二人の王子~リデア=ウェルナール視点1
何故、この御方は、こんな目で……グラントを見るのだろう。
初めて間近でお会いした、美しい御方は……憎しみに満ちた目で、この子を睨み付けていた。
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『……リデア様は、殿下に盗賊の魔の手から助けていただいた、とか』
『は、はい……行く当てのない私を、赤の離宮にお連れ下さいました』
『……お優しい事。そう言えば、リデア様以前にも、そのような御方が何人もおられたそうですわね。今は皆様離宮を出られて、故郷に戻られているとお聞きしましたが』
『……』
『グラント王子は……ウィリアム殿下によく似ておられますわね? リカルドも王太子殿下似ですから、双子のように見えても致し方ないのかも知れませんわね』
『は……い……』
『ウィリアム殿下は剣の達人。いずれリカルドにも教えていただきたいものですわ』
『……』
先程から感じる、違えようもない、悪意。ぞっとする程、美しい青い瞳に浮かぶ……嘲りの色。
(やはり……私のような身分の者が側室だなんて……お気に召さないのかしら……)
歴史あるセレスタインの第一王女。美しさもさる事ながら、魔術と医術に造詣深く、アスタリア様がグランディアに嫁がれてから、この国の医療技術は格段に上がった、とウィリアム殿下が教えて下さった。
そんな御方が……何故……。
強張った顔をしていた私に気がつかれたのか、ウィリアム殿下が声をかけて下さった。
『……リデア。グラントはやはり、そなたの方がいいようだ』
『殿下……』
グラントを抱くと、ほっと溜息が出た。温かくて、柔らかい感触。ほんのりと甘い匂いがする。可愛い我が子。殿下がグラントを見る瞳は……とても優しかった。
――一瞬の事、だった。
気のせいか、とも思える程……でも、確かに存在した。
……この子への……憎しみ、が
青く美しい瞳の中、に。
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殿下の様子がおかしい、と気付いたのは……グラントがもうすぐ三歳になろうとしていた時だった。
綺麗な青い瞳は……どこか遠くを見ている。私を見ているようで……見ていない瞳。グラントの相手をして下さっている時も……表情に曇りが見えた。
――殿下に……愛する方が現れたのだ。すぐに判った。あの瞳は……報われない想いを秘めた瞳は……私と同じ、だったから。
『……殿下』
『……リデア?』
『……どなたかを……想っていらっしゃるのですね……』
殿下ははっとしたように、私を見た。私は……胸の痛みを隠しながら、少し微笑んで見せた。
『殿下が……私を愛してらっしゃらない事は……わかっておりました』
『……』
『……それでも、殿下のお傍に仕える事が出来て……とても、幸せです。グラントという宝物も頂きましたし……』
向こうで猫と遊んでいるグラントを見た。殿下をそのまま小さくしたような、元気な男の子。
『もし……殿下が、その御方と御一緒になられるなら……私は……』
『……リデア……』
済まない。そう言って、殿下は私に頭を下げられた。
『で、殿下!? 何をなさって……!!』
『お前と……グラントを大切に想う気持ちに変わりは……ない。だが……』
私は立ちすくんだままの殿下に近寄り……そっと抱き締めた。
『いいのです……どうしようも、ないのでしょう……? どうか、御自分に嘘をつかないで下さいませ』
『……』
殿下は黙ったまま……私を強く、抱き締めた。
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殿下が愛しておられる女性が、光の巫女姫だと知った時は、少なからず驚いた。
『手の届かない御方なのだ……だが、それでも……』
巫女の塔からお出ましになれない巫女姫。手を触れることも……ままならない相手。私も……身分不相応な恋をしているけれど……こうしてお傍にいる事はできる。
でも、殿下は……それすら、許されないのだ。
『……殿下。私は……殿下に幸せになっていただきたいのです』
『……』
『殿下は……私に、沢山の幸せを下さいました。だから……』
『リデア……』
『どうか……諦めないで下さい』
もし、巫女姫様が……殿下の元に来て下さるのなら。
グラントを可愛がって下さるのなら。
……私は喜んで、この身を引こう。
私は、そう、真剣に考えていた。
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薔薇園で、薔薇の手入れをしていた私は、とぼとぼと離宮に歩いてくる小さな影を見つけて、目を丸くした。
『グラント!?』
傷だらけのグラントに、私は慌てて駆け寄った。屈んで、服についた泥や枯れ葉を、払い落す。
『どうしたの!? 王宮でお父様に会うって……』
小さな手が……震えていた。思わずぎゅっとグラントを抱き締める。迎えに来てくれた家臣も……付いていない。
『……とうさまは……いないって……』
ぽつり、とグラントが言った。いくら王宮内とは言え……まだ三歳を過ぎたばかりの子どもを一人で……
(グラントは……年の割に聡い子だけれど……)
まだ幼いこの子が……泣くのを堪えているのを見て、胸が痛くなった。
誰かが……この子を……?
――ぞっとするような、青い瞳が……瞼に浮かんだ。
(ま、さか……あの御方が……?)
