グランディア城~王妃の間その1
「……っく、ひっく……」
王妃の間に逃げ込んでからも、ありあの涙は止まらなかった。シーツを被って、ベッドの上で丸虫になっていた。
(グラントの馬鹿馬鹿馬鹿! 変態! 大大大嫌いっ!)
「アーリャ様……」
心配そうなサリの声。
「その……昼食はどうなさいますか?」
もう、グラントの顔は一生見たくない。
「いら……ない……」
ありあのかすれた声を聞いて、サリが答えた。
「……わかりました。陛下にはそのようにお伝えします。何か軽い物をこちらにお持ちしますね?」
シーツを被ったまま、ありあは頷いた。サリの足音が遠ざかる。ドアの開き、また閉じる音がした。
もう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。夫の恋人? から『子どもが出来た』と言われるわ、それを伝えたら、無理やり……。
ありあは右手で口を覆った。唇が少し切れてて、血の味がした。
……怖かった。グラントが『魔王』って呼ばれる訳が、わかった気がした。
(もう帰る! 絶対帰る!)
にゃあ……と子猫の声がした。ありあはシーツから少し顔を出した。黒い子猫が、ありあの顔をぺろぺろ舐めた。
「ミーちゃん……」
ベッドに座って涙を拭い、ぎゅっとミーちゃんを抱きしめた。温かな感触。みゃみゃ? とミーちゃんが首を傾げた。
(ミーちゃんは連れて帰ろう……)
「……一緒に帰ろ? シスターもきっと、ミーちゃんの事かわいがってくれるから」
「……それは困る」
ありあの身体が固まった。恐る恐る左手を見ると……さっきまで馬鹿馬鹿と罵っていた人、がベッドの傍に立っていた。
(な……んで……っ!?)
扉の開く音が聞こえなかった。ありあは怯えた目、をグラントに向けた。強張ったありあの両手から、ミーちゃんが身体をひねって逃れ、床に降り立った。
……はあ、とグラントの口から溜息が洩れた。
「……乱暴な事をして済まなかった」
「……」
ありあは固まったまま、グラントを見た。今のグラントは……いつものグラント、だった。
「お前も……他の女と同じなのか、と思ったら……かっとなってしまって……」
他の……女……?
グラントはありあの目を見ながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「……グランディアの王子だった頃から、俺の周りには……妃の座、を狙う女どもしかいなかった」
「……」
「俺の子を身ごもった、と言われたことも初めてではない。結局は、皆、金と地位目当てだ」
「……」
「全く身に覚えがないのに、『王の手がついた』と吹聴されることもあったしな……」
強張っていたありあの心に、少しずつグラントの言葉が入って来た。
「お前は……正妃だ。俺がお前を襲って『禊』を中断させた、事になっている。そのお前が、子が出来たと言えば……皆、それは俺の子、だと思うだろう」
「……」
「だから……初めから身ごもっていたお前が、それを隠すために俺に嫁いだのか、と……」
「な……に、言ってるのよっ!!」
ありあの顔が熱くなった。
「さ、さっきのが初めてのキスだったのに、どーして子どもができるのよっ!!」
ありあはベッドの上で後ずさりながらも、グラントを睨み上げた。グラントの表情は硬かった。
「だ、大体、結婚なんて、したくなかったんだからっ!! グラントだってそうでしょ!?」
「俺が?」
「わ、私が……余計な事しちゃったから……シャルロッテさんがいるのに、結婚しなくちゃいけなくなったんでしょ!?」
「……」
「ヴェ、ヴェルナーさんが勝手に申し込んじゃって、断る気でいたのに……私が追放される……から」
ありあは俯いて、ぎゅっと握りしめた両手のこぶし、を見た。
「……」
「だ、だから、私がいなくなれば……グラントだって……」
「……誤解だ」
グラントがありあの言葉を遮った。
「元々シャルロッテには……話をして別れるつもりだった」
「!?」
ありあは顔を上げた。別れる!?
グラントの瞳は真剣だった。
「それに……厭々お前と結婚の儀を挙げたわけでもない」
「……え……」
「お前……俺の事をかなり買い被っているようだが」
「……」
「本当に厭なら、お前が追放されようが死のうが、正妃として連れ帰る訳ないだろう」
「げ」
なにこの人っ!! 今さらっと酷い事、言わなかった!?
ありあの身体がふるふると震えた。――今度は怒り、で。
「そ、それに、そんな事しないって言ってたじゃないっ!! あれは嘘なのっ!!」
「そのつもりだったが」
しれっとグラントが言った。
「状況が変わった。お前の言葉で」
「は!?」
私の言葉!?
「……シャルロッテが懐妊した、と言っただろう?」
「……う、うん……」
グラントの銀の瞳に妖しげな光が宿った。
「それが本当なら、お前も早急に後継ぎを産む必要がある」
「なっ!?」
あ、あ、あ、後継ぎを……産むっ!?
ありあの顔が真っ赤になった。もう訳が分からない。
「ど、ど、ど、どうしてっ!?」
「シャルロッテの子が、仮に俺の子、だとして」
グラントの冷静な声。
(か、仮に……って……)
なんか、酷くない!?
「その子は現時点で第一王位継承者、になる。だが……」
グラントが真っ直ぐにありあの瞳を見た。
「……シャルロッテは『正妃』にはなれない」
「……」
「『正妃』であるお前と、『王位継承者の母』であるシャルロッテ、権力争いが起こるのは必然だ」
「け……んりょく?」
そ、そんなの興味ないっ!! ありあの顔が強張った。
「……お前が権力に関心がなくとも」
グラントがありあの心を読んだかのように、言葉を続けた。
「周りの貴族共はそうは思わない。シャルロッテを担ぎあげようとする輩は、お前を邪魔者扱いするだろう」
「じゃ、邪魔……って」
「一番簡単なのは、暗殺、だ」
「あっ!?」
暗殺!? 暗殺って……ありあの顔から今度は一気に血の気が引いた。
「わ、私、殺されちゃうのっ!?」
「その可能性が高くなる、という事だ」
な、なんか凄い話になってない!?
もう、言葉が出ない。ありあは口をぱくぱくさせた。
「だが、お前が子を成せば、話は別だ」
「……」
「お前の子は、正統な『王位継承者』だ。シャルロッテの子がいたとしても、お前の子が第一位になる」
「……」
「そうなれば、無駄な権力争いは起きない。お前の子がいるのに、わざわざシャルロッテの子を押す貴族は、そうそういないだろう」
「……」
「シャルロッテが子を産む前に、王宮から追放するのが、お前にとって一番安全だが」
「追放!?」
ありあは目を見張った。
「な、何言ってるのよ!? 妊婦さんを野ざらし状態にする気っ!?」
「……そう言うだろうと思った」
はあ、とグラントがまた溜息をついた。
「なら、子を産む努力をしてもらう」
「嫌です」
ありあの返事は速攻だった。グラントの右眉が上がった。
「……嫌だ?」
「嫌です」
きっとありあはグラントを睨んだ。
「そんな理由で子どもなんて欲しくないっ!」
「……」
グラントは無表情、だった。
「私が、こ、子どもを産むとしたら」
「……」
「大好きな人の子どもが欲しいって思った時だけですっ!!」
「……」
「そ、それに……っ」
じわり、とありあの目に涙が滲んだ。




