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虚飾

 その日も城の警備にあたっていたスタンレイは独りごちる。

「いくら聖魔大戦の年だからといってこう毎日警戒していては先にこちらが参ってしまう。…………それにあの魔王の命令ではやる気も出んしな」

『今年は例年よりも警備を強化する』

 これが魔王からのお達しであった。

(それにそんなことせずともエイヴィル様の結界がある。聖領の連中がこんな早くから攻めて来れる筈はないと思うのだが……)

 現在魔王の命令でこの城に駐留している魔人は六人。そしてその誰もが魔領において重罪を侵し監獄に収監されている者たちである。彼らは恩赦を得ることと引き換えに魔人候補として聖魔大戦に参加しているということだ。

 魔人とは聖領でいうところの勇者と同格。つまり彼らは魔王に選抜された聖魔大戦の関係者であるといえる。

(まあ、一年間の辛抱だ。勝とうが負けようがそれで解放される)

 種族によって多少の違いはあれど魔物の寿命は非常に長い。そのため時間の感覚が人間とは大きく異なる。一年程度の年月であれば彼ら魔物にとっては三カ月にも相当しないだろう。

「……ん?」

 スタンレイは周囲の空気が僅かに変化したのを見逃さなかった。

(何か……いる?)

 そう感じた瞬間彼は無意識にではあるが臨戦態勢に入っていた。魔物は人間と違って戦うために特に武器を必要としない。それは彼らが自らの血が、肉が最大の武器だと考えていたからだ。先祖から受け継いだ種族としての特性こそが武器といっても過言ではない。

 そして僅かな変化を感じ取り臨戦態勢に入ることのできる鋭敏な感覚もその武器の一つといえる。故に魔物は戦闘において遥かに人間を凌駕しており、五百年前の人間たちが対抗できたのは魔物の個体数が少ないこと、そして集団戦が不得手であることが要因だったといわれている。

 ましてやこのスタンレイはその魔物の中から魔人に選ばれるほどの技量の持ち主だ。その強さは折り紙付きといえる。

「……………………」

 スタンレイが臨戦態勢に入ったことで侵入がバレたことを悟ったのか侵入者はあっさりとその姿を現した。

「貴様ッ!! 何者だ!?」

 侵入者は彼の問いには答えない。そして――。


 城全体が激しく揺れる。そしてその度にこの城の大きな玉座に座る小さな少女は毅然とした表情を崩すことなく心中で小さな悲鳴を上げていた。

「オルベル様……」

「大丈夫だ、臆するな。いまも魔人たちが戦ってくれている」

 オルベルと呼ばれた少女はそう側に控える使用人たちに声をかけ、彼女らの不安を取り除こうとする。彼女らの主として恥ずかしくない態度を何とか維持したまま。

 彼女は初代魔王エイヴィルの血を引き、現在魔領を統べる三代目の魔王である。髪は鮮やかな銀、そしてその瞳は透き通るような碧。初代から続く魔王としての外見的特徴を受け継いだその姿は最早「美しい」ではなく「完全」という言葉こそが相応しいと人々に思わせるほどであった。

 しかし、彼女はその力まで受け継ぐことはできなかった。

(……私にもお祖父様のような力があれば皆を守れるのに……)

 どうしようもないことだとわかっていてもオルベルは自分の非力を呪わずにはいられない。代々魔王の地位は初代魔王エイヴィルの血を引く者が継承してきた。彼女の父もエイヴィルほどではないにせよ、魔物の中では最強を誇っていたものだ。

(どうして私はこんなにも弱いの……?)

 しかし、オルベルにはその力が毛ほども受け継がれることはなかった。そして彼女を悩ませているのはそれだけではない。何故か彼女には魔物としての力も皆無だったのである。つまり、彼女は身体能力が人間と何一つ変わらない最弱の魔物だったのだ。

 それでも、エイヴィルの血を引いているというだけで魔王の座につかなければならなかった。そして、父の死後、魔王の地位を継承したオルベルはずっと一人で劣等感と戦っていた。

