グランディア城~王妃の間その1
「……」
ベージュ色のローブを寝巻の上に羽織ったありあは、ちょこん、と鏡の前の丸椅子に座っていた。サリがブラシで髪をすく。
「……陛下はまだお話中だそうで、少し遅くなられるそうですわ」
う……ほんとーっに、来るの!? ここに!? ありあは俯いた。ミーちゃんがぴょんと膝の上に乗って来た。
「ミーちゃん……」
なでなで。ごろごろ。ああ、ミーちゃんとだったら、こんなに和むのに……。
『リカルドから何を聞いた』
あの後、グラントは踊りながらそう言った。ありあは思わずステップを間違えそうになり、グラントにしがみついた。
『……昔の話……』
グラントの目が怖い。見透かされそう……。ありあは首をすくめた。
『……どうせ、余計な事だろう。気にしなくていい』
気にするなって、言われても……。
リカルドの言う事が本当なら、グラントは父親から殺されそうになった、という事になる。
(お母さんも……妹さんも……?)
ありあはぎゅっと膝の上で拳を握りしめた。ミーちゃんがまたぴょこん、と床に降り立って、部屋の隅に歩いて行った。
「……では、私はこれで。お休みなさいませ、アーリャ様」
「お休みなさい……」
サリが下がった後も、ソファの上で膝を抱えて丸くなりながら、ありあは考え込んでいた。
(……聞いていいのかなあ……でも……)
「……どうした?」
「きゃあっ!」
思わずずっこけて、ソファから落ちそうになった。顔を上げると、グラントがすぐ傍に、寝巻の上に白っぽいローブを身に纏って立っていた。
(また扉の開く音、わからなかった……)
グラントがありあの隣に座った。ありあは緊張した顔をグラントに向けた。
「……聞きたいんだろう? リカルドの話の続きが」
心を読まれた……。ありあは俯き加減に頷いた。
「リカルドは何と言っていた?」
「……グラントのお父さんが……闇に憑りつかれた……って……」
ちらと上目遣いにグラントを見たが、彼の表情は変わっていなかった。
――しばらく、王妃の間を沈黙が支配していた。
「……何が原因だった、かは判らない」
グラントが、ぽつり、と話し出した。視線は……やや下を向いていた。
「少しずつ……何か、が狂い始めた」
「……聡明で公平で……民の事を一番に考える、そんな王だった……それが……」
「人を信じる事ができなくなっていった……疑心暗鬼になり……誰の言葉にも耳を貸さず……」
「激昂して争い事を引き起こし、諌める家臣を罰し……そして……」
「……」
「……あの日、が来た」
……グラント……。
「……王が王妃の間から出て来ないと……悲鳴が聞こえたと……」
「……」
「……俺が王妃の間に踏み込んだ時には……もう……」
グラントの顔が一瞬歪んだ。
「……アーリャの怯えた瞳……は忘れられない。動かなくなった母親の……身体の傍で、泣き叫ぶことすらできず……」
「……身体を小さくしたまま、俺の方を見た」
『父上! 一体何を……!』
『……こやつらは……魔物だ……』
『何を言って……!?』
『……血を捧げよ……巫女の……血……』
声が……違う。闇の底を這うような、おぞましい、声。
『父上っ!?』
父親の身体から立ち昇る、黒い霧のような、禍々しい気配。魅入られたように、身体が、動かない――。
『ワレ……ニヨコセ……ソノ、カラ……ダ……』
「……」
「王の身体から分離した闇の眷属が、俺を狙ってきた。全身を闇の文様に覆われ……」
『ぐ……がっ……!』
身体を二つに折り、黒い血を吐いた。身体が引き千切られそうな、痛み。
「もがき苦しみ、倒れかけた時……」
『にいさまっ!』
『アーリャ!?』
自分にすがりついてきた、小さな身体。右腕にしがみついてきた。
『しんじゃ、やだっ!』
『アーリャ、離れろ!』
『いや!』
闇が……文様が……触れた小さな手、から、妹の身体に移り始めた。
「闇が……アーリャの身体に……乗り移って……」
自分の身体から文様が消えた代わりに、小さな身体が闇に覆われていた。
『に……い、さ……』
虚ろな黒い瞳。白い手が……闇に呑まれていた。
『アーリャ!!』
伸ばした右手が、虚空を掴んだ。アーリャの身体は……霧散するように、かき消えた。
