教会~もう一度あの場所へ
――ありあが、戻ってきてから、二日後。
「……準備はできた? ありあ」
「……はい!」
ありあは元気よくシスター・雅子に返事をした。背中には、帆布でできた大きなリュックを背負っている。
『どこに飛ばされるかわからないのだから、ちゃんと用意して行きなさい』
というシスターの助言に従い、ちょっとした食べ物やら飲み物、キャンプ用品に防犯グッズ等々、向こうでも使えそうな品々を買い込んだ。
(結構、大荷物になっちゃった……かも)
考え事をしていたありあの首に、ふわっと何か、が掛けられた。
「え……?」
「……これも持って行きなさい」
ありあは胸元を見た。いつもシスターが首から下げている、アンティークの十字架。十字架の中央に、きらきら輝く緑色の石がはめられていた。
「でも、これ、シスターの大事な……」
シスターが首を振った。
「こちらの世界に戻ってくる時の指標になさい。きっと役に立つと思うわ」
ありあはぎゅっとロザリオを握り締めた。
「はい……大事にします。ありがとうございます」
シスターはふふっと笑った。
「私はいつでも、あなたの事を思っていますよ? 向こうの世界でも、あなたが元気で、幸せでいられるようにと、ね」
「シスター……」
ありあの瞳が少し潤んだ。
「さあ、始めましょうか」
シスター・雅子の声に、ありあは引き締まった顔をした。
――礼拝堂の、聖壇の前。ありあがこの世界に戻って来た所。
『きっと、そこが扉だと思うわよ。向こうから来れたのだから、こちらからも行けるはず』
『で、でも……』
『逃げて来た場所には、行かないようにしないとね。戻りたい場所はどこなの、ありあ?』
――戻りたい場所。ふわっと心を過る、背の高い影。でも……
『わから……ない……』
モザイクがかかっているように、思い出せない事がある。何を? 誰を?
泣きそうなありあを見て、シスターが優しく言った。
『では、あなたの物は向こうにないの?』
『え……』
『すぐに思い浮かべられるほど、馴染んでいる物。それを目指せばいいのではないかしら?』
私の……物。ありあは目を見開いた。
『あの、ハンカチ……』
大切な、私の……。
『……あのハンカチね。あれなら、ここにあるかのように、思い浮かべる事ができるわね』
『……制服も置いてきちゃった……』
『まあまあ。どちらでもいいけれど……どうするの?』
ありあは、少し考えてから、シスターに答えた。
『……ハンカチにします。向こうで、きっと……』
――戻りたい場所、にある気がするから。
ありあは、大きく息を吸って、聖壇の前に立った。自分が倒れていた場所。緑石のペンダントとロザリオをしっかりと両手で握り締める。
ありあは目を瞑った。あのハンカチを思い浮かべる。繊細なレース、竜の刺繍、触った感触……
(あそこに……戻る)
緑石が……ぼうっと金色の光を帯びた。それと共に、ありあの足元に、すっと金色の線が円を書くように現れた。
ありあは目を開けた。微笑みながらこちらを見ているシスターに、笑いかけた。
「……行ってきます、シスター」
「……はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」
金の光の柱が、足元の円の上に立ったかと思うと……ありあの全身は金色の光に包まれた。
世界が……歪む。シスターの姿が見えなくなった。
ありあはまた、ここに戻って来た時と同じように、真っ暗な世界へと落ちていった。
ありあのいなくなった礼拝堂で、シスター・雅子は、神に祈りをささげていた。
(どうか……あの子をお守りください……)
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いきなり、ありあの周りの世界が色を帯びた。
「きゃっ……!!」
どさっと結構派手な音がした。
「いたた……」
な、何か落ちて、腰打った……。ありあは思いきり尻餅をついていた。
「……あれ?」
ふと見ると、自分の周りの床に、金色の線が円を描いていた。魔方陣だ。
「これ……?」
魔方陣から発せられていた、金の光がふっと消えた。ありあはよっこらせと立ち上がり、ぱたぱたと膝のあたりをはたいた。
「……あ!」
足元に……あの、ハンカチ。手を伸ばして、ハンカチを拾う。
「これ……魔方陣の中にあった……?」
おかしいなあ、これ……
そこまで考えて、ありあの思考が途切れた。
(これ……どうしたっけ……?)
ありあは荷物を降ろし、辺りを見回した。大きな天蓋つきのベッド。どっしりとした机。グリーンをベースにした、落ち着いた部屋。
「ここ……?」
ふっと目の前にある壁に向けたありあの瞳が、大きくなった。そこに飾られていた、一枚の肖像画。ありあは思わず、右手を自分の頬に当てた。
「……私……っ!?」
長い黒髪、黒い瞳。微笑む女性の姿絵。それは――鏡で映したように、ありあにそっくり、だった。
「どうして……」
呆然と呟いたありあの耳に、派手な足音が聞こえて来た。
「誰か……来る?」
「……アーリャっ!!」
バン、と勢いよく、扉が開いた。そこに息を切らせて立っていたのは……
――白いエプロン姿の女性。茶色っぽい髪、黒い瞳。そして……自分と同じ顔。
「……サーリャ……?」
ありあが呟くと、ぐにゃっと表情を歪めたサーリャが、飛び付くようにありあに抱きついた。
「アーリャ、無事だったのね!! 魔方陣が発動したのがわかったから、もしかしたらって思って走って来たの!!」
「魔方陣……って……」
「ここに戻ってこられるように、目印を作っておいたの」
じゃあ……ここが
「……私の戻りたかった、ところ……?」
サーリャが身体を離し、ありあの瞳を覗き込んだ。
「アーリャ……大丈夫なの? どこか……」
ありあが答えようとした時――ある声、が響いた。
「ありあっ!!」
ありあの身体がぴくり、と動いた。ゆっくりと顔を扉の方に向ける。ありあの瞳が大きくなった。
――扉付近に、立っていたのは。
……薄いブルーのチェニックを着た、背の高い男性。プラチナブロンドに……銀色の瞳。大股で部屋に入って来たかと思うと、彼はサーリャから奪うように、ありあの身体を抱き締めた。
「ふぎゃ!?」
「……ありあ……っ!!」
(く、くる……し……!)
力強い腕に抱き締められて、息が詰まる。大きな胸。ありあは身体を強張らせた。しばらく男性は黙ったまま、ありあを抱き締めていたが、ありあが硬直しているのに気付いたのか、手を緩めた。
「げほっげほ……」
ありあは思わず咳き込んだ。
「く、苦し……かった……」
「……すまない。大丈夫か?」
低い声。ありあはそっと顔を上げた。
自分を見つめる銀の瞳。輝く髪。彫刻みたいに綺麗な顔。ありあは黙ったまま、じっと銀の瞳、を見上げた。
(この……人……)
――銀の瞳に、戸惑いの色が差す。男性の表情が……僅かに硬くなった。
「……」
――私……この人、知ってる……
ありあの中で、ぼんやりと、何か、が浮かんできた。
綺麗な銀色の瞳。大きな手。低くて優しい声。いつも私の事、守ってくれた……
(あ……)
ありあの瞳が一層大きくなった。
「ありあ……?」
男性が呟くようにありあの名前を呼んだ時――ありあは、思いきり彼の身体に抱きついていた。
「……にいさま」
ありあは、いつものように、彼の事を、そう呼んだ。