「――? 静かになった……?」

 気がつくと先ほどまで続いていた戦いの轟音が止んでいた。それは侵入者と魔人の誰かの戦いが終わったことを意味している。

 どちらかが勝ち、どちらかが負けた。

 もし魔人が勝ったのであれば、この謁見の間に報告に来るはずだ。しかし、それは侵入者が勝った場合も同様だ。今度は魔王の首を獲りに来るだろう。完全に勝利するために。

 オルベルは緊張を押し殺し、扉が開かれるのを待った。どちらが来るかを確認するために。

 しかし、結論から述べるとその扉は開かれることはなかった。

 何故なら。

 魔人と侵入者、そのどちらもが壁を突き破って現れたからだ。

「ひゃあああっ!!」

 周りに使用人たちがいることも忘れ、椅子にしがみつきながら思わず素で悲鳴を上げてしまうオルベル。

 先に姿を現したのは魔人ランドールだった。しかし、彼はピクリとも動かない。それも当然のことである。魔物といえども頭だけで動ける筈がないのだから。

 ランドールの頭部を見て恐怖のあまり身動き一つ取れないオルベルの前に侵入者が姿を現す。

 黒髪の男はまだこちらには気が付いていないのか、退屈そうに何事か呟いている。

「ったく、これで何人目だ……? どいつもこいつもいきなり襲って来やがって……」

『まあ、いいじゃない。この調子でドンドン行きましょう』

 侵入者の腰には見覚えのある剣が提げられていた。

(あれは……お爺様が言っていた聖剣!?)

 オルベルが目を見開くのと同時にグァルドが彼女を発見する。

「それにしてもこの部屋やけに豪華だな…………お?」

『え? 何どうしたの?』

「いや、何か女の子が偉そうな椅子に座ってるんだけど」

 ついにオルベルは男に発見されてしまう。隠れもせずにずっと椅子にしがみついていたのでは見つかっても文句は言えないが。

(ど、どうしよう、見つかっちゃったよう……!!)

 そうしてオルベルがオタオタと慌てている一瞬の間に男は彼女の前に移動していた。男にとっては軽く移動したつもりでも大した力を持たないオルベルにとっては瞬間移動でもしたかに見えたことだろう。

「あ、あ、あ」

 何か言わなければ。咄嗟にそう思いついたオルベルは口を開いたが恐怖が邪魔をして上手く声を出すことができない。

「アンタ、名前は?」

「あ、あ、え?」

「だーかーらー、名前だよ、な・ま・え!!」

「ひゃうう……!!」

 大声を出されて怯えるオルベル。遠目に見れば途轍もなく凶悪な面をした鬼が十代後半の少女にカツアゲを働いているようにしか見えないだろう。

『女の子怖がらせてどうするのよ……、というかまず自分の名前を名乗りなさい。いままでは黙っていたけどそれが最低限の礼儀というものよ』

「へいへい……、五百年以上生きてる婆さんは説教が上手いったら」

『いいから、さっさと名乗る!!』

「うおっ!! わかったから怒鳴るなよ!!」

 しぶしぶといった様子で男が自らの名を名乗る。

「グァルド=ハルフストライクだ」

『こんばんは、お嬢ちゃん、私は聖剣ジュスティクス』

 男に続いて先ほど確認した聖剣も挨拶をこちらに寄越してくる。

「……で、アンタの名前は?」

「…………オルベル」

「フルネームで」

「……オルベル=フィン=サーヴェンガルド」

 その名前を聞いて侵入者、もといグァルドはにやりと笑う。

「やっと当たりだ」

「……え?」

「アンタ、ヒナ婆の所に依頼を出したろ?」

 ヒナという名前が出た瞬間、オルベルにあった恐怖がいくらか軽減されたようだ。ようやく彼女は俯けていた顔を上げグァルドと視線を合わせる。

「…………ッ!!」

 その瞬間再び顔を伏せたが。

「……まあ、その反応は慣れてるからいいけど……」

 その顔でいままで数多の女、子どもを恐怖の淵に追いやって来たグァルドである。特に気にする様子はない。それよりも明らかに動揺を露わにしたのはジュスティクスの方である。

