グランディア城~王妃の間
白い手。白い手がまた、纏わりついてくる。身をよじって、逃げようとした。
「いや……っ……!!」
奪われる。全てを。大切なものを。
「無くしたくないの……っ!!」
何かを掴もうと伸ばした手を、誰か、が掴んだ。
『……』
誰かが優しく何か、を囁く。身体が温かさに包まれる。白い手が――消えた。
「……あ……」
お礼を言おうとしたけれど……言葉が……出ない。
「……そばに……」
温かさに甘えるようにすり寄った。もう……大丈夫……。
「……いて……」
誰かが耳元で何かを言ったが、ありあにはもう聞こえなかった……。
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「おはようございます、アーリャ様」
「ん……」
サリの声にゆっくりと目を開ける。朝の光がまぶしい。
「おはよう……サリ」
身体を起こす。ありあは眉をひそめた。
(あれ……?)
なんだか……だるい。気だるさが身体を取り巻いていた。
「サーリャの鬼特訓で疲れてるのかなあ……」
ベッドから立とうとして、腰を上げた途端に、足元がふらついた。ぺたん、と床に座り込む。
「アーリャ様!?」
サリが慌てて駆け寄ってきてくれた。
「サリ……なんだか、だる……」
――そのまま、ありあは気を失ってしまった。
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また白い手が捕まえようとする。
逃げようとした時、目の前に突然、ある光景が広がった。
(何……?)
長い黒髪に……悲しげな黒い瞳。同じ顔をした、女性が二人。
『……行ってしまうの? ファーニア』
ファーニアって……かあさま?
『……ええ。このまま、この国にいることは、できないわ……』
そう言って、お腹に手を当てた。
『この子を……守らなければ。闇からも光からも』
『……グランディアに降嫁して、大丈夫なの? あの国には……』
『判っているわ……でも……』
決意が込められた声。
『諦めたくないの。この子が幸せになる可能性を』
『ファーニア……』
『たとえ……の子だとしても……私の子であることには、変わりはないわ……』
(かあ……さま……)
手を伸ばそうとした。でも、届かなかった。
――もうこれ以上は、おやめなさい。
聞き覚えのある、優しい声、がした。
――まだ力を使いこなせていないわ。身体がついていっていない。
(でも……かあさまが……)
――自分を心配している人を大切になさい。
(大切に……?)
ありあは深海のような夢の世界から、ゆっくりと浮かびあがろうとしていた。
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「……ありあ……っ!!」
ゆっくりと目を開ける。綺麗な金色の髪が、すぐ傍に見えた。いつも冷静な銀色の瞳が――揺れていた。
「……グラント……?」
ぼーっとしたまま答えたありあを、グラントが思い切り抱き締めた。
「……お前が倒れたと聞いて……っ……」
切羽詰まったような声。
(あ……)
温かい。力強いこの感触。
(いつも……助けてくれてる……)
「……護ってくれて、ありがと……」
「え?」
グラントが少し身体を離し、ありあの瞳を覗き込んだ。ありあはうっすらと微笑んだ。
「……き……」
呟くように言葉を紡いだ後、ありあはまた深い眠りに誘われていった。
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「……記憶が戻りかけている、のかも知れないわ」
ありあの見舞いに来たサーリャが言った。
「『ありあ』の記憶か?」
グラントの問いに、サーリャが頷いた。
「多分、夢の中で『過去の思い出』を見ている状態なのよ。どこまで思い出すのかは、わからないけれど……」
「では、アーリャ様は当分眠った状態が多くなる、ということですか」
すやすやと眠るありあを見ながら、ヴェルナー伯爵がサーリャに尋ねた。
「そうね……今は無理させない方がいいかも。昨日もずいぶん頑張ったことだし」
「……俺を……」
グラントがぽつり、と言った。
「……と、言って……」
「は?」
サーリャが目を見張った。目の前のグラントをまじまじと見る。『魔王』として近隣諸国から恐れられている、大国グランディアの王。それが……。
「……大丈夫なの? あなたの方がアーリャよりも重症に見えるけれど」
「……」
ヴェルナー伯爵もちら、とグラントの顔を見た。
「……このようなお顔をされる陛下を見るのは、私も初めてですが」
「……」
途方に暮れている、という表現がぴったりだ、とサーリャは思った。ありあを見るグラントの瞳には、抑えきれない激しい感情と――壊れ物を扱うような怯え、が混ざり合っていた。
はあ、とサーリャは溜息をついた。
「あなたがアーリャを想う気持ちは判るけれど……アーリャの気持ちも尊重してあげないとだめよ」
「……」
「わかっているとは思うけれど……」
溜息交じりにサーリャが言葉を継いだ。
「今のあなたは、アーリャにとって『兄』なんですからね。事実がどうであれ」
グラントははっとしたように、サーリャを見た。
「……お前……知っている、のか」
「……母とファーニア様との間に、隠し事はなかったから」
「……しかし、その事実を公にする事はできません」
ヴェルナー伯爵も困り切った表情で言った。
「前国王陛下、妃殿下のご意向に背く事になります故……」
「……わかっている。そうする事で、アーリャを護ってきた事も」
グラントは、少し遠い目をした。
「……私が言う事ではないのかも、知れないけれど」
サーリャはグラントをまっすぐに見た。
「ありあも、アーリャも、あなたを大切に思ってる」
「……」
「でなければ、サニリアがあなたの記憶を真っ先に消すわけないわ。一番邪魔な記憶だからこそ、消したのよ」
「……サーリャ……」
「……例え……彼女が思い出さなかったとしても」
サーリャはにっこりと笑った。ありあと同じ笑顔。グラントの目が、眩しそうに細くなった。
「もう一度、始めるのでしょう? 最初から」
ヴェルナー伯爵も頷いた。
「陛下の諦めの悪さは、私が保証しますよ。きっとアーリャ様も根負けすることでしょう」
「誉められた気がしないな……」
そう言いながらも、グラントの表情は先程よりも明るくなっていた。
「……心配をかけたな、二人とも」
サーリャとヴェルナー伯爵は、顔を見合わせ、お互いに微笑んだ。




