いつもの朝……?
「……ん?」
北野ありあは、ふと空を見上げた。雲一つない、蒼い空。強めの風がセミロングの髪をもてあそんでいく。
(今、誰かに呼ばれたような気が……)
きょろきょろと周りを見回す。通勤時間帯の人ごみ。混雑する交差点。バス停に並ぶ列。いつもと同じ光景。
――気のせい、かな。やっぱり緊張してるから……。
制服の上着のポケットに右手を入れる。いつものハンカチを取り出す。これを持ってるだけで、ふっと心が落ち着く。
……今日は面接の日。高卒だと、なかなかない就職口を、シスターが一生懸命探してくれた。
(本当は……大学、行きたいけど……)
これ以上、お世話になれないよね。ありあは頭を振った。高校生になっても教会に置いてもらってるだけで、もう充分、だもの。
白いハンカチを見る。細かいレース刺しゅうが施されている。翼の生えたドラゴンの紋章が四隅に刺繍されていた。
(この模様、結局、わからなかったよね……)
教会の前で泣いていた、幼い自分。唯一持っていた、ハンカチ。何かの手がかりになるかも、と古書や資料を読み漁ったけれど……。
『あなたは、私の子どもですよ? きっと神様が使わして下さったのです』
……いつも、そう言って慰めてくれたっけ。シスターは。
(シスターのためにも、頑張ろうっと)
ハンカチをまた、ポケットに入れた。腕時計を見る。もうすぐバスが来るはず……。
『……』
ふわり、と何か、が囁いた。ありあはまた、辺りを見た。
(なんだろう……落ち着かない……)
――突然、耳障りな高い音、が聞こえて来た。交差点!?
黒光りする車が、止まらずに交差点に割り込んできた。タイヤが軋む音。スリップして、車の列に突っ込んだ。
「きゃ……!!」
バス停から悲鳴が上がる。はずみで、軽トラックが車線を越える。そこに緑色のバスが衝突した。
ありあの目の前で、ゆっくりとバスが横転していく。全てがコマ送りの様に、見えた。
運転手の歪んだ顔。バス停の柱に窓ガラスがぶつかる。悲鳴。ありあは目を見開いた。身体は……動かない。
そう――ゆっくりと、巨大な鉄の塊が、ありあの上にのしかかろうとしたその時――
――全てが、真っ暗闇、になった。