『……サーヴェンガルドですって?』

 彼女は鞘の中でカタカタと震える。まるで、歓喜に耐えきれないかのように。

『それにその髪と瞳の色……それじゃあ、アナタが――魔王?』

 頭をコクコクと上下させその質問に肯定の意を示すオルベル。

『何て幸運かしら!! 聖魔大戦が始まって一カ月で勝負がつくなんて!! さあ、グァルド早く魔王の首を獲りなさい!! それで聖領の勝利よ!!』

 ジュスティクスは勝利の瞬間が待ちきれないかのように更に激しく鞘の中で暴れ回る。しかし、それとは対照的にグァルドの反応は冷めたものだった。

「そりゃ無理な相談だな」

『…………へ?』

「コイツが俺に依頼したのは『魔王を守ること』だ。その魔王を殺せるかっての」

『なっ……!?』

 グァルドの言葉に絶句するジュスティクス。

「つー訳でそれは諦めてくれ」

『ふ、ふざけないで!! アナタそれでも勇者なの!?』

「いや、俺勇者じゃねえし」

『そうでしょう? 仕事より使命の方が大事…………って、ええ!?』

 最早言葉にする必要もないが、ジュスティクスは大きな勘違いをしていたのだ。グァルドの目的地がヴェイン達と同じだということは彼らの会話から知った。

 彼女の失敗はそれだけの情報で物事を判断したことに起因する。

 彼女はグァルドがヴェイン達の知人であること、また退学になったものの養成学校の生徒であったこと、そして魔王の城に向かっていることから、彼も聖魔大戦の参加する勇者の一人だと認識したのだ。

 勿論、グァルドとヴェインの会話をちゃんと聞いていればそんな誤解は生まれようがなかったのだが、人間であった頃から彼女は戦闘以外の面で少々うっかりしたところがあったのである。

 しかし、もう彼女に打つ手がない訳ではなかった。

『な、なら私が勇者に任命するわ!! それなら文句ないでしょう!?』

 そう。勇者を任命できるのは聖君のみ。故にその任命権は剣となったジュスティクスにもある。

 しかし。

「いらねえよ、そんな称号」

 グァルドは勇者という称号に興味はなかった。

『そんな称号ですって!? この称号がどれだけ誇り高いものかアナタわかって……』

「ああもう、うるせえ!!」

 そう叫ぶとグァルドはジュスティクスを鞘から抜き、その刀身を握る。その際彼の手から血が流れたが、そんなことはどうでも良いようだ。

『ちょっと!! どこ触ってるのよ!?』

「黙ってろ。これ以上勇者だ何だと喚くならこの場でへし折るぞ?」

『…………』

「オッケー。どうせ後でヴェイン達もここに来るみたいだから、そのときちゃんと返してやるよ。お望みの勇者様にな」

 ジュスティクスがグァルドの要求通り押し黙ったのは、決して折られることを恐れた訳ではない。人間として高みに登り詰めた彼女が変化しできた聖剣は既に神格の域にある。いくらグァルドが人間離れしていても所詮は人間。どれほど力を込めようが彼女に傷一つ付けることはできないのだ。

(もう!! 何なのこの子は!? 勇者がどれほど誇り高いものかわからないのかしら……? 何にしてもこの子ほどの使い手を失くすのは惜しいわ。いまは我慢して後で説得するしかないわね……)

 心の中でそう考えながらジュスティクスは鞘の中で沈黙を続ける。自分の力を最大限発揮し得る使い手を得るために。ひいては聖魔大戦に勝利するために。

「さて、と」

 グァルドは未だ自分の方を見ない少女を眺める。

「いい加減オマエも震えるの止めてこっちを見ろよ。魔王なんだろ?」

 その言葉がオルベルの心を奮い立たせる。

(そうだ。この人が言う通り、私は魔王なんだ。ならちゃんと私は魔王を演じないと……。お祖父様とお父様の名誉のためにも)

 そうして漸くオルベルは顔を上げた。

「そ、そうだ。私がま、魔王だ。そ、そなたは、ヒナが寄越した者なのだな?」

「ああ。ていうかさっきからそう言ってる」

「そ、そうだったか。それはすまなかった。で、では早速契約の話に入るとしよう。ウィニ、契約書をここに!!」

「は、はい」

 ウィニと呼ばれた使用人が一枚の紙を持ってパタパタと小走りでオルベルのもとにやってくる。

「そなた契約内容についてヒナから説明は受けたか?」

「いや。あの婆あ、重要なことは全部雇い主から聞けって言って教えてくれなかった。知ってんのはアンタを守れっていう依頼だってことだけだ」

「そ、そうか。では私が説明しよう」

「あー、難しい話はよくわかんねえからできれば噛み砕いて説明してくれると助かるんだけど」

 グァルドがそう言うと彼と出会って初めてオルベルは柔らかい笑みを浮かべることができた。

「ふふ、ではそのようにしよう。そなたに頼みたいことはただ一つ。魔人として私を守ることだ。つまり聖領の勇者や、そ、そこにいる聖君とも戦ってもらうことになるのだがこれは構わぬか?」

