グランディア~馬車の中
「はあ……」
ありあの口から、溜息がこぼれた。正面に座っている男の右眉が上がった。
「何度目だ?」
冷静な声。ありあは男の瞳を見た。鋭く光る、銀色の目。泉の傍で倒れていた時は、従者みたいな恰好だったのに、――白地に金糸の縁取りのチェニック、同じく白地に金糸の刺繍のマントを着た男は、どこから見ても『王』だった。
「……数えてないです……」
――グランディアに向かう馬車の中。ありあは『夫』と二人きりで乗っていた。
グランディア国王、グラント=アルシュ=グラディノール。通り名、『魔王』。
(一体何が、どうなって……)
うーんと悩んでも、どうすればよかったのか、未だわからない、ありあだった。
**********************************************************************
『あなたに嫁ぐって、どういう事!?』
そう聞いたありあを、ちら、と男が見た。男がゆっくりと話しだす。
『「禊」中は他人に手を触れてはならない。もし触れたら……』
泣きながら、女性が続きを言った。
『……巫女の座から降り、触れた相手に嫁がねばならない。さもなくば、死を』
『死!?』
『始めた儀式は終わらせなければなりません。そうでなければ、魔力の反動が降りかかります』
『契りの禊』が只の儀式、ではなく、魔法が絡んでいた事を、ありあは初めて知った。
『で……でも』
私、魔力、ないんですけどっ……とは
(い、言えない……)
躊躇しているありあを、男がじっと見つめていた。
『……元々「禊」が終わったら私の元に来る、はずだった。少し予定が早まっただけだろう』
きっと女性が彼を睨んだ。
『何をおっしゃいますか! 儀式を完了させ、完全な「光の巫女」となるかならないか、は巫女姫様にとって、重大問題ですのよっ!』
堰を切ったかのように、女性が話し出した。
『巫女の座から降りる事が、巫女姫様にとって、どれ程お辛く、不名誉な事かっ……』
『幼き頃より、巫女であるために、姫様がいかに努力されてきたか……お仕えする私どもが一番存じ上げておりますっ』
『その努力、を……っ』
彼女の涙を見ても、男は動揺するそぶり、も見せなかった。無表情のまま、彼女を見ていた。
(でも……!)
『あ、あの!』
ありあの声に、彼女は言葉を止めた。男もありあを見た。
『この方は悪くありません! 私が自分からした事です!』
『巫女姫様!?」
『だから……この方を責めないで下さいっ!』
男が目を見開いた。銀色の瞳が、少し黒ずんだように見えた。
『ひ……めさま……』
呆然と彼女が呟く。その信じられない、といった表情に、ありあの胸が痛んだ。
『ごめんなさい……あなたが心配して言ってくれてる事も、判ってます……』
でも、とありあは言葉を続けた。
『本当に、私がやったことなんです。この方は……関係、ないんです』
『……』
男も彼女も、黙ったままだった。
『では……』
男がゆっくりとありあの目の前に立ち、確かめるように、言った。
『私の元へ嫁ぐことに同意した、ととっていいのだな?』
『え?』
ありあは男を見上げた。背が高い。
『……巫女の座を降りた皇女は、レヴァンダ皇国から追放される。あなたが行くところは、私の国、しかない』
『……あなたの……国って……』
男はありあの右手を取り、指先に口づけしながら言った。
『グランディア王国。それがあなたの故郷となるのだ、我が巫女姫』
**********************************************************************
それから先は、もう目まぐるしく状況が変わって、洗濯機の中で回されてるようだった。
巫女でなくなった事を苦にして自害した皇女、が過去に居たらしく、ありあは決して一人になれなかった。
(魔方陣の間にも全然近寄らせてもらえなかった……)
サーリャの私室から制服とあのハンカチを持ち出すのが精一杯、だった。
……帰るつもりだったのに。
(これから、どうしよう……)
サーリャが、この世界には『異次元への扉』が何箇所かある、って言ってた。
(それを探すしかないのかなあ……)
本当は、巫女の塔に戻れたら一番確実なんだけど、とありあは思った。
思い悩むありあに、低い声が聞こえてきた。
「……帰りたいのか?」
「え!?」
ありあはびっくりして、グラントを見た。
「か、帰りたい……って」
どぎまぎしているありあに、グラントが言葉を続けた。
「……お前も見ただろう。私の左腕の文様、を」
ありあは目を見開いた。
「あれは、昔……呪いを受けた痕だ。あれを抑えるには、聖水の力が必要になる。『禊』中だとはわかっていたが、急を要したのだ……」
苦しそうな表情を思い出した。蒼白で、冷たくなって……。
「また、一月後聖水が必要になる。その時にお前も里帰りすればよい」
「……」
一月後。その時に……魔方陣の間へ行くしかない。
「わかりました……」
こくり、と頷いたありあを、グラントはじっと見ていた。
「……ありあ」
ありあはびっくりして、グラントを見た。初めて名前で呼ばれた。頬に血が上るのが判った。
「……お前に言っておく事がある」
「は……い?」
グラントは少しの間、黙っていたが、やがてありあを真っ直ぐに見た。それまでの口調と全く違う、声がした。
「俺は……お前を愛せない」
「え……?」
ありあはグラントの銀の瞳を見つめた。何を考えているのか、瞳からは判らなかった。
「正妃、として尊重することはできる。だが……」
ありあには、グラントの顔から表情が消えたように、見えた。
「……俺は死んだ妹を愛してる。だから、俺を愛さないでくれ」
「……はい?」
ありあが自分の耳に入った言葉を理解するのに、たっぷりと十秒、かかった。
「……」
「……」
「え……」
「えええええええええっ!?」
思わず大声で叫んだ。
(いっ、今、この人、何言って……っ!)