不吉な予感を追い払うように、私はグラントの身体を強く強く抱き締めた。
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もう、グラントを王宮に行かせる事もなくなった。赤の離宮から出ないよう、気をつけるようになった。やんちゃ盛りのグラントにはかわいそうだったけれど……怪我をしたり、置き去りにされたりと、立て続けに不審な事が起こっている以上、この子の安全を第一に考えなくてはならない。
(でも何故……グラントを?)
王太子殿下には、リカルド王子がいらっしゃる。王位継承権は、王太子殿下、リカルド王子、ウィリアム殿下、についで第四位。あの御方が、グラントを目の敵にする理由がない。
(殿下には……言えない……)
敬愛する兄君、王太子殿下の妃殿下が、グラントに危害を加えているかもしれない、などと……恐らく信じてはもらえない。例え信じて下さったとしても、王太子殿下との板挟みになり、どれ程殿下が苦しまれるか……。
(証拠があるわけでは……ないのだもの……)
そう……ただ、私が感じているだけなのだから。あの御方の……悪意を。
――この子を守らなくては。グラントの小さい身体を抱き締めながら、私は誓った。
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王宮を辞す――これが、私の出した結論だった。
王宮さえ離れれば、グラントがあの御方の気に触る事もないだろう、そう思った。
殿下と親しいヴェルナー伯爵に話を聞いていただいた。緑色の瞳を見開いて、驚きの表情を浮かべた伯爵は、『王位継承権を持たれる王子を外にですと……!?』と大反対されたが……どうしてもグラントを置いていく事は出来ない、と必死で訴えた。
結局は殿下に直訴する形で、無理矢理認めてもらった。
『グラント、かあさまの故郷に行きましょうね?』
薔薇園でグラントにそう告げた。
『うん』
グラントは素直に頷いた。本当に、この子は……まだ三歳かと思うほど大人びている。意志が強く、滅多に泣かない。何を教えても、砂が水を吸うように、覚えてしまう。あまりに出来すぎる子で……逆にそこが心配だった。
『ねえ、グラント? 悲しかったら、我慢しないで泣いてもいいのよ?』
グラントは銀色の瞳で、私を見上げた。
『かあさまを……まもるから。とうさまのかわりに』
『……!』
目を見張った。この子は……気付いていた、のだ。殿下の心が……私から離れている事を。
胸が……一杯になった。思わず跪いてグラントを抱き締める。
『ありがとう……グラント。私はあなたがいるだけで、幸せよ』
グラントが顔を上げて笑った――その時、薔薇の花弁がざあっと舞い散り……身の毛がよだつ様な気配、がした。
『誰っ……!?』
グラントを抱き締めたまま、叫ぶ。赤い薔薇の向こうに……黒いフードを被った人影が揺らめいていた。
『……』
黙ったまま、黒い影がさっと右手を上げる。
『……きゃ……あっ!!』
咄嗟にグラントを庇う。頬から温かいものが流れた。ドレスや地面に、槍がかすった様な跡があった。
『かあさま!?』
グラントの小さい手が……私の頬に触れた。
『……その王子は……邪魔だ』
『!?』
グラント!? グラントを狙ってる!? 自分の身体でグラントを覆う。
『な、何故っ……!! この子を王位になどと考えておりませんっ!!』
くっくっく……嫌な響きの笑い声がした。
『……その存在。存在そのものが……許されぬ』
『な……!!』
『……の血を引く子。忌々しい、その瞳……』
息を呑んだその時――
『リデア!? どうした!?』
殿下の声!?
小道から殿下が姿を現すのと同時に……黒い影が消えた。
がたがたと身体の震えが止まらない。ただグラントを抱き締める。殿下が私達の方に走り寄って来た。
『悲鳴が聞こえたぞ!? 何かあったのか!?』
『で……んか……』
殿下は私の顔を見て、表情を強張らせた。跪き、私の頬に手を当てた。
『血が……誰か、いたのか?』
『……わかり……ません』
あの魔道士が……どこの手の者かは、わからない。でも……狙われているのはグラントだ、という事実が、私の心を凍らせた。
私は殿下の顔を見上げた。愛しい方。手の届かない方。
『……殿下。私達は……もう、ここには……』
『何を……!?』
『……お願い……いたします……』
言葉の出ない殿下を前に……私が出来た事は、只々、許しを乞う事だけだった……。
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『ごめんなさい……グラント』
『……どうして、あやまるの? かあさま』
『本当だったら……あなたは、あのお城で、暮らしていたはずなの……でも……』
ぎゅっとグラントを抱き締めた。
『……帰りましょう、かあさまの故郷へ。そこなら……あなたを守ってあげられる』
私とグラントは、人目の少ない早朝に、質素な馬車に乗り、グランディア城を後にした。
そう……王宮から離れればきっと……グラントが狙われる事もないはず。もう王位を継ぐ気はない、と宣言したも同じなのだから。
……その考えが間違っていた事に気がついた時には……もう、遅かった。