「ああ、問題ない」

「そ、そうか、それは良かった。あと、護衛に関してそなたに頼みたいことがもう一つあるのだが……。も、勿論これは契約ではなく頼みである故、断ってもらっても一向に構わぬから、そ、そのつもりで!!」

「お、おう」

 得体のしれない気迫で迫られ、ややグァルドはたじろぐ。

「…………のだ」

「声ちっせえ!! さっきの気迫はどこ行ったよ、おい!!」

「だから、常に私と行動を共にして欲しいのだと言っておるのだ!!」

「…………常にってことは寝食もってことか?」

「う、うむ」

「…………何で?」

「そ、それは…………」

 オルベルはそこまで言ったきり顔を真っ赤にして黙ってしまう。

 この申し出はグァルドにしてみれば甚だ疑問であった。護衛をするのは全く問題ないのだが、そこまでする必要性を感じない。

『馬鹿ねえ、そんなの決まってるでしょう?』

 これまでグァルドの命令通り黙っていたジュスティクスが不意に口を開く。

「誰が馬鹿だ、誰が」

『だって、こんなのこの子の態度を見れば一目瞭然じゃない、ねえ可愛い魔王さん?』

「~~~~~~~ッ!!」

 顔を見せまいと再び俯くオルベル。

「おい、どういうことなんだよ?」

『しょうがないわね、オルベル、グァルドに教えてもいいかしら? アナタがどんな気持ちであのお願いをしたのか』

「なっ!! 止めて……ゴホッゴホッ、止めぬか!! 誰もそんなことは頼んでおらん!!」

『可愛いわね、必死になっちゃって……。教えてあげるわ、つまりはこういうことよ』

「そ、それ以上の無礼は如何に聖剣といえどもゆ、許さぬぞ!!」

 台詞自体は威厳があるのだが、如何せんそれを口にしている人物が涙目ではその威厳も形無しだ。

『私たちがこの城にいた魔人を倒しちゃっていまは警備がザルなの。だからいつ刺客が来るかわからないこの状況じゃあアナタと離れるのはとても危険なのよ。けれど魔物を統べる魔王としては同族でもない人間のアナタに頼むのは恥ずかしい。だからあんなに顔を真っ赤にして恥を忍んで頼んでるってワケ』

(…………あれ?)

 自分の思惑と違うことを指摘されキョトンとしてしまうオルベル。彼女にとってはその解釈をしてくれた方が好都合なのだが何だか釈然としない。しかし、悶々としている間にグァルドも納得したように頷いていた。

「ああ、そういうことか」

「そ、そうなのだ。は、恥ずかしいことこの上ない!!」

『……その割には嬉しいそうね』

「そんなことはない!!」

 怪訝そうな声を上げたジュスティクスに声を張り上げ否定する。

『そ、そう? ならいいけど……』

「で、どうなのだ!? 了承してくれるか!?」

 もう一度深く考えさせたら終わりだと、オルベルは予感していた。そのため、時間を与えずにグァルドに返答を迫る。

「まあ、そういう理由ならしょうがねえか。そもそもこの城の魔人を殺しちまったの俺だし」

「そうか、引き受けてくれるか!!」

 顔を真っ赤にしながらも満面の笑みでそう喜ぶその一瞬において、オルベルはグァルドの前で初めて本当の己を曝け出していた。

「ならば、私の方からの頼みは以上だ。あとはそなたへの報酬についてなのだが……何か望むものはあるか?」

「望むものねえ……」

 腕を組んで考え込むグァルドであったがそんなことをせずとも彼の望むものは初めから決まっている。

 だが、それはオルベルには叶えることはできない。そうグァルドは結論づけた。

「まあ、いま望みが特になければ追々考えておいてくれれば良い。兎にも角にもこれで堅苦しい契約の話はこれで終わりだ。グァルドよ、異存がなければ契約書にサインを」

「あいよ」

 彼が汚い字で契約書にサインをすると、書き込んだ彼の名前と予め書かれていたオルベルの名前が数秒の間輝いた。これは『契約の誓い』と呼ばれる特殊な紙で、この紙に名前を書くとその人物は紙に記された契約内容を破ることができなくなるのだ。

