孤剣
中学の頃、荒神実依也は一度、剣道を止めようとした。
理由は簡単で、つまらなくなったからだ。しかし、どうしてつまらなくなったのかというと、これは複雑なのだった。
実依也はこの頃から単純明快な性格をしていて、だからこそ勝つという事に貪欲だった。
剣道をするからには勝ちたい。
それが彼の基本的で最も大きい信念だった。子供だからこそまた彼だからこそ、単純で分かりやすく、何よりまっすぐな信念だった。
単純であるという事は、分かりやすい。
分かりやすいが故に、揺らがない。
しかしそんな実依也の信念でもどうにもならない事があった。
彼は強い。
単純なためにひた向きにまっすぐに鍛えぬいた剣の腕は目を見張るものがあった。
実依也は個人戦ではかなりの成績を残す事が出来た。
しかし剣道の団体戦では、チームメイトが負けてしまい、大将たる彼まで回らずに終わる事すらあった。
彼は強い。
であるが故、集団戦で負ける事が、大将を務める実依也に番が回って来すらせずに負ける事が、実依也には許せなかった。
その事が原因でチームメイトと喧嘩し、実依也は父に剣道をやめたいと告げた。
剣術道場の主たる父は、彼を叱るでも自ら悲しむでもなく、いつもの如く表情を変えずに言った。
「天下五剣を知っているか」
知っていると実依也は胸を張って告げた。
天下五剣とは日本刀の中で特に大業物として称えられた五振りの事である。
どの五振りも美しく素晴らしく、まさに匠の業の結実と言える逸品だ。
「では、天下五剣はなぜ天下五剣となりえたのか」
それは分からない、何故なのかと彼は問うた。
「それが分かるまでは、剣道を続けてみろ」
彼は少しだけ嫌な顔をした後、分かったと答えた。
彼はつまらなくなった剣道を続けてみた。
彼は練習でも試合でも道場では負けなしだった。けれど以前からよく問題を起こすので――今は喧嘩したことでより一層――彼は一人ぼっちだった。
勝っても勝てない。強くても負ける。
それが概ね彼が思う剣道がつまらなくなった理由だった。
そう思いながらも、剣を振った。
彼は夜に雨の中で剣を振るのが好きだった。
特に月が半ば出たまま霧雨が降るような夜は、好んで外に出ては剣を振った。
月に照らされて銀色になった雨の線を、剣を振って乱すのが彼は何となく好きなのだ。
彼は無心に剣を振った。
月夜の田舎道でそのような事をしていても、今まで家族以外に見咎められた事は今までなかった。
「何やってんのアンタ?」
だからそう声をかけられても、自分に話しかけられたと思わず一瞬、反応が遅れた。
戸惑いながらも、声をかけて来た少女に何か用かと聞いた。
「こんな夜に、しかも雨の中で何してんのよ?」
素振りだ、と実依也は答えた。そして、逆にどうしてお前はここにいるのかと聞いた。
「家までの近道なのよ。最近塾が遅くまであってさー。……全く、なんでアイツあんなレベル高い高校目指すんだか、バカのくせに」
後半がよく聞き取れなかったので彼は聞き返そうとしたが、その前に相手が口を開いた。
「アンタどっかで見た顔だけど、同じ中学? アタシ波倉未来って言うんだけど」