開票作業1
生徒指導室で投票箱に入ってた投票用紙をペリペリ捲って延ばしていく音を聞きつつ、那岐は持ち込んだ雑誌を捲っていた。冬も近づいてきたという事もあり足には膝掛けをのせて快適に過ごしている。
昨日行った投票の開票作業を、土曜の…つまり今日、先生監督の下実行中。この場に先生はいないが、生徒指導室には監視カメラが設置されている為、それで監視されている。設置されている理由は生徒指導時に暴力行為等が出来ないようにするためだ。話の内容は守秘義務の為に音声装置を潰してあるので会話を聞かれる心配はない。
そのような場で開票作業する理由なんて一つしかない。開票作業の監視は行わなければいけないが寒い場にいたくないから、ぬくぬくの職員室で監視しようという教師による怠慢だ。
別に監視されることに異論はないが、なぜ昨日の放課後に開票作業を行わないのか。まったく昨日の放課後にすればよいものを、学校側の都合とやらで休日出勤させられるほうの身にもなってみろと言いたい。
「何回も折り畳まれると作業量増えるからキツいね」
朝9時くらいから続けて無言で行われていた開票作業だったが、もうすぐ12時といった辺りだっただろうか、ぽつりと言った橋口先輩の独り言らしきもの皮切りに皆、集中力が切れた。
「やってらんないよぉー」
バタンと豊崎が机に突っ伏した余波で未開票の用紙が宙を舞い、紙吹雪のように不規則な動きで豊崎の髪の上や、机の彼方此方に落ちてくる。実に幻想的な景色だが、実際はただ散らかしているだけである。
「そうだね…このアナログ式なの…どうにか…出来ないの…かな…あ…」
机を挟んで豊崎の正面に座って居た高城が髪に引っ掛かった未開票用紙を摘み、開こうとするとビリっと不吉な音をたてて本来の投票用紙の半分の大きさの紙が出来上がった。空気が白ける。
「何してるんですか。高城先輩、大事に扱って下さい」
「…書かれた立候補者の名前読めれば…いい」
対角線上に座り睨んでくる梶原をどこ吹く風で破れた用紙を専用の箱に放り、生徒会用のパソコンに結果を入力していく。
「梶原、あんまり神経質にやってたら作業が終わらないよ」
皆から離れた位置、正確に言うと、ちょうど梶原の後ろ2メートルほど離れた位置に居た那岐が、さりげなくアドバイスしてやると、梶原が振り返って睨んできた。何が不満なのか分からず那岐は内心首を傾げる。
なんだろうか、アドバイスしただけなのに。
「清水先輩は、何してるんですか」
那岐は、ふむ…と考える仕草を見せた後、読んでいた雑誌に目を落としもう1回梶原を見やる。
「何もしてないね。強いて言うなら書籍による女子のファッション研究かな」
「開票作業して下さい」
「何で?」
質問すると虚をつかれて一瞬言葉に詰まったようだが、すぐに眉根をよせて、こちらを更に鋭く睨んできた。
「何でって…清水先輩?何しに今日は来たんですか?」
「豊崎先輩に呼ばれたから」
「なら開票作業して下さい」
耳を塞ぎたくなる鬱陶しい小姑のような言葉に、溜息をつき、また雑誌に目を落として事も無げに答える。
「しないよ。第一に呼ばれた理由多分それじゃないし」
「は?」
ページを捲りナイスボディーのお姉さま方の着こなす服をぼんやりと眺める。特に好きな服装ではないが、暇つぶしに読む分には丁度いい。
「第二に私が投票作業手伝ったら、不正だの何だかんだ言われるし」
「そうだよー…だから梶原も実は手伝わなくていいんだよー」
梶原の隣で机に突っ伏してたままの籠った声に梶原が勢いよく振り向く。
「会長!?じゃあ何の為に呼んだんですか!?」
「呼ぼうって言ったの橋口だよ?」
「え?僕言ってない!」
ばっと鋭い梶原の視線が来て、我関せずを貫いていた橋口は話題の的にされて必死に否定した。
その様子から梶原は据わった眼をにへにへと笑う豊崎に戻した。ついでに視界の隅には雑誌から顔を上げた那岐もにやにやしているのが認識できた。
「…会長?」