「さて、これで契約は正式に完了だ。そなたらも長旅で疲れているだろう。すぐに部屋に――」

 そこまで言いかけて急にオルベルは口を噤んだ。グァルドとジュスティクスが不思議に思っている間にもオルベルの頭の中には様々な考えがグルグルと巡っていた。

(ど、どどど、どうしよう!! 今日は午後から会合があったから私の部屋散らかったままだよ……。普段からウィニ達にも私の部屋は掃除しないように言ってあるし……)

「オルベル?」

 グァルドが固まったまま動かないオルベルの顔を覗き込む。

「ふあっ!!」

「大丈夫か、おい」

「大丈夫です!! あ、違った、大丈夫だ!! そ、そんなことよりそなたらは先に食事を済ませておいてくれぬか!?」

『あら、部屋に案内してくれるんじゃなかったの?』

「ほほ、ほら色々準備が必要だろう!? 客人を迎えるのだ、綺麗にせねば!!」

「客人じゃねーって。雇われ傭兵みたいなもんだぞ、俺は」

「いやいやいや!! それでは私の気が済まん!! ウィニ、ウィニ!?」

「は、はい、オルベル様」

「二人を食堂へ案内してくれ!! その隙に、い、いやその間に私は証拠いんめ……準備をしておくのでな!! 食事の後に私の部屋に連れて来てくれ!!」

「か、かしこまりました、グァルド様、ジュスティクス様こちらへどうぞ」

 オルベルに言いつけられた使用人はグァルドの背中をグイグイと押し、この部屋から追い出していく。

「お、おい」

『ちょ、ちょっと!!』

 そして二人はそのまま食堂へと連行され、オルベルといえば彼女の体力では考えられないスピードで自分の部屋へと向かったのだった。早速別行動をしていることをすっかり忘れながら。


 静かだった部屋の中にノックの音が響く。

「オルベル様、グァルド様をお連れしました」

 ノックに続いてウィニの声がオルベルの耳に届けられる。それに対してすぐに返答が返されることはなく、代わりに部屋の中からは何かが倒れるような音、慌ただしく走り回る音、そしてオルベルの小さな悲鳴が聞こえてくる。

「オルベル様!?」

 ウィニがドアを開けようとするが鍵がかかっているらしく、ビクともしない。居ても立ってもいられなくなった彼女は目の前に立ちはだかるドアを力の限り叩く。

『ねえ、これってまさか……』

 ジュスティクスが心配そうにグァルドに声をかける。

 彼女にしてみればオルベルが死んだ方が都合が良いのだが、やはり彼女としては自身の手で聖魔大戦の幕を引きたい気持ちが強いようだ。

 グァルドも彼女と同じくオルベルが誰かに襲われていると考えていた。しかし、彼女のように不安を口にはしない。

 彼はオルベルの悲鳴を聞いた瞬間にウィニを押しのけ、ドアを蹴破っていた。

 そうして部屋の中に侵入したグァルドはジュスティクスに手をかけながら警戒を解くことなく進んでいく。

 部屋の中にオルベルはいない。誰かと争った痕跡はなく、寧ろ綺麗に片づけられていた。もっとも何者かに襲われたのであれば彼女に抵抗する暇もなかっただろうが。

「あっちにも部屋が?」

 本棚の近くに見つけたドアを指差しながらグァルドがウィニに尋ねる。

「は、はい。あちらはオルベル様のプライベートなお部屋です。こちらは執務室ですので、寝食は大抵あちらのお部屋でおとりになります」

 それだけ聞くとグァルドはオルベルの私室に通じるドアへと素早く、それでいて慎重に歩を進める。そしてドアにへばりつき、耳をそばだてると部屋の中から何やらゴソゴソと何かが動く音と、オルベルが小さく呟く声が聞こえてきた。

