが、泣き疲れて船を漕ぎ出している。
散歩は午後に回して、まずは昼寝か。
と、シャロンを抱きかかえると、むずがられたらしい。
肩口に、押し付けられた頬ですりすりとされた。
ふと、似ているな、と思った。
父さんが生きている時のあたし。
父さんが、仕事から帰って来た時には、いつもお祭り騒ぎだったのは覚えている。
それこそ、いつもは無骨で強面だなんて評判だった顔の父さん。
あたしを見た瞬間、そんな強面な顔を土砂崩れさせながらあたしを抱き上げて。
そうして抱き上げられたあたしは、すりすりと無精髭が痛かろうと頬骨が固かろうと頬ずりをしていた。
思い出して、そしてその情景を今と重ね合わせて。
途端、汗ばむぐらいの陽気だった筈の室内で、ぞくりと背筋が凍った。
あたしがいなくなった時、この子はどうなる?
あたしが死んだ時、この子はどこに行く?
あたしの時は、彼が一緒だった。
少しの間ではあるが、面倒だって見てくれた。
でも、この子は?
この子は、あたしがいなくなった時、どこに行けば良いのか。
ましてや、誰がこの子を分かってくれる?
声も出ない上に、身寄りが無い。
そして、漠然とした恐怖はそれだけじゃなかった。
勿論、最初に彼を『拾った』時から考えていたものだ。
だが、こうして父さんの事を思い出してから、考えたのは不安でもなく恐怖が勝った。
あたし一人で、本当にこの子を育てる事が出来るのだろうか、と。
いまや、あたしだって『ハンター』の端くれではある。
だが、歴戦の『ハンター』だったという父さんと違って、あたしはまだまだ仕事も稼ぎも追いつけない。
一人で生活できるだけの貯蓄はしていても、家族を作る余裕なんて有り得るはずも無い。
貯蓄もどれだけ続くかなんてたかが知れている。
この半年引き篭もっていたのだ。
そろそろ、仕事を再開しなければならない。
その時、この子の面倒は誰が見てくれる?
不安に駆られ、ぎゅう、と抱き締めた彼の身体。
小さくて細くて、まだまだ柔らかい身体。
男の子なのに女の子にしか見えない彼。
そんなシャロンは、きっと誰が見ても可愛いと言うだろう。
それこそ、あたしのように顔面土砂崩れを起こしてごろごろと床を転げまわってやりたくなるだろう。
だが、あたしがいない間に、この子の面倒を見てくれるなんていう都合の良い人間なんているわけも無い。
父や母とは、死に別れた。
親類の当ても無い。
そして、そんな都合の良い人間への伝も無い。
ああ、でも確か『軍』系列の託児所はあったような気がする。
半信半疑ながらも、抱いた希望。
調べてみるか、と一人ごちたと同時にリビングを横切ってベッドに向かって歩き出すが、
「嘘だろ、キウイ!?」
びくっと、肩が震える。
突然振って沸いた声は、背後の窓からだった。
「お、ま…ッ、いつの間に子供産んでんのォ!?」
「ざ、ザエルっ!?ちょ…声がデカイ!この子が起きるじゃないか!」
窓からの珍客。
いつもどおりと言えばいつもどおりの場所からの登場ながら、タイミングが悪過ぎる来訪だった。
***
緋色の髪をバンダナで纏め上げた、だぼだぼな民族衣装のような衣服を身に纏った青年。
顔立ちはどことなくシャープで、切れ長の眼は鋭く見えて実は垂れ眼。
10人が10人とは言わないが、6~8人ぐらいなら振り返るんじゃないかという整った顔立ち。
今や、驚きのせいか見開かれた眼のせいで幼く見えた。
そんな青年の名前は、ザエル・ウル・ロー。
この青年はあたしの父さんの死に水を取った、旅商人の張本人。
飲み仲間兼あたしの恩人。
幸い、抱きかかえていたシャロンは目覚める事なく、ちょっとぐずってもぞもぞと身じろぎしただけであったが、
「…理由があるんだ」
「…オレ様が納得できるだけの理由?」
いぶかしげな彼の目を受け流し、あたしは仕方なくこくりと頷いて、顎で室内に促した。
要は説明するから、とっとと上がれという事だ。
その返答か何か、ザエルはそのまま窓枠を踏み越えて部屋の中に。
一瞬、あたしの眉根が寄った。
万が一、シャロンが風邪でも病気でもされては困る。
だからこそ、ラグマットまで引いて、スリッパで生活しているのである。
確かに、土足厳禁ではない。
ではないものの少しは、靴の砂ぐらい払う気遣いを持って欲しいものだ。
肩越しに睨む。
まぁ、通じたかどうかの判断は難しいが。
へらりと笑われた顔。
あたしは、ついつい後ろめたさから目を逸らしてしまった。
あたしは、知らない。
その眼を逸らしてしまった後。
ザエルの瞳が明らかに驚きや猜疑以外の色を持っていたなんて。
あたしの腕に抱かれていたシャロンを見て、射殺さんばかりの剣呑な眼をしていたなんて。
知る由も無かった。
***
誤字脱字乱文等失礼いたします。