盲点
盲点だった。
俺は今走っている。息が切れる。
バス停までの道で案の定ミーヤに遭遇したのだが、その行動が予想外だった。
あのバカ後ろからスクーターに乗って来て、俺のカバンをひったくって行きやがったのだ。
「返してほしけりゃ一人であの公園まで来い」
そう叫びながらやつは赤信号の中を突っ切って行った。
車に引かれればよかったのに。
ああクソ、疲れで頭が過激になり始めた。
しかし、バカだバカだと言うが、バカゆえにミーヤは自由な発想というか、フリーダムかつある意味アクロバティックな発想で行動する。だからこそ俺たちは出し抜かれたのだ。
(一応)友達同士なのに、まさか犯罪まがいの事をしてくるとはな。
俺は額の汗を拭きながら公園までの最後の関門である坂を駆け上がる。そらに漂う雨雲が、視界の端に黒くこびりつく。
弾希たちは別のルートを通って公園の裏から回ってくる。一人で来いというミーヤの要求を無視して、俺のカバンに何かされてはかなわないので、隠れて様子を見るためだ。
俺は額の汗をぬぐう。吐く息は鋭い。
坂を登り切った。公園にはミーヤの姿があった。
俺は息も絶え絶えに口を開く。
「お前……はぁ、ミーヤ、何、しやがる、んだよ!!?」
答えず、ミーヤは俺に向かって竹刀を投げた。
「使いたければ使え。一分ほど待つ、息を整えろ」
俺は竹刀を受け取る。ミーヤの真似をして、体の正面に構えた。
ただ、これは剣道の試合ではない。喧嘩だ。
面だ胴だで決まる勝負でもない。喧嘩だ。
勝敗を決めるのは、どちらかが負けを認めた時だろう。
「いくぞ」
ミーヤがそう言ってこちらに踏み込んできた。
瞬間、
「おりゃ!」
俺は竹刀をバカめがけて投げつけてやった。剣道だと反則負けだろうが、これは喧嘩だ。ルールなんてない。
「ふざけろ!」
ミーヤはその竹刀を正面から打ちおろして防ぐ。
俺はそうして地面にたたきつけられた竹刀を、今度は蹴りあげた。
竹刀の先端が持ち上がり、ミーヤの竹刀の脇をすり抜け額へと飛ぶ。
「それがっどうしたっ!!」
ミーヤはよけるでもなくそれを頭突きではじき返す。
そのまま一歩、踏み込む。
「おらぁ!」
そして竹刀を蹴りあげ不安定な体勢の俺の面に竹刀を振り下ろした。
俺は咄嗟に膝を曲げて体を低くし打点をずらす。
左肩に命中したミーヤの一撃は、そのおかげで軽く済んだ。
「このっ!!」
勢いのままに、肘をミーヤの腹部に突き刺す。
痛みにひるんだのか、ミーヤの上半身が軽くぶれた。
そのスキにミーヤの竹刀を掴んだ矢先、
「せいっ!!」
ミーヤは両手で竹刀を上段まで力任せに振りあげる。
中途半端に竹刀を持っていた手は簡単に振りほどかれた。
そして、竹刀の柄頭で俺の額を思いっきり殴りつける。
「っ!!?」
やばい、視界がグラつくほどに強く入った。
しかし、ミーヤも反撃を警戒してか一旦距離を取ったようだ。
俺はふらついているのを誤魔化すためもあって、竹刀を拾った。
再びにらみ合いう俺とミーヤ。
俺は竹刀を握りしめながら、ほんの一週間ほど剣道をかじった、とある日々を思い出していた。
「剣道をするわよ!!」
そう波倉が叫んだ時、俺と弾希は状況が呑みこめず困惑した。
中学三年の夏だった。
そして事情が呑み込めないまま見覚えのある剣術道場に連れて行かれ、再開したくもないバカと再会を果たし、俺は剣道をやる羽目になった。
なんでも、波倉がミーヤと偶然出会って、その話を聞くうちに手を貸したくなったのだと。曰く、団体戦でミーヤを勝たしてやりたいと。団体戦は五対五だから、俺と弾希とミーヤが勝てば問題なかろうと。
そしてそのために、俺と弾希に試合に出て勝てと。
ちなみに、試合までは一週間しかなかった。
アホか。
受験勉強真っ最中にんな事やってられるかとも思ったが、何よりまず俺は剣道などやった事がない。
マンガじゃないんだ、付け焼刃で勝てるか。
しかしそんな抵抗も空しく、諸々の事情で俺は剣道をやった。
どうしてかは言いたくない。概ねゆすられたに近かったとだけ言っておく。
