グランディア城~薔薇園・赤の離宮
「うわ……」
ありあは小型の懐中電灯を照らしながら、狭く暗い通路を歩いていた。冷んやりとした空気。頭の方にはクモの巣。人一人がやっと通れるぐらいの幅。
(多分、各部屋の間が通路になってるんだ……)
ミーちゃんの鳴き声を追う。階段を降りて、しばらく歩く。今度は登り階段。
「あれ?」
ミーちゃんが、ちょこんと座っていた。階段の最後が、天井を押して開く形の扉になっていた。
ありあは懐中電灯を腰に巻いたポーチにしまい、両手で扉を開けた。
ふわっと薫る、濃厚な薔薇の香り。ミーちゃんが先にぴょこん、と外に出た。ありあも続いて外に出る。
……六角形の木の天井。白い柱で囲まれた、六角形の床。出て来た扉はその床の中央で、そこを取り囲むように木のベンチが設えてあった。
「……庭の……東屋?」
パタン、と音を立てて、扉が閉まった。よく見ないと、そこに扉があるとわからない。床と区別がつかないようになっていた。
ありあは辺りを見回した。真っ赤な大輪の薔薇が風に揺れている。少し離れた場所に見える、白い壁の建物。
「あ……れ?」
薔薇園の中に、ちらと人影が見えた。ありあは咄嗟に屈んだ。大体十五メートルぐらい向こう?、とありあは思った。
こちらに背を向けている、黒いマントを羽織った背の高い男性。プラチナブロンドが陽の光を浴びて、煌めいていた。ふっと横を向いた、その顔は……。
(にい……さま?)
どうして、にいさまが……と思ったありあの目に、もう一人の姿が飛び込んできた。
「え……」
長い黒髪。赤いドレスの女性。離れた場所からでも判る、大人の色気。
(あの……二人……?)
そっと寄り添って立つ二人は、ありあの目から見てもお似合いだった。親密な雰囲気が、薔薇園に漂っていた。
――やがて、女性がそっと男性の首に白い腕を廻した。男性が女性の細い腰を抱き……
……二人の影が重なった。
「……!!」
ありあは思わず息をのんて、しゃがみ込んだ。
(いっいっいっ、今……っ!!)
かあああっと頬が熱くなる。両手で頬を抑える。全力疾走したみたいに、心臓が苦しくなった。
(キ、キ、キス、してた……っ!!)
もう二人を見ることもできない。頭の中がぐちゃぐちゃ……っ!!
(に、にいさまって……恋人、いたの……っ!?)
そんな事、一言も言ってなかったのに!?
(じゃあ……どうして……)
……俺には王妃……はいない。
……というか、私、どうしたらいいのっ!? ひ、人のラブシーンを盗み見……って……!!
ありあはそーっと首を伸ばし、もう一度二人の方を見た。まだ抱きあってる。
(い、今のうちに……)
這うように東屋から出て、二人と反対方向にそろそろと移動した。幸い薔薇の茂みが、ありあの身体を隠してくれた。
そそくさと白い建物に沿って腰を曲げて歩き、反対側にぐるっと周る。
(ここからだと、建物で見えないはずだから……大丈夫、だよね?)
ぺたん、と座り込んで、ふうううーっと大きな溜息をついた。
(び、びっくり……した)
まだ心臓がどきどきしてる。なんか、力抜けた……。
「みゃ~……」
ミーちゃんの声に、ありあは顔を上げた。白い建物の、玄関ポーチの辺りに、ミーちゃんと……黒い猫がいた。
「あれ……って……」
黒猫がミーちゃんの身体をぺろぺろ舐めて、綺麗に毛づくろいしてやっていた。ミーちゃんも甘えたように顔をこすりつけていた。
「そうか……お母さんに会いたかったんだね……」
よいしょ、とありあは立ち上がり、てくてくとミーちゃん達に近寄って行った。み? と親猫が顔を上げた。
ありあはしゃがみ込み、そっと右手を差し出した。親猫は少し躊躇していたが、ありあの手に顔をこすり付けた。
「ふふっ……」
――かあさま。ありあの心に、ふっと浮かんだ影。優しい微笑み。黒い髪に黒い瞳。
『……が、あなたを護ってくれるから』
優しい手が、頭を撫ぜてくれた。
(あれは……いつ?)