グラントの顔は至って冷静、だった。
「い、い、妹……って……!!」
き、禁断の愛っ!? しかも死んでるって!? ありあは口をぱくぱくさせた。
(で、でも、古代エジプトは兄妹間で結婚とかできたっけ!? こっちではどうなの!?)
これが変態、なのか常識、なのか、が判断できない。
「そ、それは、遺伝子的に問題ある……って言うか、何と言うか……」
どう答えればいいの!?
あたおたしているありあを、グラントの銀の瞳が捉えた。
「城の中で好きに過ごすといい。正妃、としての体面は保ってもらうが、それさえ守ってくれれば俺からは何も要求しない」
ほ、放置ですかっ!?
(ど、どうすればいいの……!?)
ありあはしばらくうーんと考え込んだ。グラントは、そんなありあをじっと見つめていた。
(で、でも、構われるよりは、放置、の方が都合がいいかも……しれない)
侍女の話、では巫女姫だったサーリャは王宮の催しにも全く参加せず、ほとんど大半をあの塔の中、で過ごしていた、らしい。
ということは、サーリャの事を詳しく知っている人間は外国にはほとんどいない、ことになる。
(この人さえクリアすれば、何とかなるの……かも)
一応、サーリャの面目も保たないといけない。それなら……。
ありあは顔を上げ、グラントの銀の瞳を見た。
「……正妃、とはどうすればいいのでしょうか」
グラントの瞳が丸くなった。
「そ、その……好きに、と言われても、どう好きにしたらいいのか……」
グラントがはあ、と溜息をついた。
「……お前は、あの塔からほとんど出た事がないんだったな……」
グラントが、ゆっくりと説明しだした。
「……王宮での行事への出席。城の運営……は、たまに確認しれくれればいい。後は……」
真面目な顔で話を聞いているありあに、グラントが爆弾を落とした。
「……次代グランディアの後継ぎを産む事。それが最大の務め、だ」
え。
え。
え。
「えええええええええええええっ!!」
ありあは思わず後ずさりした。馬車の背もたれに、背中が貼りつく。頬に血が上る。
「あ、あ、後継ぎ……って……!!」
なになになになにっ!! 頭の中、が真っ白になった。
「……お前、真っ赤だぞ」
ぽつり、とグラントが言った。
「だ、だ、だって……っ!!」
さ、さっき、妹を愛してるって、言ってたじゃないっ!!
もう、ありあの頭の中はぐるんぐるんに回っていた。
「……そう、周囲は期待する、と言う事だ」
パニック状態のありあに、グラントが言葉を継いだ。
「き……期待?」
ああ、とグラントが頷く。
「今まで俺に正妃、はいなかったからな。早く身を固めろと、側近たちがうるさかった。正妃が来たら来たで、次はお世継ぎを、と言い出すに決まってる」
「……」
グラントが、ありあをちら、と見た。
「面倒になりそうな事はしない。当分、お前を孕ませるつもりはないから」
は、は、はら……っ!
話についていけない。ありあは固まったまま、だった。
「……あれ?」
ようやく、グラントの言った言葉が、ありあの頭に入って来た。
「そ、そ、そういう事はしない……って事?」
「……ああ」
ありあは、長い息を吐き出した。やっと息が出来た。
「よ、よかった……」
思わず本音が口からこぼれた。グラントの右眉が上がった事も、ほっとしていたありあは気がつかなかった。
**********************************************************************
……こいつ、あからさまにほっとしたな。
それはそれで、あまり気分のいいものではなかった。
グラントはありあを見つめた。真っ直ぐな黒髪に、大きな黒い瞳。自分に触れた柔らかくて白い手。
最初から、この娘は想像と違っていた。
あの傷が酷く、『禊』終了まで待ってはいられなかった。『禊の儀式』中は、あの塔に近寄る者はいない。巫女に見られるかも、とは思ったが、どうぜ無視されるだけだろう、と思っていた。
――手を触れれば、巫女としての全てを失うのだから。
あわよくば、巫女の塔に侵入した、と破談になればよい、ぐらいにしか、考えてなかった。
それが……
痛みが酷くてよく覚えていないが、優しく手当てをしてくれたことは判っていた。破れた服。聖水に浸した布を、傷にあててくれていた。
『この方は関係ありません』
そう言って、俺をかばった。おかげで、レヴァンダ皇国からはそれ以上、抗議されることもなかった。
もしや、グランディアの正妃、という立場を欲しているのか、とも思ったが……
……俺にすり寄ってくる気配、すらない。この安心した様子では……正妃に執着しているようにも見えない。
……わからん。
グラントはありあを見ながら、これから何か、が起きそうな予感を感じていた。