グランディア城~廊下~配膳室
「えーっと、こちらから来たから、こちらに曲がると……」
ありあは、巻紙と羽ペンを手に、グランディア城の廊下を歩いていた。入り口から王妃の間、までは、なんとか頭に入れた。
(迷子にならないよう、ちゃんと覚えなくっちゃ……)
お城の造りは、中庭と入り口を中心に線対称の形、だから……法則さえ見つければ、きっと判るはず。
(読み漁った中世ヨーロッパ古城の資料が、こんな所で役に立つなんて……) ありあは、あのハンカチに感謝した。
(ヴェルナーさんも忙しそうだったし……自分でできる事は自分でやらないと)
王妃の間にいる、と彼に告げると、安心したように仕事に戻って行った。しばらくは王妃の間を調べていたが、直に手持無沙汰になった。
お城の探険は、いい時間つぶしだわ、とありあは思った。
(ヴェルナーさんって、グラントのお友達なのよね、きっと)
さっき、王妃の間で
『グラントって……変態、なんでしょうか?』
そう聞いた時、
『いえ……そのような事は』
と、やや引きつった表情で答えていた。
(あの表情は……)
1)本当は変態だけど、庇ってる
2)本当は変態じゃないので、そんな事を聞かれてびっくりした
のうちの、どちらなんだろう、とありあは思った。
今は判断できないなあ……
そんな事を考えながら、ありあは質素な階段を下に降りた。多分、使用人専用の階段だろう。
(大抵北側に食物庫があるから、その近くが厨房よね……)
がちゃん!!
派手な音が廊下まで響いてきた。ありあは音のする方を見た。二つ向こうの部屋から……?
「な……なんて事をっ!!」
甲高い女性の声。
「も、申し訳ございませんっ!!」
「申し訳ない、で済むと思っているのですかっ!! このお皿は、陛下が王妃様の為にとご用意された、特別なものですよ!?」
……王妃様……って、私の事?
「も、もうし……」
泣きそうになっているのが、声だけで分かる。
「謝って済む問題ではありません! あなたが一生かかっても払い切れないほど、高価なものです!」
「……さま、お食事のお支度が……」
別の人の声。
「……わかりました。今はお支度をする事が第一優先です。あなたの処分は……」
処分!?
ありあは咄嗟に、石造りの入り口から部屋に飛び込んだ。
「ま、待って下さい!」
そこに居た全員が、ありあを見た。
割れたお皿の前で膝をつき、俯いている、若い女性。その前に立つ、少し年配の女性。二人を取り囲むように、白いエプロン姿の女性たち、がいた。
「黒い髪に黒い瞳……ま、まさか……!」
年配の女性が右手で口元を覆った。信じられない、といった顔をしていた。
「お、王妃様!?」
俯いていた女性が、その声を聞き、はっとしたように、ありあを見た。
ありあは、さっと若い女性の傍に行き、跪いた。巻紙とペンを床に置き、彼女の右手を取る。人差し指から小指にかけて、斜めに傷痕があった。
「あなた、怪我してる」
ありあは振り返り、年配の女性に言った。
「綺麗な水を器に入れて下さい。それと清潔な布を!」
「は、はい!」
年配の女性が呆然と立っていた女性たちに右手を振ると、慌てたように女性たちが動き始めた。
「ど、どうぞ……」
ありあの前に差しだされた、木の器には、なみなみと透明な水がつがれていた。恐る恐る一人の女性が、白い布をありあに差しだす。
「ありがとう」
ありあは、女性の右手を水に浸した。傷口から、血が揺らめくように立ちのぼって来た。そっと右手を水から引き上げ、傷口を見る。
「大丈夫……破片入ってないわ」
白い布を口に加え、両手で半分に裂く。片方で水気を拭き取り、もう片方の布を傷口にあて、器用に巻いて行く。最後にスカーフ結びをして、ありあは笑った。
「しばらく動かさないでね。痛かったでしょう?」
若い女性は、目を見開いたまま、完全に固まっていた。
「お……王妃、様……」
呟くような小声が彼女の口から出た。その場にいた女性たちは、黙ったまま、だった。
「……王妃様……」
年配の女性の声が、周囲の沈黙を破った。
「あ」
ありあは立ち上がり、年配の女性に頭を下げた。
「ごめんなさい、お食事の支度中に邪魔をして」
「お、王妃様っ!! そんな恐れ多い事をっ!!」
悲鳴が彼女の口から上がる。
ありあはじっと彼女を見た。白髪混じりの赤毛。責任感の強そうな、しっかりとした青い瞳。そして、視線を下方に移した。呆然とありあを見上げる若い女性。茶色のおさげ髪に緑の瞳、顔色が悪いせいか、鼻のあたりのそばかすが目立っていた。
「あの……この方の処分って……」
ぴくり、と若い女性の肩が動いた。
「……この者はグランディア王家に代々伝わる食器、を割ってしまったのです。すべて対になっている器です。一つでも欠けた状態では、晩餐にお出しする事はできません」
ありあは足元の割れたお皿、を見た。金の縁取りの、白い陶器。
しゃがんで大きめの欠片の一つを拾い、再び立ち上がって、ぱっと手を離した。
――がしゃん!
「王妃様!?」
ありあは真っ青になった、年配の女性を見た。
「……このお皿は私が割りました。私がグラントに謝ります。ですから、この方への処分は……」
「……で、ですが……」
彼女の青い瞳に動揺の色が差した。
「何のお咎めなし、という訳には参りません。他の者への示しがつきません。もうここで働かせることはできません」
若い女性の身体が小刻みに震えていることに、ありあは気付いた。
「じゃあ……」
ありあは年配の女性に言った。
「今からこの方、無職ですよね?」
「は、はい」
ありあは若い女性の前にしゃがみ込み、にっこりと彼女に笑いかけた。
「私、このお城に来たばかりで、右も左もわからないんです。案内してもらえたら、うれしいのだけれど」
「え……」
彼女の緑色の瞳が揺れた。
「王妃様!? この者を王妃様付きの侍女になさるおつもりですか!?」
「いけませんか?」
ありあがそう言うと、年配の女性は一瞬ひるんだ。
「そ、それは……王妃様が是非にとおっしゃるのであれば……」
「はい、是非にも」
ありあは巻紙とペンを持って立ち上がり、呆然としたままの若い女性に右手を差し伸べた。
「じゃあ、行きましょうか。案内、お願いします」