『……これで最後。良かったあ、何とか隠しきれた……。それにしてもさっき大きな音がしたけどどうかしたのかな……?』

 声の調子から察するにどうやらオルベルは無事のようだ。特に誰かに襲われたということではないらしい。

 グァルドは警戒を解き、部屋のドアを軽くノックする。

『ひゃ、は、はい!!』

「俺だけど」

『グ、グァルド? い、何時からそこにおったのだ……?』

 オルベルは全く表の騒動に気が付いていなかったようだ。ドアを隔てて会話しているため、その姿をグァルドは見ることはできない筈だが、彼にはオルベルが慌てふためいている様子が容易に想像できた。

(……無理して堅苦しい言葉を使ったりしてるのがまだバレてないとでも思ってんのか、コイツは?)

『……グァルド?』

 彼からの返事がなかったことを不安に感じたのか再度オルベルはグァルドの名を呼ぶ。

「ああ、悪い。着いたのはさっきだ。部屋の前に着いたら中から怪しい物音がしたもんだから無理矢理入らせてもらったぞ」

『そ、そうか。それはすまなかった』

「別に謝られることはねえんだけど……。そんなことより入って良いか? ずっとドア越しで話すのもおかしな話だろ」

『あ、ああ。もう入ってもらって構わんぞ』

(もう……ねえ)

 オルベルの言葉に引っ掛かりながらもグァルドはドアを開いてオルベルの私室へと侵入する。

 彼女の部屋は隣の執務室同様、これまでグァルドが見たこともないような豪華な造りになっていた。

 部屋の大きさ自体はそれほど大きい訳ではないのだが、足下の絨毯は歩くたびに柔らかな反発を生じさせ、まるで雲の上を歩いているような錯覚を起こさせる。また、部屋の中央に置かれた天蓋付きのベッドはピシッと整えられた白いシーツにより清潔さをこれでもか主張していた。

「ど、どうだろうか?」

 そのベッドの上にちょこんと座ったオルベルがおずおずとグァルドに感想を求める。

「うん? 何が?」

『部屋の感想に決まってるでしょう……』

 察しの悪いグァルドに対し呆れたような声で彼女の質問の意図を教えるジュスティクス。

「ああ、そうか。……うん、良い部屋だと思うぞ。流石は魔王の部屋ってとこか」

「……それは……、良かった」

 明らかに良くなさそうに返事を返されたグァルドは困惑してしまう。語彙の貧弱な彼としては目一杯頑張って褒めたつもりなのだが。

「……ああ、ウィニ。ご苦労だったな。もう仕事に戻って良いぞ……」

「は、はい。失礼します」

 ウィニが部屋から出ていったことで必然的に部屋の中にはグァルドとオルベル、そしてジュスティクスの三人だけになる。何とも言えない居心地の悪さが三人を包み込む。

(な、なあ?)

(なによ?)

 余りの空気の悪さにいたたまれなくなったグァルドは小声でジュスティクスに話しかける。

(俺、何か悪いこと言ったか?)

(私は別に問題なかったと思うけどね。まあ、強いて言うなら当たり障りのない評価過ぎたってところかしら)

(? どういうことだ?)

(良い部屋だ、なんて誰だって言えるわ。もっとこうあの子にしか出せないところを褒めないと駄目ってことよ。……つまりこう言えばいいの)

 何事かをジュスティクスがグァルドに耳打ちする。

(なるほど……女ってのは奇妙なもんだな)

 ジュスティクスの助言で何かしらの答えを得たのか、納得したような面持ちで彼女との会話を打ち切る。

「……どうしたのだ? ここはもうそなたの部屋でもあるのだからもっとくつろいだらどう――」

「オルベル!!」

 グァルドはオルベルの言葉を遮って、彼女の名を呼び

「この部屋お前の良い匂いがして最高だな!!」

 と、グッと親指を立てながら、彼なりの最高の笑顔で言った。

 しばらくベッドの上でポカンとしていたオルベルだったが彼の言葉を脳が理解するにつれ、次第にその顔が朱に染まり始めた。

「な、な、な……!!」

(ふふ、こんな調子ならグァルドをこの子から引き離すのも簡単にいきそう……。問題はグァルドが勇者に何の魅力も感じていないところかしらね……)

 心の中で腹黒い計算をしていたジュスティクスだったが、その計算はオルベルの特殊性によってすぐに御破算になった。

「…………ありがとう」

『えええぇぇええええええええええ!!』

 あんなことを言われれば怒ると思ったジュスティクスの思惑は見事に外れ、オルベルはシーツで顔を半分隠しながら何とグァルドに礼を言ったのだ。

(この子はまともだと思ってたのに……。マズイわ、この部屋に二人も変人がいるなんて……ッ!!)

