教会~失われた記憶のかけら
「そう……そんなことが……」
シスター・雅子は、ありあが『つっかえつっかえ話した、異世界での経験』をゆっくりと受け止めてくれた。
ありあは自分の部屋のベッドの上にいた。医者にも行ったが、特に異常はない、と言われ、教会に戻って休んでいるところだった。
「シスター……信じてくれる……の?」
シスターは、少し目を丸くしたが、皺のある右手をありあの両手に乗せた。
「あなたが嘘を言っていないことは、すぐに判りますよ? なにせ私はあなたの『母親』ですからね」
優しい笑顔に、ありあは少し涙ぐんだ。
「……でも、これからどうするつもりなの?」
「……」
ありあは少し俯いて、自分の手を見た。自分の手に重ねられている、温かな手も。
「このまま、こちらの世界で、元の生活に戻る……のもいいとは思うけれど……」
「……」
シスターはちらとありあの顔を見た。
「……でも、その顔は、向こうに戻りたいって思っているのね?」
「……っ……」
ありあの瞳から、ぽろぽろ涙がこぼれた。シスターは、よしよし、とありあの背中をさすってくれた。
「シ……スター……わ、私……なくし……ちゃった……の……」
「……」
シスターは黙ったまま、ありあを抱き締めた。
「大事な……もの。思い出せ……ない……」
さっきシスターに話した事には……ところどころ、空白があった。まるで虫食いのように、穴が開いた記憶。
大切だったはずなのに。何も……覚えてない。それに……。
「どうやって……帰るのかも……わから……」
そのまま耐えきれず泣き出したありあを、シスターが幼子のようにあやしてくれた。しばらく、ありあの嗚咽は止まらなかった。
「ねえ、ありあ?」
一しきりありあが泣いた後、シスター・雅子が優しく話しかけた。
「ひっく……」
「……全ては必然。何一つとして、無駄な事はないのよ? だって神様がなさることですから」
「……」
「あなたに必要なものだったら、必ずまた戻ってきますよ? もし仮に戻ってこなかったとしても……」
シスターの優しい声が、穴のあいた、ありあの心に沁みていった。
「……もう一度、作り直せばいいでしょう? いつだってやり直しが出来る、そのように神様は人間を造って下さっているのですから」
「……は……い……」
ふふっとシスターが笑った。
「ありあ、あなたが『光の巫女』だとしても、あなたの力はそんなものではないのよ?」
「……え……」
シスターは身体を少し離し、真っ赤に泣きはらしたありあの瞳を真っ直ぐに見た。
「あなたは人を思いやる事の出来る、優しい子。それに、どんな時でも笑うことができる強さもある。その優しさと笑顔が、あなたの最大の力なのよ」
「……」
「だから……ね? 向こうの世界に行っても、その優しさと笑顔を忘れないって約束して頂戴。そうしたら、私も安心してあなたを見送る事ができるわ」
「シスター……」
ありあもシスターの瞳を見た。いつもと変わらない、優しい優しい瞳。
「それにね、いつだってここに帰ってきていいのよ? ここが、あなたの家なのですから」
「……っ」
ありあは思わずシスターに抱きついた。今は自分よりも小柄になった身体。でもこんなにも、温かくて大きい。シスターの温かさが、ありあの焦りも不安も……全て包んでくれてる、そんな気がした。
あらあら、とシスターは笑った。
「とにかく、今日はゆっくりなさい? 焦って考えても、いいアイディアは思いつかないわ。私は教会に戻るけれど、後で一緒に考えましょう」
「はい……」
ありあは手を離し、涙を右手で拭った。シスターはそんなありあを見て、ゆっくりと微笑み、部屋を出ていった。
ありあは、窓の外の空を見た。青い青い空。向こうと……同じ。
(きっと……この世界とあちらの世界は、繋がってる。だから……)
――戻ろう。戻って、取り戻そう。
大切な、何か、を。
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「ふう……」
サーリャは汗を拭い、溜息をついた。手にした籠の中には、摘んだハーブの束が入っていた。ジェードがサーリャに声をかけた。
「疲れたのか? サーリャ。あまり無理を……」
「大丈夫よ、ジェード。せっかく雇ってもらったのだから、これくらいはね」
サーリャとジェードは、グランディア城の中庭にいた。庭師をしている、と聞いたグラント王が、二人にグランディア城の仕事を、と申し出てくれたのだ。
そのままの姿だと、ありあと間違えられるため、サーリャは髪粉を使って、茶色っぽい髪に染めていた。
「アーリャは……ここで、皆に愛されてたのね……」
ここで聞く王妃の評判は、皆好意的なものばかりだった。若干、頓珍漢なところもあったようだが、そんな所も含めてかわいらしいと思われていた。
「……大丈夫かしら……アーリャ」
サーリャの表情が曇った。あのサニリアが、ありあがグランディアに帰る事を許すとも思えない。ありあも大人しく、巫女の塔にいるとも思えない。
サーリャが物思いにふけっていた時、すぐ近くの通用門の方から声が聞こえた。
「お願いいたします、グラント王にお取り次ぎを。私は巫女の塔から……」 巫女の塔!? サーリャは籠を地面に置き、通用門へと急いだ。
門番の兵士と押し問答している、小柄な女性。立派な毛並みの馬を連れていた。灰色のフードが、少し汚れていた。
(あれは……!!)
「……ヤニカ!?」
サーリャの声に、ヤニカがサーリャの方を見た。ヤニカは髪の色に戸惑っていたようだったが、はっとした顔をした。
「み、巫女姫様っ!?」
ヤニカが兵士の制止を振り切って、サーリャの方へと駆けて来た。
「ご、ご無事だったのですね!? グラント王の事も覚えてらっしゃったのですか!?」
サーリャの瞳が大きく開かれた。覚えて……?
