グランディア城~王の間
『……陛下の私室に飾られている肖像画をご覧になれば……』
ありあは、グラントの寝室の前にいた。――侍女の格好のまま。
王妃の間にこっそり戻ってから、サリに『昼御飯まで部屋で休んでいる、誰も来ないようにして欲しい』と執務室に伝えてもらった。執務室にはグラントも伯爵もおらず、謁見の間で家臣たちと会議中、とのことだった。
(サリには無理ばっかりお願いしてる気がするけど……)
一応サリには見張り役?として王妃の間に残ってもらい、その間に王の間へと足を運んだ。サリはしぶっていたが、最終的には場所を教えてくれた。
こんこん。
ノックをする。当然、誰も返事をしない。
ありあはゆっくりと重い木の扉を開き、中に入った。
王妃の間とは違って、煌びやかさはなかったが、重厚な感じのする部屋だった。カーテンや敷物も、グリーンをベースにした落ち着いた感じ。どっしりとした家具は磨きこまれた艶で光っていた。
ありあはきょろきょろしながら、様子を窺った。……誰もいない。ほっと一息つき、そのまま周りを観察する。
(……!?)
ありあの目が大きくなった。天蓋つきの大きなベッドの真正面の壁に――目的の絵、があった。
ありあは無意識のうちに、右手を頬に当てていた。
「私……っ!?」
長い黒髪に大きな黒い瞳。こちらを向いて微笑んでいる女性。その姿は――鏡を見ているように、ありあにそっくり、だった。
(私じゃない……よね……サーリャの姿絵……!?)
ありあは壁に近づき、じっと絵を見上げた。
(あれ……?)
サーリャは『十七歳の誕生日に描かせた姿絵』だと言っていた。でも……。
(この絵……色が褪せてきてる。結構前に描かれた絵……だよね……)
同じ年のサーリャの絵だったら、もっと絵の具が新しいはず。
(一体……)
「……それは、『アーリャ』の絵、だ」
ありあはぎくりと扉の方を見た。今一番会いたくない人が、扉を閉めて、中に入って来た。鋭く光る銀の瞳が、ありあを射抜くように見つめていた。グリーンのチェニックがよく似合ってる、とありあは思った。
グラントはありあの傍に立った。じろじろとありあを見た後、はあ、と彼の口から溜息が洩れた。
「……本当に、お前のやる事は予測がつかないな」
(う……侍女の格好のまま……だった……)
き、気まずい……。
ありあが固まったままなのを見て、グラントは絵の方に視線を移した。
「……亡くなった俺の妹。アーリャ=レヴァンダ=グラディノールだ」
(アーリャ!?)
ありあは目を見開いた。亡くなった妹さんの名前!?
(じゃあ……シャルロッテさんの、あの言葉の意味……って……)
――私が、妹さんに、似てるから。同じ名前……だから……?
(そう言えば……)
「……だから、グラントは私の事、『ありあ』って呼ぶの?」
グラントがありあを驚いたように見た。ありあはグラントの瞳をじっと見上げた。
「……それが、お前の名前、だからだ」
「……」
ありあの瞳をグラントが覗き込んだ。ありあの心臓が、一瞬、撥ねた。
「……この絵を見に来たのか? ここに」
「う……うん……」
ありあは少し頷いた。グラントは再び、絵を仰ぎ見た。
「アーリャは……俺が殺した」
「!?」
ありあは咄嗟にグラントの横顔を見た。そこには、何の表情も浮かんでいなかった。
グラントは独り言のように、言葉を続けた。
「俺の……左腕を見ただろう」
(あ……)
「あれは……闇の眷属の呪い、だ」
「……」
「俺が……死ぬはず、だった。全身を呪いの文様に覆われて」
「……」
グラントの声が、やや揺れた。
「アーリャは……俺をかばって、呪いをその身に受けて……」
「……」
「……俺の目の前で、死んだ」
グラント……。
ありあは両手をぎゅっと握りしめていた。
「……アーリャ、だけだった。俺を……そのままの俺を、見てくれていたのは」
「……」
「……俺のせいで……アーリャは……」
「違う!」
思わず声が出ていた。グラントがありあの方を見た。生気のない銀の瞳。冷たくて硬い表情。
「アーリャさんは……そんな事、思ってない!」
「……」
「今みたいに……グラントが自分を責めてるの、見たくないって思ってる!」
「……」
「だから……」
ありあは思わず、両手でグラントの胸元を掴んでいた。
「だから、そんな顔しないでっ!!」
グラントの表情は変わらなかった。銀の瞳が、自分を掴んでいるありあの両手を見た。
「あ」
(うわ、グラントの事、掴んでたっ!)