 ジュスティクスは部屋の中にいる常識人が自分一人だということを知り愕然とする。その間にオルベルの機嫌が直ったことに安堵したグァルドはベッドに腰掛けていた。

「場の雰囲気が良くなったところで、オマエにさっきから言いたかったことがあるんだけどさ」

「?」

 何を言われるのかまったく予想のできないオルベルは小首を傾げる。そんなオルベルを尻目にグァルドはずっと抱いていた疑問を言い放った。

「オマエ何でずっとそんな演技してんの?」

 場の空気が再び凍りつく。先ほどまでの空気の方がまだ幾分か居心地は良かっただろう。誰しもがそう思えるほどに一瞬にして部屋の空気が変化した。

「……何のことだ?」

 玉座の間のときとは異なり毅然とした態度でグァルドの質問の意味を問うオルベル。いまグァルドと対峙しているのは怯え震える少女オルベルではない。力こそないものの威厳を伴った魔王であった。

(伊達に魔王の血は引いてねえってことか)

 しかし、そんなことでは怯まないのがグァルドである。普通の人間ならいまのオルベルの態度を見て自分の推測が間違いだったと思うかもしれないが、彼は生憎と普通の人間ではない。

「ほれ、その口調。あとは態度もだな。違和感しか感じねえよ」

「…………」

 オルベルはグァルドの指摘に対して何事も返さなかったが、その澄んだ碧眼でグァルドを射抜くように観察していた。そして一分ほど経った頃であろうか。オルベルは諦めたように項垂れた。

「…………はあ……」

 そして、深いため息をつきながらグァルドに問いかける。

「やはり不自然だろうか? 私のような年端のいかぬ小娘がこのような口調で話すのは……」

「ああ、かなり」

「……そうか」

 どうやら相当ショックだったらしい。肩を落としいまにも泣きだしそうな顔をしている。

『ちょっと、魔王とはいえ女の子泣かせるなんて何してんのよ!?』

「いや、まだ泣いてねえし!! ていうかそういうのやめろよ、大抵そういうのが引き金になって泣いちまうんだよ!!」

 オルベルが泣きそうになったことに慌てたジュスティクスといきなり悪者にされたグァルドは醜い争いを始める。

『何よ、私のせいにしないでくれる? いままでずっと話してたのはアナタじゃない』

「馬鹿野郎、最後に背中を押したら少なくとも共犯だろうが!」

『あら、やっぱり自分が悪かったってことは認めるのね』

「…………ふふ」

『「?」』

 突如グァルドとジュスティクス以外の声が会話に入り込んだことで二人の口喧嘩は一時中断される。そして声のした方を見ると当然のことながら声の主はオルベルであった。

「ふふ、あははははは!!」

 部屋の中に響くオルベルの笑い声に一瞬呆気にとられたグァルドとジュスティクスの二人であったが、しばらくしてグァルドはオルベルに声をかける。

「そんな声も出せるんじゃないか」

「あ……、す、済まん、二人の会話が面白くてつい」

 グァルドの声で我に返ったオルベルは恥じ入るように頬を朱に染めながら顔を伏せる。

「口調を戻すなって。さっきの素の方が可愛かったぞ?」

『何処のホストの台詞よ……。まあ、その意見には同意するけど』

「い、いや……しかし」

 二人がそう言っても彼女にとっては元の口調を使うことには抵抗があるようだ。このままでは埒が明かないと感じたグァルドは彼女に直球勝負を挑むことにした。

「何か理由があるのか?」

「うむ。…………聞いて……くれるか?」

「それでオマエの口調が元に戻るんならな」

「……なら、やめておく」

「おいおい、冗談だって。聞くだけならいくらでも聞いてやるよ」

 数秒の沈黙の後、オルベルは少しずつその理由を話し出した。

「恥ずかしい話だが魔王という地位にいながら私には何の力もないのだ」

 ポツリ、ポツリと自分の胸の内を曝け出していくオルベル。

「それで……その、魔領には私が魔王に相応しくないと主張する者も少なくない。血と力その両方が宿ってこその魔王だと。無論、皆がそう言う訳ではない。しかし、私自身が弱い自分を魔王と認められないのだ」