「……ヤニカ。巫女の塔の女官であるあなたが、どうしてグランディアに……」
「……巫女姫様の事を、グラント王にお伝えせねば、と……」
嫌な予感。サーリャの顔が青ざめた。ヤニカがわざわざここに来た理由。それは……
「……ヤニカ、一緒に来て頂戴。グラント王に知ってる事を申し上げて欲しいの」
「は、はい……」
サーリャは兵士達に、この者は自分の知り合いだ、と話をつけ、そのままヤニカを城の中へと連れて行った。
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「……ありあが消えた!?」
グラントの顔は蒼白だった。ヴェルナー伯爵も、同じ顔色だった。
執務室には、グラントとヴェルナー伯爵、サーリャ、そして……ヤニカがいた。
「は、はい……」
先程サーリャから、あの巫女姫はサーリャではない、と聞いたヤニカは、まだ混乱しているようだったが、しっかりとした口調でグラントに告げた。
――巫女姫様が、異世界への扉を開き、巫女の塔から消えた、と。
「何故……そんな事に」
呆然とヴェルナー伯爵が言った。ヤニカは一昼夜ぶっ通し馬で駆けて来たと言っていた。ありあがここを発って、まだ四日目。ということは……
「巫女の塔に着いてすぐに、何かあったのか」
グラントの声に、ヤニカはびくり、と身体を震わせたが、やがて小さく頷いた。
「……守ろうと……されたのだ、と思います……」
「……」
「……大切な……思い出を。グランディアでの記憶を」
その言葉に、サーリャが叫んだ。
「ま、まさか、サニリア……アーリャの記憶を……っ!!」
記憶!? グラントはサーリャを見た。サーリャの顔も蒼白だった。
「は、はい……」 泣きそうな声でヤニカが話を続けた。
「……光の巫女として不要な記憶を消す、と。グランディアでの記憶を全て」
「何っ!?」
グラントは思わず大声を上げた。記憶を……消す、だと!?
(ありあ……!)
「わ、私はお止したのですが……聞き入れては頂けず、巫女の塔から追放する、と捉えられました。巫女姫様は……取り押さえられて、無理矢理……っ!!」
誰も、一言も発しなかった。
「……悲鳴をあげられて……苦しまれた後……金の光が巫女姫様を包んで……」
「……」
「それから、巫女の塔の中は、巫女姫様を探して大騒ぎでした。やがて……女官達が、巫女姫様が魔方陣の間から異世界へと飛んだ、と……」
涙目のヤニカが顔を上げ、グラントの瞳を真っ直ぐに見た。
「……嫌だ、とおっしゃっておられました。グランディアでの思い出が消えるのは嫌だ、と」
「……」
「……それだけでも、王にお伝えせねばと……私の実家は馬の養育をしておりますから、追放された後、一番いい馬でお知らせに……」
「……サーリャ」
サーリャは、はっとしたようにグラントを見た。抑揚のない声。そこに込められた、違えようもない激しい怒り。
「巫女の塔では、そのような非道が行われているのか。何の罪もないありあの……記憶を奪うなどと?」
サーリャは、小さく溜息をついた。
「サニリアは……『光の巫女が巫女の塔にいる』、という事が最も重要だと思っているわ。それに、ファーニア様に傾倒していたから……その娘であるアーリャを、巫女の塔に留めておくためには手段を選ばなかった……のね……」
グラントの握り拳に、青筋が立っていた。無表情な顔に……やや黒ずんだ銀の瞳だけが、ぎらぎらと輝いていた。
「……異世界までは、サニリアとしても、どうすることもできないわ。今、この世界で異世界に飛べる力を持ってるのは、アーリャだけだから」
サーリャは心配そうに瞳を曇らせた。
「でも……アーリャは力は持っているけれど、使い方を知らないわ。巫女として訓練を受けたわけじゃないし。こちらへ戻ろうにも、戻り方がわからないかもしれない」
「……それも、覚えていれば、の話だろう」
グラントが言葉を継いだ。
「グランディアでの記憶を全て無くした状態で、元の世界に戻れば……元の暮らしに戻るだけだ」
「陛下……」
ヴェルナー伯爵の声も悲痛に聞こえた。
執務室を沈黙が支配した。しばらくの後、サーリャが言った。
「……陛下。私に中庭の改造と、城の模様替えの許可を」
「……サーリャ?」
「もし……もし、アーリャが戻ってきたい、と思っていたら……戻れるように準備をしておきたいのです」
グラントはサーリャを見つめた。ありあと同じ顔。
「……わかった。許可する。好きにするがいい」
「……ありがとうござます。それからお願いが……」 グラントが右手を上げ、サーリャを制した。
「……ヤニカ、よくここまで伝えに来てくれた。礼を言う」
「と、とんでもございません!」
ヤニカが慌てて頭を下げた。
「追放されたと言ったな。良ければこの城で、サーリャと共に働いてもらいたいのだが」
「は、はい……ありがとうございます」
ヤニカの声も涙ぐんでいた。
「ヴェルナー。レヴァンダに探りを入れろ。特に巫女の塔の動向を」
「承知いたしました、すぐに手配いたします」
皆が席を立ち、執務室から出ていった。グラントも椅子から立ち上がり、窓の外を見た。青く澄んだ空が広がっていた。
(ありあ……)
例え……お前が俺を忘れてしまった、としても。
(俺は……ずっとお前を……)
グラントは、窓際にしばらく佇んでいた。




