赤の離宮~闇の刃
ありあの上に……人型に化けた黒い影が覆いかぶさった。禍々しい瘴気が、影から滲み出ていた。額に一筋、銀色の傷があった。
間近でみる赤い瞳にも……ありあは全く反応しなかった。ただ、目を開いたまま……影を見ていた。
『……ふん……』
鱗が生えたような黒い手が、ありあの頬に触れた。頬に細長い傷ができる。その痛みも……感じていないような、表情。
『人形を相手とは……趣がない』
今まで相手をした人の娘は、狂わんばかりの恐怖に涙を流して身悶えし……最後には悲鳴のような狂った嬌声を上げていた、というのに。この娘は、身体を傷つけても、何も動かない。
『だからこそ……闇の子を宿せる、というのか……』
ぐい、とありあの頭を掴む。覗き込んだ黒い瞳には……何も映っていない。
『まあ……よいわ。ゆっくりと可愛がってやろう……光の巫女には昔、この傷をつけられた恨みもあるしな……』
長い爪の伸びた手が、額の傷に触った。シャルロッテの冷静な瞳は変わらなかった。
舌舐めずりをした真っ赤な舌……牙が光る裂けた口が……ありあの柔らかい唇を蹂躙しようとした、その時。
銀の光が闇を切り裂き――闇の神の背中に突き刺さった。シャルロッテの詠唱が止まった。
『ぐあっ……』
闇の神が身をよじった。背中に刺さった剣が――銀色の光を発し、闇の神を白い炎で包んだ。
『ぐ……』
剣が勢いよく引き抜かれた。闇の神は、よろめきながら、ありあから離れ、魔方陣から出た。闇の神の口から呪文が漏れ……白い炎が消えた。
『何だ……これ……は……』
赤い瞳が、忌々しげに剣を持つ主を睨みつけた。
大きな手がありあを抱き起した。
「――ありあ!!」
ぴくり、とありあの身体が動いた。
何も映っていなかった黒い瞳が――次第に焦点を結び始めた。跪いて自分を見つめる、銀色の瞳――。
「……グラ……ント……?」
弱々しい声。グラントは力強くありあを抱き締めた後、再び立ち上がり、闇の神と対峙した。
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「――ありあ!!」
何も感じなかった世界に……聞こえて来た、声。
ふっと深海から浮上するような、感覚。温かい……大きな、手……銀色の瞳が……見てる……。
「……グラ……ント……?」
ぎゅっとグラントに一瞬抱き締められた。そしてすぐに、また床に寝かされた。
グラントが私を護るように、立ち上がって……黒い影の方に剣を構えた。
「――っ!!」
全身が痺れた。今まで死んでいた傷口が、生き返ったかのように、ずきんずきんと痛みの脈を打つ。
「う……あ……っ」
思わず漏れた悲鳴に、グラントがちらと視線をこちらに向けたが、すぐに闇の神に注意を戻した。
『……その剣……光の巫女の手先、か。我に勝てるとでも思うのか……』
闇の神の手に、黒い剣が現れた。グラントが踏み込んで放った一撃を、黒い刃で受け止める。剣戟をふるう激しい音が暗闇に響いた。
「……早く来すぎですわね、陛下は……」
いつの間にか、ありあの近くにシャルロッテが立っていた。シャルロッテがしゃがみ込み、ありあの額に手を当て、何か、を詠唱した。
「あ……」
再びありあの感覚が鈍くなっていく。痛みが……薄らいでいく……
(なにも……かんじな……)
シャルロッテは、再び立ち上がり、戦う闇の神とグラントを見た。ありあも薄れゆく意識をかき集めて、顔を戦いの方に向けた。
(グ……ラント……)
来て……くれた。それだけが、ありあの心に残っていた。
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「っ!」
鋭く切り込んで来る黒い刃を、寸ででかわし、横から剣を振り下ろす。銀色の剣の刃が触れた部分から、瘴気が散った。
『ふん……只の人間にしては、なかなかやりおるな……』
赤い瞳がぎろりと光る。グラントも油断なく間合いを取った。
(ありあ……!)
傷だらけ、だった。虚ろな目で……こちらを見た。ぎり、と歯を食いしばる。ありあのすぐ傍には、シャルロッテ、がいるが……。
(……今は、こちらが先、だ)
シャルロッテは、ありあに何か術をかけていたようだったが、ありあの口から上がった悲鳴はやんだ。とりあえず危害を加えている様子はない。
(こいつの……弱点は、どこだ……っ)
踏み込んだ剣先が、相手の剣とぶつかる。つばぜり合い中にも、闇の神から瘴気が発散されていた。
『……お前には闇への耐性があるようだが……いつまで、この気に立ち向かえるのか……のう……』
闇の神のざらざらした笑い声が、辺りに響く。
先程切り付けた背中の傷も、すでにふさがろうとしている。瘴気がグラントに纏わりついてきた。足元で輝く銀の粉の光が、黒い気を打ち消したが……次第に効力が弱くなっているのがわかる。
くっくっく……と笑う闇の神。グラントは一瞬目を細めた。
(あれ……は……)
――額にきらり、と光る一筋の銀の傷跡。細い傷だが……明らかに、瘴気、とは違う気配。
「……ぐあっ!」
左腕に痛みが走る。思わず身を崩したグラントを見て、闇の神の口元が厭らしく上がった。
『……その傷は、瘴気の傷、であろう。我の瘴気に反応し、再び痛みをもたらす……』
息を切らせながら、それでも剣を構えるグラントに、赤い瞳が煌めいた。
『おもしろい……激痛に気を失いかけてもなお、まだ戦おうとするのか……』
「……」
『……その心意気に免じて……直接仕留めてやろう』
闇の神が、剣を持たない左手のひらをグラントに向けた。
「……ぐっ……!!」
纏わりついていた瘴気が、槍のように硬くなり、グラントの左肩を貫いた。傷口が燃えるように熱くなり……そこから瘴気の毒が身体に注ぎ込まれた。
(……腕……がっ……)
左腕に、あの感覚が蘇る。黒の……文様……。
身体が痺れる。意識が、激痛に途切れ途切れになる。グラントの心を繋ぎとめていたのは――只一人、の存在。
(ありあ……っ!)
まだ意志を失わぬ銀色の瞳に、闇の神は満足げに笑った。
『この瘴気を吸っても、まだ立てるのか。なかなか楽しませてくれるわ』
ゆっくりと闇の神がグラントに近づいた。身動きできなくなったグラントに向かって、にやり、と笑うと……
――黒の刃をグラントの頭上から振り下ろした。




