巫女の塔~狙われた記憶
「……サニリア様」
サニリアは書物から顔を上げた。巫女の世話をする女官の一人、ヤニカが机の前に立っていた。
「巫女姫様は?」
サニリアはヤニカに聞いた。
「……先程お休みになられました」
ヤニカがやや俯き気味に話す。サニリアは目を細めた。
「……何か、気にかかる事でもあるのですか、ヤニカ」
ヤニカは両手を身体の前で組み、少し迷っているようだったが、やがて頭を上げた。
「……巫女姫様は、これからどうなるのでしょうか」
「どう……とは?」
サニリアの声はあくまで冷静だった。
「一度はグランディアに嫁がれた御身……この巫女の塔での生活に、お戻りになることができるのでしょうか」
「……」
それはおそらく無理だろう、とサニリアは思った。元々あの巫女姫は、巫女の塔で生活していた訳ではない。
(だからこそ……)
あの儀式、が必要になる。光の巫女、としてこれから彼女が生きていくために。
「……慣れていただく以外にないでしょう。そのためにも、明日『清めの儀式』を執り行うのですから」
「……」
ヤニカは少し複雑な表情をしていたが、黙ったまま頭を下げ、サニリアの前を辞した。
サニリアは、しばらくヤニカの立ち去った後を見ていたが、やがて書物に意識を戻した。
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まだ陽が昇ったばかりの時間。ありあは小柄な女官に起こされた。
(ねむ……)
昨日寝付けなかったから……目をこすりながら、ありあは身体を起こした。
まず冷たい水で顔を洗い、運ばれてきた温かいスープを口にした。『清めの儀式』があるため、朝食はスープのみ、と聞いていた。
黙ってスープを飲むありあに、女官が心配そうな瞳を向けた。ご馳走様でした、とありあはスプーンを置いた。
「……こちらのお召し物にお着替えくださいませ、巫女姫様」
俯いたまま、女官が、折りたたまれた白い布を差し出した。
「……」
ありあは渡された服、を広げた。白い布で作られた、長袖のワンピース。
(清楚……というか、質素……というか)
何の飾り気もない。布質は柔らか、だけれど。
(儀式の衣装だから、こんなものかなあ……)
言われた通り、着替える。緑石のペンダントはそのまま身に付けた。そのペンダントを、女官がじっと見ていた。
「あの……?」
声をかけると、はっとしたように女官は頭を下げた。
「も、申し訳ございません。あまりに美しい石でしたので……」
ありあはペンダントを手に持ち、はい、と差し出した。
「み、巫女姫様!?」
女官の茶色の瞳が大きくなった。
「どうぞ?」
しばらく女官は固まったまま、だったが、恐る恐るありあの持つ緑石に手を伸ばした。しばらく石を両手でじっと持ち……それから、お辞儀をして、ありあの手に戻した。
再びありあがペンダントを身に付けた時、嗚咽のような声、が聞こえた。
「……っ、下さい……」
「え?」
ありあは女官を見た。灰色の服を着た彼女の身体が、小刻みに震えていた。
「お逃げ……下さい……」
逃げろ!? ありあは目を見張った。
「あの……?」
女官は、涙を湛えた目で、ありあの瞳を真っ直ぐに見た。
「このままでは……記憶を消されて、しまい、ます……」
「!?」
記憶!? ありあの身体が強張った。
「記憶……を、消す……?」
「は、はい……」
女官は右手で涙を拭い、両手の指を組んだ。
「巫女姫様が……グランディアで経験された記憶が……邪魔、だと」
「邪魔!?」
グランディアでの……記憶。それが邪魔!?
