グランディア城~執務室
「……陛下」
冷たさの滲んだ声。グラントは書類から目を上げた。執務室の大きな机の前に、ヴェルナー伯爵が無表情で立っていた。
ノックの音が聞こえなかったが。仕事に集中しすぎたらしい、とグラントは思った。
「ヴェルナー。ありあの様子はどうだ?」
……ヴェルナー伯爵は、やや強張った表情のまま、答えた。
「王妃の間にいらっしゃいます。お疲れになられたようで……すぐにお休みになられる、と」
「そう、か……」
グラントは先程のありあ、を思い出していた。少し不安そうな瞳。思わず声をかけたら……うれしそうに、笑った。
「……ん?」
ヴェルナー伯爵の視線が、今までになく冷たい事に、グラントは気がついた。
「何か、言いたい事があるのか、ヴェルナー」
「……」
ヴェルナー伯爵は、はあ、と大きな溜息をついた後、グラントを睨みつけた。
「……陛下。あなたは、アーリャ様に何をされたんです?」
……アーリャ。グラントの表情が凍った。
「あいつの名は、ありあ、だ」
ヴェルナー伯爵が固い声で言った。
「アーリャ、で構わない、とおっしゃっておられました。そう、呼ばれていたから、と」
グラントの顔から表情が消えた。磨かれた机の上に置かれた右拳に力が入る。こいつ……。
(判ってて……アーリャと呼ぶ気か……)
ヴェルナー伯爵が言葉を続けた。
「……私は、あのようにお優しい方を正妃としてお迎えできた事、大変喜ばしいと思っております」
「……」
「……ですが……」
がらり、とヴェルナー伯爵の声が変わった。
「アーリャ様を傷つけるような事は、やめろ、グラント」
グラントはヴェルナー伯爵を真正面から見上げた。
「……そんな事はしない、ジェラルド。正妃として大切にするつもりだ」
こいつが幼馴染の口調になるのは久しぶりだ、とグラントは思った。よほど腹を立てているらしい。
「ありあが何か、お前に言ったのか?」
じろり、とジェラルドがグラントを睨む。
「『グラントって……変態、なんでしょうか?』と聞かれたぞ」
「は?」
グラントの思考が止まった。
……変態……?
「お前、そう思われる事をアーリャ様にしたのか!? 彼女は『巫女姫』だぞ。俗世間の事も何も知らないはずだ」
「……」
「巫女の資格を奪われた上に王宮追放、本来なら、お前を恨んでいてもおかしくないだろう」
「……」
「それが、『グラントは悪くない』とお前を庇って……」
「……」
この僅かな時間に、ジェラルドの尊敬を勝ち得てしまったのか!? あいつは。
十年来の友に、こんな話し方をされるのは、初めてだった。
「……話をしただけだ。『変態』と言われるような事はしていない」
「……」
「……後でありあにも話をする。それでいいだろう」
「……はい」
ジェラルドは、しぶしぶ引き下がった……ように見えた。
コンコン。ノックの音に続き、重い樫の扉が開いた。城付きの従者が頭を下げる。
「……陛下。赤の離宮から使者が参っておりますが」
グラントは、はあ、と溜息をついた。……ったく、どいつもこいつも。
「今晩行く、と伝えておくように」
従者は再び頭を下げ、扉を閉めた。
「……グラント」
再び冷たさの戻った声、がした。
「アーリャ様が来られたその日に、赤の離宮に行くつもりか!?」
「……話をしなければならないだろう」
ジェラルドは憤怒冷めやらぬ、といった様子だった。
「……必ず、アーリャ様の元へお戻りください。そうでなければ、アーリャ様の面目が立ちません」
「……わかった」
はあ、とグラントは再度、深い溜息をついた。