二人の王子~リデア=ウェルナール視点2
「ん……」
グラントが目を擦った。
「眠くなってきたのね? もう寝ましょうか」
こくん、と半開きの眼でグラントが頷いた。グラントの身体を座席に寝かせ、膝枕をした。ショールを身体にかけてやると、ふあああと欠伸をした後、横を向いて寝てしまった。
「ふふ……疲れているのね……」
がたごとと、馬車の車輪の音が響く。柔らかな金の髪を撫ぜながら、少し窓を開いてみた。細い月が見える。夜風はまだ肌寒かった。再び窓を締め、私も座席の背もたれに、身体を預けた。
できるだけ早く、と馬車を急がせた。夕方頃ついた宿屋で馬車を乗り替え、夜通し走らせる事にした。
(王宮から早く離れないと……)
あそこから出れば、王位を狙うつもりのない事は、わかっていただけるだろう。だから、グラントを狙う理由もなくなるはず――
――なのに、言いようのない不安が心を締め付ける。あの、青い瞳に浮かぶ憎悪……それが何故グラントに向いていたのか、が判らないから。
あの御方は、全てをお持ちのはず。王太子妃としての立場。王太子殿下の愛情。リカルド王子。私には手に入らないものをお持ちなのに。
(私には……この子だけ……)
私に残った、たった一つの宝物を奪わないで。傷つけないで。グラントの寝顔を見ながら、そう祈った。
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がたん!
「……!?」
馬車が大きく揺れたはずみに、目が覚めた。少しうとうとしていたらしい。
「……!!」
何? 誰かが叫んでいた。咄嗟にグラントを抱き締める。
「……かあ……さま……?」
まだ寝ぼけたような声。がたがたと音がして、扉が乱暴に開いた。
「……リデア様! グラント様!」
焦った様な声と共に、男性が入り口から顔を覗かせた。
「……あなたは……っ!」
殿下付きの騎士。何度かお見かけした事があった。
「ヴェルナー伯の命でお伴しておりました。早くお逃げ下さい!」
グラントを抱き起して、入口から降りる。騎士様が手を貸してくれた。つんざく様な剣の鳴る音。
「あれは……!」
馬車を護る様に戦っている騎士達に相対しているのは……闇夜に沈む、黒いマントの……
(あの時の、魔道士!?)
こちらへ、と促され、馬車の後ろの方へ、グラントの手を引き、走る。心臓の鼓動がやたらと大きく聞こえた。
(まさか……あの御方の……!?)
「……っ!」
目の前に影が揺らめき、立ちふさがった。騎士様が剣を構え、突っ込んでいく。私はグラントを抱き締め、騎士様と影の戦いを見ることしかできなかった。
「かあさま……」
「グラント、大丈夫だから。きっと騎士様が……」
そう言い聞かせていた時――銀色に光る剣の刃が、くるくる回りながら、私達の方へと飛ばされてきた。
「きゃっ……!」
グラントの頭を抱え、後ろに一歩下がる。からん……すぐ近くで剣の落ちる音がした。
「騎士様!?」
「ぐっ……!!」
黒い手が、騎士様の首を掴み、身体を宙に吊るしていた。騎士様の足が徐々に地面から離れる。騎士様を見上げる、黒いマントの下で……妖しく光る、真っ赤な瞳。
「……!!」
ぶん、と騎士様の身体を横に放り投げた。騎士様の身体は、地面で一度跳ね、横の方へと転がった。衝撃が大きかったのか、うめき声が聞こえて来た。
「騎士様!!」
私の声にも、立ち上がる事ができないのか、騎士様はふるふると震えながら腕をこちらに伸ばそうとしていた。
黒い影が……こちらを向いた。私は息を呑んだ。
――ゆっくりとこちらを見た赤い瞳に……グラントの身体を自分の後ろに廻した。
「かあさま!?」
「グラント、じっとしていなさいっ!」
くっくっく……あの時聞いた、笑い声が、また聞こえて来た。
『……逃げても無駄ぞ。その王子を消すことが我らの目的。目的を果たすまでは、どこまでも付きまとう』
「ど、どうしてっ!!」
私は思わず叫んだ。
「この子はもう、王位とは関係ありません! どうしてこの子を……っ!!」
『どうして……?』
暗闇の中に溶け込んでいるのに……にやりと笑った、赤い口元が見えた様な、気がした。
『……ウィリアム王子の血を引く子であることが、許されぬのだ』
「なっ……!?」
黒い影から出た、意外な言葉。私は硬直したまま、目を見開いた。
(殿下の……御子である事が、許されない!?)
どういう意味なの!? そう考えていた私に、聞こえて来た、声があった。
『……殿下の子を産むのは、私でなくてはならなかったのに』
突然心に響いてきた……あの御方の……。
(ま……さ、か……)
顔から血の気が引いていくのが、自分でも判った。
『忌々しい、その銀の瞳……殿下が……私以外の女と子を成すなどと……』
(アスタリア……様、は)
愕然とした。王太子妃であり、リカルド王子の母。何も欠けたところのない御方……が。
――ウィリアム殿下を……愛して、おられる、のだ……
自分の夫の……双子の弟君、を。
それこそは……誰にも言えぬ、想い。打ち明ける事も……成就することも……叶わない。
(アスタリア様……っ!!)
心臓を掴まれたかのように痛む胸を、左こぶしでぎゅっと押さえた。
私は顔を上げ、黒い影を真っ直ぐに見た。
「……でも、グラントには手出しさせません!! この子には……何の罪もないのですからっ!!」
くすくすと嫌な笑い声が、闇に響く。
『ほう……ならば、どうする気だ? このような目に遭ったら?』
「……っ!!」
突然、巻き起こった風が、私の身体を切り裂いた。痛みが痺れと共に身体を覆う。私は、グラントを庇うようにぎゅっと抱き締めた。
「かあさまっ!」
『お前も……許さぬ、とのおおせだ。一気に殺したりはせぬ。じっくりと味わうがよい……死への恐怖をな』
何度も何度も、繰り返される攻撃。肌が切り裂かれる痛み。身体中の傷から流れる血。グラントの叫び声。感覚すら、失われていた。
思う事は……只一つ
――この子だけは……護る。私の命を賭してでも。
「かあさま、かあさまっ!」
グラントの悲痛な声だけが、聞こえる。
「だい……じょうぶ。あなたは……護る……から……」
ばらばらになりそうな意識を……必死に繋ぎとめる。この子を……グラントを……
『……そろそろ飽きて来たな。とどめだ』
声と共に……身体に背中から衝撃が走った。呆然と自分の胸を見下ろす。胸の中央に……穴が開い……て……?
ゆっくりと身体が倒れていく。身体の右側に冷たい地面の感覚。時が過ぎるのが……やたらと遅く感じた。不思議と痛みはない。ただ……私を覗きこむグラントの瞳が……
「かあさま!!」
私の前に屈みこむグラントの姿が二重に見えた。
「グラ……ント……」
手を伸ばそうとする……でも、動かない。どくどくと身体から血が湧き出る音だけが……耳に響いた。
ゆっくりと近づいてくる、黒い影。
「グラント……逃げ……」
声も……出ない。目が……翳んで、いく……。
『……これで終わりだ。忌まわしい王子よ』
グラントの後ろに立った影が……ゆっくりと右手をあげた。
「――っ!!」
声にならない声が……聞こえた気が、した。
――次の刹那……何が起こったのか……私には、判らなかった。