闇。闇。圧倒的な、闇。目の前が暗くなる。意識が……遠のく……。
「……その後のことは、よく覚えていない。気がついた時は……ヴェルナ―前伯爵の馬に乗せられていた」
「……」
「俺も殺される寸前だったと……後で聞いた」
『今はお身体を治す事だけをお考え下さい! シルヴェスタ公が陛下の代わりに政務を取る、とおっしゃって下さいました。陛下は……今の陛下は、陛下ではあらせられません』
城に戻る、と言った自分を、ヴェルナ―前伯爵はそう言って諌めた。
「巫女の塔へ行き、聖水で闇を抑え……だが、予想以上に深手を負っていた……再び王城に戻るまで、二年の月日を要した」
「……」
「城に戻った俺は……父上を闇から解放した」
グラントが自分の手のひら、を見た。
「……闇に支配された貴族達も、城の使用人も……俺がこの手で……」
「……」
抑揚のない声。感情のない横顔。
「『魔王』と呼ばれるようになったのは、その時からだな……」
「……」
「……怖いのか?」
「……」
グラントはありあの方を向き、驚いたように目を見張った。
そっと右手をありあの左頬に伸ばした。
「……なぜ、泣く?」
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「なぜ、泣く?」
そう、グラントに聞かれるまで、自分が泣いている事にも気がつかなかった。
涙が……ぽろぽろとこぼれ落ちていた。
「……グラ……ント……」
――何の感情も映ってない瞳、だった。それが、悲しかった。
「……」
「……悲しかっ……た……よね……」
グラントの銀の瞳が少し大きくなった。
「つらかった……のに……」
「……」
「……言えなかった……んだよね……」
その時のグラントって、私と同じくらいの年だったはず。なのに……自分の手で……お父さん……を……。
どんな……気持ちで……。
ありあはぎゅっと目を瞑った。涙が……止まらない……。
ふわ……と温かい腕が、ありあの身体に回された。ありあが大きな胸にすがりついた形、になった。
ぽんぽん……と軽くありあの頭を大きな手が叩いている。
「……泣くな」
「……だっ……て……」
グラントの声には、少し戸惑いが混ざっていた。
「……お前が泣く必要は、ない」
「……」
「だから……泣くな」
グラントの言葉に、益々涙が止まらなくなった。ひっく……と嗚咽を漏らすありあの背中を、グラントは優しく叩き続けた。
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「ふう……」
グラントは大きな溜息をついた。腕の中には、泣き疲れてそのまま眠ってしまったありあが、いた。ぐったりとその身をグラントに預けていた。
頬に残る涙をそっと手で拭った。
今日は一日中緊張していて、疲れていたはず、だが……。
(この警戒心のなさは……どうにかできないものか……)
――また怯えた目で見られる事も覚悟していた。この手で父親を殺した、と言ったのだから。
だが……ありあは、ただ、泣いていた。
(俺の……ために……?)
怯えた瞳を向けられるのも困るが、泣かれるのも困る。どうしたらよいのか、見当もつかない。
グラントはありあの身体を抱えて、立ちあがった。ベッドまで運び、ゆっくりと寝かせる。
「……」
ありあが、何かを呟き、右手でグラントの左の袖口を掴んだ。ありあの顔を覗き込む。
「ありあ?」
「……」
やはり寝ているようだ。身体を起こそうとすると……ぎゅ、とありあの右手に力が入った。
はあ、と溜息をつき、グラントはありあの隣に身体を横たえた。上掛けをありあの身体にかける。
グラントはしばらく右ひじをついてありあの寝顔を見ていた。
――愛さないでくれ
ありあに言った時は、本気だった。俺は人を愛することはできない。アーリャが死んだ時……俺の中の何か、が死んでしまった。
だが……
(何故……こうも、心が動く……のか……)
行動が予測できないからか? 危なっかしくて、放っておけないからか? それとも……
グラントは頭を枕の上に乗せ、目を瞑った。あまり眠れそうにはないが……身体を休めておいた方がいい。
規則正しい、ありあの寝息を聞きながら、いつの間にかグラントの意識も薄らいでいった……。