「うん、嘘だよぅ。橋口が言う訳ないじゃん。ばっかだなー梶原」
ぴっと梶原を指さす豊崎
「本当に騙されやすいんだからー」
便乗して、ひょいと梶原を指さす那岐
「「ウケる(ぅ)(わ)ー」」
ケタケタと表情の変化が純粋に面白くて笑う豊崎とゲラゲラと完全に騙されたのを馬鹿にして笑う那岐の笑い声に耐えるように梶原は俯いて拳を握り怒りを抑えた。握りしめた拳が力を込めすぎて震えている。
「2人とも…それぐらいに」
見かねて諫めに入った高城の言葉にようやく二人が笑うのを止めた。
と、言っても豊崎達が笑いすぎて涙目になるくらい放って置いたのだから彼も、たちが悪い。
「あーおかしい。理由なんて私達が休日出勤しているのに君たちだけが休みなんてずるいってだけだよぅ」
「補足すると多分、休憩の差し入れ買出し要員でもあると僕は思うよ。」
「どっちにしろ開票作業は…梶原も清水も…やらなくていい」
「想像通りの理由です。」
腕組みして那岐は満足そうにうなずく。
「じゃあ教えてくれてもいいじゃないですか」
大きく息を吐いて、怒るを通り越して馬鹿らしくなった梶原も豊崎と同じ様に机に項垂れた。
「えー?梶原が何も言わずにしてくれるのに止めたら私達の仕事増えるもーん」
「頃合い見て教えようと思ったよ。終わる直前くらいに」
「清水が…途中で止めるかと…思ったから」
言葉は三者三様に違うが、教える気はさらさらなかったらしい。那岐は勿論のこと教える気はない。傍目に見ても梶原が不貞腐れ始めた。
「…帰っていいですか?」
「ダメに決まってるぅー」
机にうつ伏せのまま、伸ばした両手を開票前の紙の山に突っ込んで散らかす。紙の山は崩壊し机に万遍無く広がっていき、机の端に追いやられたものは音も立てず落ちていく。
「あぁーやめて下さいよー会長」
散らかった紙を豊崎から遠い一か所にいそいそと橋口が避ける。それも終わると橋口も開票する気がないのか紙の山を隅に寄せて一息ついていた。
「愛ちゃん…ダメ」
豊崎の背後に回った高城は、机にべたーっと上半身をへばりつかせている豊崎の背に覆いかぶさるように豊崎を押しつぶす。
「ぶぎゃ」
全員集中力切れで開票する気ゼロだ。作業が終わらないと帰れないなら、やることは1つしかない。
那岐は読んでいた雑誌を近くの机に置き膝掛けを片づけて立ち上がった。
「差し入れ買ってきます、梶原荷物持ち」
梶原をちょいちょいと指で呼んで、那岐はさっさと出ていた。仕方なく立ち上がった梶原は遊んでいる先輩達を見やる
「行ってきます。ご要望は?」
「アタシ肉まん!」
「僕はあんまん」
「…ピザまん」
「分かりました」
「梶原ー…清水に領収書って言っといてくれるぅ?」
「了解」
豊崎の言葉を聞き届けると後姿も見えない清水を追うべく梶原は靴箱に向かって走り出した。土曜の校舎は静かなものだ。自分の走る足音が廊下に反響して異空間にいるような…ここには誰もいないような不思議な空間のように感じる。人にもよるだろうが梶原にとってそれはあんまり好きな感覚では無かった。それもあって那岐の後を追うべくスピードを上げた。
靴箱に辿り着くと那岐は既に靴を履き終えて壁に寄りかかり待っていた
「遅いよ」
「すみません」
「早く、靴はいてね。コンビニ行くよ」
梶原が靴を履くのを見届けない内から那岐はまた歩き出してしまった。急いでパンプスを履こうとして、ふと梶原は首を傾げた。そんなに急がなくてもいいだろうに…何故急ぐのだろうかと。
疑問はさて置き、靴を履いて、走って那岐の後を追いかけた。散った木の葉をさくさく踏みしめて歩く那岐に追い付いて分かったが那岐は女子にしては歩くスピードが速い。決して足が長い訳ではないのに…だ。
清水より足が長い梶原だが、那岐の速度に合わせようとすると、いつもより歩くスピードが上がった。
「清水先輩、豊崎会長が領収書貰って来るように言ってました」
「うん、分かった。あと何買って来てって言ってた?」
息も切れていないし、これが自然体なのか?