そして、何故か俺が大将になった。弾希は中堅、ミーヤは副将だ。
どうでもいいが、元々ミーヤの剣術道場に所属してるはずの二人は初っ端二戦で連敗を喫したので、ずっと背水の陣であった。
ずっと、とはつまり、弾希とミーヤは勝ったのである。
弾希はもともと運動神経が良かったし、何より相手が一二回戦を見て油断していたため、幸か不幸か勝ってしまった。
ミーヤは元より強かったので、ある意味勝って当然という風を装っていたが、あんないい顔をしているやつを見たのはあれが初めてだろう。
ちなみにその時俺は恐ろしく嫌な顔をしていたが、試合が終わって面を外しているミーヤと違い、その表情は面の内に隠されて周囲には見えなかった。
そして、大将戦。
俺は勝ってしまった。
何故かは分からないが、相手の大将が妙に大ぶりで上手く切り返してしまった事だけ覚えている。
あの胴アリの小気味よい音は爽快だった。
だからって、剣道続ける気はないけどね。
とにもかくにも、こうして、俺の意味不明な剣道ライフが終わったのだった。
いや、始まってすらいないのだろうけどね。
余談ながら、その日は雨だった事が、不思議と印象に残っている。
頬を掠めた切っ先が、風を切っては切り返される。
俺はそれを竹刀で防いだ。
何度目の攻防かは覚えていない。
反射で攻撃を逸らし、スキをついては切り返され、弾き合っては距離を取る。
そして再び切り合う。その繰り返し。
周囲のどこかから隠れて波倉たちも見ているのかもしれないが、未だに助けに来てくれそうにない。
おそらくは面白がった波倉が、ともすればサシの喧嘩の邪魔は無粋と主張する弾希が、大穴でズレた理由で古式が、俺の救助を阻んでいるのだろう。
それとも、単に俺のカバンを探しているのか。
どうでもいいが、結論が出たとしても目の前の状況はどうにもならない。
俺は思考を捨て、剣を振るう。
怪我の量だけで計るのなら、俺が押されているだろう。
そりゃ、相手は剣道の腕に覚えのあるミーヤだ。
俺は剣道の道をそれまくった反則技と、先の弾希との喧嘩で開花した反射神経だけで、本来瞬殺される勝負を引き延ばしているにすぎない。
しかしこれが、意外に吉と出たのだ。
ミーヤは剣道ついては俺と別格だ。当然だが、これが喧嘩である事を差し引いても、俺はこいつに敵わないかもしれない。
しかし、それはミーヤが万全の状況で『剣道』が出来た場合の話。
剣道は靴を履いてする武道ではないし、土の上ではやらないし、俺のような反則技は本来存在しない。
そして何よりも、一撃入ればいいのである。
そう、つまり、ミーヤのスタミナ切れが始まったのだ。
「くそ、逃げて、ばかりじゃな……はぁ、なくて、かかって来い、ツミキ」
俺はそんな挑発には乗らず、かすり傷と打撲の多い体を鞭打って、ひたすらにミーヤの攻撃を回避する。
そして、反応の遅れ始めたミーヤにちまちまと攻撃を仕掛ける。
俺は主に足を狙う。
追って来れないようにして逃げるにしろ、カバンの在りかを吐かせるにしろ、まず機動力を奪う事が先決と考えたのだ。
何より、剣道では狙われない部位であるから、ミーヤの警戒も緩い。
攻撃の間隙に、俺は下段蹴りをお見舞いしてやる。
さっきからすり足が崩れていたミーヤは、完全にバランスを崩して倒れてしまった。
「降参しやがれ、ミーヤ」
「くっそ、やろ……」
ミーヤはへばってしまったのか、どこか足を怪我したのか、立ち上がろうとしても立ち上がれないようだ。
ただただ上を見上げ、大口を開けて息をぜえぜえやっている。
「あー、疲れた」
俺はミーヤの間合いから充分距離を取ったところで息を整える。
丁度その時、背後から足音が聞こえた。てっきり俺は弾希たちが出て来たのだと思って安心して振り返る。
「!?」
瞬間、眼前に突き出された竹刀の切っ先を見、俺は後ろに跳ぶ。
「なんで、お前が……!!?」
俺の声に答えるでもなく無言で竹刀を構えているのは、茶髪と黒いリング状のピアスが目を引くその男は――
「斎木……」
俺の背後で、ミーヤがそいつの名前を呼んだ。