にいさまの事は……覚えてるのに。かあさまや……とうさまの事……
(――とうさま?)
ありあの呼吸が一瞬止まった。心臓が……何か冷たい手に握られた気がした。
『……お前が……お前がっ……!!』
『止めて! お止め下さいっ、陛下!!』
な……に、今……の……
何か、が頭に浮かんだのに……シャボン玉が割れたように、唐突に消えてしまった。
硬直したありあの背後から、艶やかな声が掛けられた。
「……王妃様?」
ぱっと振り返ったありあの目に入って来た、色鮮やかな緋色のドレス。ありあは立ち上がり、声の主に向き合った。
――流れるような黒い髪。アーモンド形の、引き込まれそうな黒い瞳。色香が漂うとはこのことか、とありあは思った。
「まあ……こちらにいらしておられたとは、気がつきませんでしたわ」
赤い紅をひいた唇がちょっと腫れぼったい……?
ありあの頬に血が上った。
(うわわわわ……っ!!)
「あの……?」
不思議そうな女性に、ありあはぶんぶんと頭を振った。
「な、何でもないですっ!!」
女性はちら、と猫達に視線をやり、ふふふっと妖艶に笑った。
「……どうぞ? お茶でもお入れしますわ」
「は、はい……」
女性の色気に惑わされ?たありあは、促されるままに、建物の中に入って行った。
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「うわあ……」
エレガントな内装。白い壁紙に、薔薇の模様が銀色に浮かびあがっていた。ほのかに薫る、薔薇の香り。
案内された居間?もふかふかのソファに、趣味のよい調度品が置かれていて、主のセンスの良さがうかがえた。
「……さあ、どうぞ?」
銀のトレイにお茶を乗せた女性が戻って来た。ありあは居住いを正した。
目の前に置かれた、銀色の模様の付いた白いカップ。ありあはいただきます、と頭を下げ、一口飲んだ。
(美味しい……)
ふうわりと立ち上る、フルーツのような香り。ほんのり甘め。
「……今回は香酒を入れておりませんから、安心して下さいませね?」
「……はい……」
今回はって何だろう。ありあは首をかしげながら、お茶を味わった。ソファの隣では、ミーちゃんがごろごろしていた。
(この人……が、にいさまの、恋人……?)
すごく綺麗。向かい合ってお茶を飲んでいる女性は、艶やかで色っぽくて……なにより、『大人の女性』だった。
(敵わない……よね……)
ありあの思考がふと止まった。敵わないって……
(どうして、そんなこと思った……の……?)
にいさまは――にいさま、なのに。
混乱したありあの耳に、優しげな声が聞こえた。
「王妃様……お食事ありがとうござました。おかげで……」
そっと女性はカップを置き、その右手でお腹を押さえた。
「私も、この子も……とても調子がよくなりましたわ」
え?
ありあの目が丸くなった。今……なんて……
「陛下も……きっと、喜んで下さると思いますわ」
ええ?
えええええええええええええっ!?
がちゃん!
「あ……」
カップがソーサーにぶつかって、音を立てた。お茶が少し、ソーサーにこぼれた。
「ご、ごめんなさい……」
ありあは慌てて、カップとソーサーをテーブルに置いた。また心臓がどきどきし始めた。
(こ、この子……って……!!)
この女性妊娠してるの!? ……ってことは……
(に、にいさまの……子……?)
ありあは、ごくん、と唾を呑んだ。頭がついていかない。くらくらしてきた……。
「ねえ……王妃様?」
そっと白い両手が、ありあの右手を握った。
「は……い……」
自分を覗き込む黒い瞳に……惹き込まれそうに、なる。
『王妃様と……二人だけで、お話したい事がございますの』
「……」
……あれ? なんだか……
(頭……が……?)
