グランディア城~新月
「……」
中庭の土いじりをしていたジェードは、ふっと空を見上げた。青い空。吹き渡る風。彼はすっと立ち上がり、すぐ傍で薔薇の剪定をしている妻に声をかけた。
「……サーリャ。今日は……何か、あるのか?」
サーリャが帽子のつばの下から、夫を見た。
「どうしたの? ジェード」
いつも穏やかなジェードの表情が……心なしか硬かった。
「……大地が変だ。風も……空気も、いつもと違う」
「……」
一流の庭師であるジェードは、自然の変化に敏感だ。少しの変化でも見抜いて、先を予測してしまうため、『預言者』扱いされたこともあるぐらいだった。
「……今日は新月、なのね……」
月の満ち欠けは、魔術にとって最も重要な要因の一つ。特に、終焉と新生を司る新月と、力の充足を司る満月の夜は、魔術師が動く時、でもある。
(アーリャが……あんな不安定な状態で新月というのは……)
サーリャは目を瞑り、風の声を聞いた。今のところ、闇の気配、はない。グラント王も……アーリャについていてくれている。
「でも……」
なんだろう。この、不安感は。何か、が背後で蠢いているような。
ぽん、とサーリャの肩をジェードが叩いた。
「……俺もついている。あまり無理をするな、サーリャ」
サーリャはジェードに微笑みかけた。
「ええ……」
サーリャは王妃の間、の方角を見た。
(アーリャ……)
今日は特に気を配っておこう。そう思いながら、サーリャは再び大輪の薔薇に向き合った。
**********************************************************************
きらり。
「……あれ?」
ありあは目を細めた。何か、が視界の片隅で光った気が……した。
「アーリャ様、いかがされました?」
サリが声を掛けて来た。
「ううん……何でもないの」
ありあは、ソファに座って、のんびりとくつろいでいた。身体のだるさは少しましにはなったが、まだ動きまわれるほど元気でもない。
(無理しちゃだめだよね……ちゃんと治さないと)
『鬼のような』サーリャの授業も、今日はお休みだ。
(最近……何か、がちらつくんだよね……)
景色が二重に重なって見える、みたいな。掴もうとしても、するりと抜けて行ってしまう、何か。
うーんと考え込んでいるありあに、香ばしい匂い、が漂ってきた。
「アーリャ様。料理長特製のお菓子、だそうですわ」
サリがお菓子とお茶の用意をソファの前のテーブルに並べる。ありあは身を乗り出した。
「わあ……おいしそう」
こんがりと焼けたクッキーに、木の実や干しフルーツたっぷりのケーキ。
(ラムダさんのお菓子って、本当……)
ふっと思考が途切れる。確か……前にも貰った気がする……。
「アーリャ様?」
サリの声に、ありあは我に返った。
「どれにしようか、迷っちゃった。みんな美味しそうだもの」
ふふっとサリが笑う。
「料理長に伝えておきますね。きっと喜びますわ」
ありあがふんふん、と鼻歌を歌いながらお菓子を選んでいると、ノックの音がした。
「陛下!?」
扉を開けたサリの驚いたような声。グラントが真っ直ぐありあの元に歩いてきた。
「にい……グラント。お仕事中じゃなかったの?」
銀色の瞳を見上げる。グラントは少し髪をかき上げた。今日は黒っぽい服。金糸の刺繍。何着ても似合うなあ……とありあは思った。
「……休憩中だ。旨そうだな」
ありあはにっこり笑って言った。
「時間があるなら、少しお茶しない?」
「……ああ」
グラントがありあの隣に腰を下ろした。サリがお茶の用意をしてくれる。こぽこぽ……お茶のいい香りが王妃の間に広がった。
「はい、どうぞ?」
「……ありがとう」
お茶を受け取ったグラントは、一口飲み、ありあがかじっているクッキーを見た。
「……前のと似ているな」
「うん! 私、こういう焼きっぱなしのお菓子、大好きなの。素朴で温かくて……」
サリがうふふと笑いながら、言った。
「料理長はアーリャ様のお好みを把握しているそうですよ? アーリャ様に笑顔になって欲しいそうですわ」
ありあも嬉しそうに笑った。
「私も、お城の皆に笑顔でいて欲しいって思ってるわ。皆大好きだし……」
グラントがカップをテーブルに置く音がした。
(……あれ?)