自然と梶原が那岐の三歩後ろを早足で行く形となった。
「肉まん、あんまん、ピザまんです」
「はいはい。了解。」
テンポよく前を歩く那岐の肩につかないくらいの色素の抜けた髪が揺れるのをボンヤリ眺めていて、ふと思った。
「先輩は髪、伸ばしたりしないんですか?」
その言葉にこちらを少し向いた清水は毛先に目をやる。痛んで枝毛も目立ってきた髪はそろそろ切りどきだろう。苦い笑いを横顔に浮かべた。
「しないよ。癖毛だから伸びると凄い事になるの…あれ?梶原、伸びた?」
「…髪ですか?」
自分の前髪を摘み、じっと見るがこの前切ったから、変わらない気がする。
「違う違う、身長の事。伸びたね」
歩く速度を落とした那岐が梶原の隣に並ぶと、覗き込みながら指摘してきた。
言われてみれば…入学当初ぶかぶかだった制服も少しマシになった気がする。最近関節も痛いし。
「そうですね」
「大きくなるのが早いなぁ…梶原と目線が遠くなったよ」
嫌味のない笑顔に少し慌てた。普段、意地悪な顔か、気だるげな顔しか、しない先輩の優しげな表情に気持ちが浮立つのを感じる。
「皆、成長期だから伸びますよ」
那岐からの視線が気恥ずかしくて立ち並ぶ民家を意味もなく眺める。
しかし梶原の内心の焦りに気付いているのか、いないのか、那岐は下から上まで遠慮なく、じろじろ観察してくる。
「いやー…女子は中学くらいが一番成長するから、高校に入った時と比べると男子の成長が分かりやすいんだよ…梶原も男の子だね」
更に穏やかな笑みを深くした那岐に、梶原は顔に今度こそ顔が熱くなるのを感じた。
親戚にもよく言われる言葉だし、清水も特に他意がないのは分かっていたが、男として認めてくれたのが嬉しかった。普段、清水は自分を後輩扱いして全く男として見てくれていなかったからだ。夏になれば平気でスカートをパタパタしたり、シャツの第二ボタンまで開けていたのだ。その時は何て無防備で、自分はどれだけ男として見られていないのかと男としての矜持を痛く傷つけられたものだ。
「当り前ですよ。男以外の何に見えるんですか?」
嬉しい気持ちを前面に出すのが何だか恥ずかしくて、そっぽ向いた梶原を見て、那岐は唐突に以前、豊崎から女顔と梶原がからかわれて顔を真っ赤にして怒っていたのを思い出した。
「怒った?ゴメンゴメン。他意はないの、ただ後輩の成長を感じて少し嬉しくなっただけだよ」
「怒ってません!!年下扱いしないで下さい!!」
先ほど喜びを見事に打ち消してくれた先輩の意地悪さに、つい態度が刺々しくなった。持ち上げて落とすとは、悪戯好きな先輩は流石、嫌な事をしてくる。
この時点で互いの思惑が完全にすれ違っているとは気づいていない。
小さい子が、もう子供じゃないんだからと主張している様と梶原を重なり、那岐は嫌味含みのにやけ顔を浮かべた。
「年下扱いを怒ったのかー…いや、まだまだ手のかかる可愛い年下の後輩だよ、君は。一年生のか・じ・わ・ら・君」
梶原から、脳内の何かが切れる音が聞こえた気がした。
「うるさいです!!俺より頭が劣る先輩に年下扱いされるのは我慢なりません!!さっさと歩いて下さい!短足先輩!」
完璧に怒った梶原が歩調を上げ、那岐の先を行く。が、背後から聞こえる笑い声が遠くなることはなかった。元より那岐の方が歩くのは早い。梶原の速度に合わせてコンビニに着くまで背後で笑い倒した。
全力の早足なのに、中々開かない清水との距離にイライラしつつ、己が非力を思い知らされた梶原は、絶対に清水を負かす!と内心目標を立てた。