ありあの視界が一瞬ブレた。女性の瞳と――声以外が、霞んでいく。
『明後日の新月の夜……お一人で、ここに来ていただけます?』
濃厚な薔薇の香り。くらくら……する……。
「は……い……」
「みゃ~……」
ポン、と突然黒い塊がありあの膝に乗って来た。女性が両手を離す。ありあは、はっとして、ミーちゃんを見た。
「ミーちゃん……」
黒いふわふわを抱っこする。すりすり甘えてくるミーちゃんに、ありあは思わず微笑んだ。
「この子は……王妃様を護っているのですね……」
「え?」
ありあが不思議そうな顔をすると、ふふっと女性は再び笑い、テーブルの上のベルを鳴らした。
チリンチリン……
澄んだベルの音が響く。すぐにノックの音。扉がすっと開かれた。
「……お呼びでございますか、シャルロッテ様」
えんじ色の服を着た侍従が頭を下げた。
「……王城へ伝令を。王妃様がここに来られているので、お迎えを、と」
「……承知いたしました」
彼はすっと再び頭を下げ、来た時と同じように姿を消した。
「あの……別に私、一人で帰れますけど……」
シャルロッテ、はちらと窓の外を見て言った。
「……今、薔薇園で黒と白の野良猫が縄張り争いをしていますの。王妃様が巻き込まれて、お怪我でもされては大変ですから」
「……野良猫?」
ありあも窓の外を見た。特に何も聞こえない……けれど。薔薇の木が大きくたわみ……花弁が舞っているのが見えた。
(薔薇の花……が散ってる……?)
背筋に悪寒が走った。ぎゅっとミーちゃんを抱き締める。よくわからないけど……この屋敷の外に、何か良くないモノ、がいる。
「……お迎えに来られるでしょうね……」
シャルロッテの笑顔は……どこか楽しげで、少しだけ毒が混ざっているかのような……。
「え……?」
「陛下は王妃様の事を、それはそれは大切にされていますから……」
「……」
――それは、妹だから。とうさまとかあさまの代わりに、私を育ててくれた人だから。
ちくん
……なに?
ありあは眉をひそめた。胸の奥に……慣れない、感覚。目の前のシャルロッテを見る。妖艶、という言葉がぴったりな女性。
(こんな感じの人が……にいさまの好み、なのかなあ……)
二人が立ち並んでいるところは、本当にお似合いだった。大人の恋人同士って感じで……。どうして結婚しないんだろう、と思いあぐねていたありあは、突然目を見張った。
(……もしかして……)
にいさま、私がいるから……私の面倒みないとって思ってるから、私に遠慮して、妊娠してる恋人がいるのに……?
ちくん ちくん
(……あれ?)
胸が……痛い。なんでだろう……
(妹なんだから……ちゃんと祝福しないと……いけないのに)
素直に、おめでとうって言えない。ありあは訳が判らなくなってきた。
(なんか……変……)
前にもこんなことがあったような。そんな変な感じ……。
ありあは黙ったまま、ミーちゃんを撫ぜていた。シャルロッテは、口元に笑みを浮かべたまま、ありあをじっと見つめていた。
どのくらい、そうしていたのか、ありあには判らなかった。
「……そろそろですわね……」
シャルロッテが扉の方を見た。
「え……」
荒々しく響く足音。ノックもないまま、激しい音を立てて扉が開いた。
――ありあの身体が硬直した。ミーちゃんが、苦しそうに身をよじる。
「に……じゃない、グラント……?」
黒いマントを羽織った、グラントがそこにいた。鋭い銀の瞳が、ありあを睨みつけている。
「いらっしゃいませ、陛下。王妃様はこの通り、ご無事ですわ」
「……」
グラントは無言のまま、大股でありあに近づいてきた。
(な、なになになにっ……!?)
物凄い威圧感。全身からどす黒いオーラが……出てる気が……。
(お、怒って……る……?)
全く身動きできないありあの目の前に立ったグラントが、屈んだ。
「え!?」
いきなり抱きかかえられて、ありあは硬直したまま、グラントを見た。銀色の瞳と漆黒の瞳が交わる。
(うっ……)
蛇に睨まれたカエル状態。身体が……動かない。
「あ……の?」
恐る恐る言ったありあを無視して、グラントがシャルロッテの方を向いた。
「……妃が世話になった、シャルロッテ」
無機質な声。さっきまで、抱きあっていた恋人への言葉とは思えない。ありあは呆然と無表情な顔を見上げた。
「……いいえ。お気をつけて下さいませ?」
シャルロッテはふふっと微笑んだ。
「……帰るぞ」
グラントが一言告げた言葉に、ありあは黙って頷く事しかできなかった。
そのままグラントは、ありあを抱いたまま、早足で居間から立ち去った。
――残されたシャルロッテは……不思議な笑みを湛えて、二人の後ろ姿を見送っていた。