最後の一口をもぐもぐと食べていたありあは、目を見張った。グラントが……ビミョーな顔でこちらを見ている。
「あの……に……グラント?」
「……大好き、なのか」
「え? う、うん」
じと目で見られているような気がするのは……ナゼ?? サリがこほん、と咳払いをし、「厨房に行ってまいりますね~」とさりげなく?席を外した。
――残されたのは、黙ったままのグラントと、疑問符だらけのありあ。
(えーっと……)
この沈黙をどうしたらいいのだろう。ありあは笑顔が引きつるのを感じた。
「……お前は……」
ぽつり、とグラントが言葉を継ぐ。
「ここにいて……幸せ、か?」
「え?」
ありあの目が点、になった。
「……うん、幸せだよ? にいさまも、サリも、ヴェルナーさんも、ラムダ料理長も、お城の皆も優しくしてくれるし……」
「……」
うーん……。ありあは内心首をひねった。
「あの……にいさまは、そうじゃないの?」
グラントがありあの瞳を真っ直ぐに見た。大きな右手が、ありあの左頬に伸びた。そっと触れられた手が……温かい。
「俺は……お前が傍にいてくれれば……」
「え……」 心臓が、どきん、っていった。頬が……熱くなる。銀色の瞳なのに……熱く感じる……?
ありあは、しばらく身体が動かなかった。魔法にかけられたみたい……。
――ふっと、長い黒髪が心に浮かんだ。猫のような瞳。真っ赤な薔薇の中で抱きあう二人……。
ありあは慌てて、グラントから離れて座りなおした。グラントが物問いたげな目をした。
「あ、あのっ……」
「……何だ」
「に、にいさまは……シャルロッテさんが好き、なんじゃないの?」
……うぐ。く、空気が凍った……っ……。ありあは思わず首をすくめた。
「……お前がそれを言うか……」
溜息交じりにグラントが言った。
「……シャルロッテは……その……慰め……だった」
「はい?」
「……と同じ色の瞳、だったからな……」
「???」
なんか……こちらをじっと見てる……。ありあは俯いて、クリーム色のスカートを触った。
「えーと……『好き』ってわけじゃ、ない……のに……キス……してた……の……? 見た……けど」
「は!?」
「え?」
ありあは顔を上げて、グラントを見た。びっくりしたような顔してる……けど……?
「……一体、どういう……」
グラントが言いかけたところで、こんこん、とノックの音がし、かちゃりと扉が開いた。
「……お寛ぎの所、申し訳ございません、陛下。執務室にお戻りいただけますか」
「ヴェルナ―さん?」
入り口でお辞儀をしているのは、ヴェルナ―伯爵だった。
はあ、と溜息をついて、グラントが立ち上がった。見上げるありあの瞳を、銀色の瞳が捉えた。
「……今日は部屋でゆっくりしていろ。今の話は……後で聞く」
「うん……」
ありあも戸惑いながら頷いた。
二人が王妃の間を出ていった後、ありあは、はあ……と深い溜息をついた。
**********************************************************************
『……』
不思議な旋律が薄暗い部屋に響く。うっすらと床に銀色に光る魔方陣が浮かび上がっていた。
今夜は新月。死と生が交り合う時。
(場が……形成される……)
黒い髪に黒い瞳の、あどけなさを残した少女。王の関心を一身に集めていることにも、自分が我らの存在を脅かしていることにも、本人はまるで気がついていない。
(『神降し』……)
禁呪と言われ、封印されている秘術。初代『光の巫女』を生み出したと伝えられている魔術は、その後幾度も失敗に終わってきた。何故なら……
『神と交わり、その身に神の子を宿す事のできる身体の持ち主は、そうそうおらぬ』
そう言って、闇が笑った。『今までの女は皆、神と交わった時点で発狂死するか、宿した魔物に腹を喰い破られ、母子共々死亡するか……闇の神の子を出産するに至っておらぬ。だが……光の巫女であれば……』
『闇への耐性もあるはず。心は壊れるかも知れぬが……闇の子、さえ誕生すれば構わぬ』
『光の巫女も光の神の子を宿すことで誕生した。今度は……闇が生まれるのだ』
――冷たい。大丈夫?
そう言って、この手をとった、優しい手。あの手も……失われるのだろう。
そっとまだ平らなお腹に手を当てる。目を瞑り……呼吸を整える。
「全ては……今夜……」
黒い瞳が……虚空を見つめていた。