「サニリア様は、人の記憶を操る術をお持ちです。巫女姫様が……そもそもグランディアには行かなかった、この塔でずっとお過ごしだった……そのように塗り替える、と……」
『あなたに私の記憶を移したわ』
サーリャがそう言った時――確かにいきなり言葉が判るようになってた。あの時は……記憶を足してくれた……けど。塗り替え……られたら。
「全部……忘れる、の……?」
「は、い……」
ありあは呆然と立ち尽くした。お城の皆――サリやラムダ料理長、ヴェルナ―さんにシャルロッテさん、メアリさんにミーちゃん……侍女や侍従や、兵士たちの顔が次々と浮かんだ。
――そして……背の高い影。
『ありあ』
……グラント。今、こんなにもはっきりと思い浮かべられるのに。艶やかな金髪も、銀色の瞳も。大きな手の感触も、低い声も。それが……
……全部、消える?
「い……や……」
ありあの口から……言葉がこぼれた。
「嫌……だ……」
「……全く、余計な事をしてくれましたね、ヤニカ」
ヤニカ、と呼ばれた女官とありあは、はっと後ろを振り返った。入り口から、サニリアが白い衣装を着て入って来た。何人かの女官を連れている。
ヤニカはがたがたと震えながらも、サニリアに向かって叫んだ。
「み、巫女姫様は心のお優しい方です! 母が病で伏せっていた時、このペンダントを貸して下さいました。巫女姫しか触れられない、この貴重な石を」
「……」
サニリアは黙ったまま、ヤニカを真っ直ぐに見ていた。
(サーリャ!? サーリャが貸したの!?)
ありあは目を見張ったまま、ヤニカの言葉を待った。
「記憶を消せば、今の巫女姫様は消えてしまいます! お願いです、巫女姫様の優しさを消さないで下さいっ!!」
ヤニカがサニリアに向かって頭を下げた。
「……言いたい事はそれだけですか」
サニリアの瞳が冷たく光った。
「この者を塔から追放なさい。二度とレヴァンダの土を踏めぬよう、皇帝陛下に進言します」
「ま、待って!」
他の女官に連れていかれそうになっているヤニカ。ありあは思わず叫んだ。
「私の事を心配してくれてただけです! それで追放って……!」
サニリアがありあを見た。
「……巫女姫様が心煩わすことではございません。どうせこの者の事も、お忘れになるのですから」
「!!」
ありあの顔から血の気が引いた。サニリアはありあを見ても、髪筋一本分も表情を変えなかった。
サニリアがさっと右手で合図を送った。女官達は頷き、ありあの周りを取り囲んだ。
「失礼致します、巫女姫様」
女官達がありあの身体を取り押さえた。
「なっ……っ!!」
ありあは身をよじろうとしたが、両脇から腕を拘束されて、動けない。ゆっくりとサニリアがありあの目の前に立った。
「知らないままの方がよかったとは思いますが……知られてしまった以上、さっさと済ませてしまいましょうか、巫女姫様」
サニリアが小声で何か、を唱え始めた。彼女の右手が……ぼんやりと金の光を集め始める。
「何をするのっ!!」
サニリアはそっと右手をありあの額に向けた。
「きゃっ……!!」
ありあは顔をしかめて、身体を硬直させた。まだサニリアの手に触れられたわけでもないのに、電撃のようなショックが頭を襲った。
「……すぐに終わりますよ、巫女姫様。あなたは『光の巫女』に相応しい記憶と共に、生まれ変わるのです」
相応しい!? 相応しいって何!?
(グランディアの思い出が……相応しくないって言うの!?)
「そんな……の……」
サニリアの右手がありあの額に触れた。冷やり、とした感触。
「……!!」
サニリアが、何か、を唱えた。
「きゃあああっ!!」
痺れるようなショック。激しい頭痛。全身を焼かれているかのような、感覚。ありあは身をよじった。
――何か、が心に入り込んできた。圧倒的な力。怖い。中から食い破られていく。全てが……白、になっていく……!!
「い……」
ありあの瞳から、涙がこぼれた。目を瞑ったまま、かすれた声で叫ぶ。
「いや……っ……!!」
――グラント!!
……次の瞬間、緑石が金色に光った。