我に返ったありあは、ぱっと両手を離した。
「ご、ごめんなさ……?」
……グラントの大きな手が、身体に回されていた。強く抱きしめられて、一瞬息が止まった。大きくて温かい胸。
「……グラント……?」
「……」
――何か、を彼は呟いた。ありあには聞き取れなかった。
「……な……に……?」
「……」
しばらくした後、ふう、と溜息を吐いて、グラントはありあを離した。
「……すま……ない」
「ううん……」
もういつものグラントの顔だった。じっと見つめられて、ありあの頬は少し熱くなった。
「……アーリャが生きていたら、お前みたいになっていたかも知れないな」
「え……?」
ありあの不思議そうな顔に、グラントはくすり、と笑った。
「この絵は、アーリャが生きていたらこうなっただろう、と画家に描かせたものだ」
「……じゃあ、もっと若い時に亡くなったの?」
「……ああ」
グラントは口をつぐんだ。……しばらく沈黙が続いた。
(あ、まだお詫び、言ってなかった!)
ありあは慌てて、グラントに頭を下げた。
「ごめんなさい、グラント。私、昨日、シャルロッテさんの所で寝ちゃって……」
「……」
グラントが黙ったまま、ありあを見下ろす。
「グラントが迎えに来てくれたって……サリが……」
ああ、あの侍女か、とグラントが呟いた。
「別に当たり前の事をしただけだ。気にするな」
恋人の所で寝ちゃった妻? を迎えに行くって、当たり前なんだろうか、とありあは思った。
『お願いします、王妃様。陛下に……』
すがるような黒い瞳、が頭に浮かんだ。
(……グラントに言わないと……だめ……よね……)
「あの……グラント」
ありあはグラントを見上げた。綺麗な銀色の瞳……。
「何だ」
「……あの……その……」
い、言いにくい……ど、どう言えばいいんだろ……。
ありあは俯き加減になり、視線を逸らした。
「わ、私……」
「……」
結婚する気、なかったんだよね? 私が余計な事したから、恋人がいるのに、結婚しないといけなかったんだよね?
……私がいなかったら、きっと、シャルロッテさんもシャルロッテさんの子どもも……グラントも……。
……幸せに、なれるんだよね?
「……帰ろうかと、思うんだけど……」
「え?」
グラントの硬い声。ありあはグラントの顔を見る事ができなかった。
「……だって……子どもができたって……だから……」
いきなり両肩を強く掴まれた。言いかけていた言葉が止まる。
「……誰の、子だ?」
な……に……?
ありあの背筋が寒くなった。地獄を這うような声。物凄い威圧感。
「だ、誰……って」
掴まれた肩が痛い。身体が強張る。
「グ、グラントの……子ども……でしょ」
「俺の……?」
(な、なに……この雰囲気……っ!!)
絶対零度の冷たさが辺りを支配していた。身体が動かない。
くすり、とグラントが笑った。あまりに冷たい笑いに、ありあは何も言えなかった。
「……俺の訳、ないだろう?」
「え!?」
ありあは思わず顔を上げた。グラントの刺すような視線が、ありあの瞳を捉えた。
――怖い。
純粋な恐怖、がありあを支配した。グラントは……口元は微笑んでいたが、目が……
(な、なに、この……感じっ……!)
怒ってる、と言う言葉で表現しきれない。どす黒いオーラが彼の全身から立ちのぼってる……気がする。
「あ……の……?」
何を怒って、と聞きかけたありあの唇を、グラントの唇が塞いでいた。
「……!!」
咄嗟に両手でグラントの胸元を押す。でも、動かない。抱き締められて、動けない。
「んくっ……!」
グラントの唇が、ありあを貪った。強引に唇を割って、ありあの口をこじ開けようとした。
(……やだ……っ!)
抵抗しようとしても、力ずくで抑え込まれる。歯が唇に当たって痛い。荒々しく舌が侵入してくる。
硬直した身体が、小刻みに震えだした。怖い。やだ。痛い……っ!
ありあの頬に、一筋涙、が流れた。
涙に気がついたのか、グラントが唇を離した。ありあの目に、射抜くような銀色の瞳が滲んで映った。
「……他の男とも、こういう事をしたのか」
ありあは首をぶんぶんと横に振った。言葉が出ない。
「まだ……本当の事を言わないのか?」
……本当の事!? 私が嘘を言ってるっていうの!? ありあの心に怒りがわいた。右手を握り締める。
またグラントの顔が迫って来た。ありあは思わず――
――ゴン!
派手な音がした。グラントが一歩下がる。ありあの頭突き、がグラントの顎に炸裂していた。手が離れた隙に、ありあはぱっと身体を離した。
「な……な、に、するのよっ!!」
ありあは呪縛から解けたように、叫んだ。右手で唇を乱暴に拭った。
「シャ、シャルロッテさんって恋人がいるくせに……っ!!」
シャルロッテ、の名を聞いて、グラントの目が丸くなった。
「グ、グラントの子どもがお腹にいるって……伝えてくれって……」
ありあの目から、ぽろぽろ涙、がこぼれ始めた。グラントから威圧感、が消えた。
「は、初めてだったのに……っ!!」
「あり……」
言いかけたグラントを、ありあは遮った。
「グラントの馬鹿! 変態! 大嫌いっ!!」
ありあは、グラントを振り切って、部屋の外へと全速力で逃げ出した。