 悲痛そうにそう告白するオルベルに二人は何も言うことができない。そうして黙っている間にも彼女の独白は続く。

「鍛えたところで祖父や父のように強くなることはできない。だからせめて立ち振る舞いだけでも魔王に相応しいようになろうと思ったのだよ。故にこの口調を変えることは私が魔王であることを自分で否定することと同義なのだ」

 彼女は胸の内に抱いていたものを全て吐きだすと顔を上げてグァルドと再び視線を合わせる。まるでそこに答えを求めているかのように。

『……そんな理由があったのね』

 ジュスティクスがそう感慨深げに呟く。聖君は魔王と違い世襲制ではないため、そのような悩みを抱く者を見たことなどなかったのだろう。

(魔王も意外と大変なのね……、って私がこんな風に感傷的になってどうするのよ!? 駄目駄目、しっかりするのよジュスティクス!!)

 彼女がそんな心の乱れに直面している間にグァルドも一つの感想を口にしていた。ただし、それはジュスティクスとは正反対の感想だった。

「馬鹿か、オマエ?」

 呆れかえったかのような声でグァルドは続ける。

「そんなの不細工な仮面被って魔王を演じてるだけじゃねえか」

『ちょっと、グァルド!!』

 余りの物言いに堪りかねたジュスティクスが諌めるように彼の名を呼ぶ。しかし、グァルドは止めようとはしない。

「そんなハリボテを誰が魔王として認めるかよ。少し考えればわかることじゃねえか。そんなんじゃ誰もついてこねえってな」

「…………なら」

 グァルドの暴言の数々に遂に堪忍袋の緒が切れたのかオルベルは先ほどとは違い怒りで顔を真っ赤にしながら怒鳴った。

「なら、私はどうしたらいいの!? 私はお祖父様やお父様みたいに強くなんてなれないんだよ!?」

 オルベルはそうグァルドに訴えかける。それが引き金になったのか彼女は大粒の涙をボロボロと流し始めた。

「そう考えるから馬鹿だって言ってんだ!!」

 負けじと声を張り上げながらグァルドはオルベルの肩を掴んで叫ぶ。

「オマエが強くなる必要なんてねえ!! ありのままのオマエについてきてくれるヤツを頼れば良いだろうが!!」

「そ、そんな人何処にいるって言うの!?」

 そうオルベルはグァルドに問う。彼女自身そんな人物はいないことを確信しながらも問わずにいられなかった。

 だが、彼女の目の前に入る男はそんな空っぽの問いに答えを与えてくれた。

「オマエの目の前にいる」

 予想もしていなかった答えにオルベルは涙が溢れる目をパチクリさせた。

「俺はオマエと契約したからな。オマエが仮面を剥いでくれるなら、俺の力を何度でも貸してやる。親父や爺さんに負けないぐらいの力になってやる。だから自分を殺すのは――もう止めてくれ」

 最後はまるで懇願するようにグァルドは呟き、オルベルの答えを待った。ジュスティクスはというと驚きのあまり声を出せないでいた。

(こんなに声を荒げるなんて……昔に何かあったのかしら? どうやらもう少し様子を見るべきかしら? この子を勇者にするにはもっとこの子のことを知らないとね……)

 そしてオルベルはというと。

「……本当に?」

 グァルドの言葉を信じられずにいた。

「……本当に私なんかに力を貸してくれるの?」

 オルベルはこれまで周囲が魔王らしく振る舞うことを望んでいると信じて口調を変え、態度を変えてきた。そうして本当の自分を殺して魔王という役を演じてきた。それは仕方がないことだと彼女自身も諦めていたことだ。

 しかし、もし本当の自分のまま魔王で在れたなら。

 芽生えた微かな期待を胸に震える手で肩を掴むグァルドの手を握る。

「……もう私は、私を殺さなくて良いの?」

 さっきとは違う涙がオルベルの頬を伝う。

「ああ、お前を殺そうとするヤツは俺が殺してやるよ」

 肩を掴んだ手を離し、力強くグァルドは答える。そして彼女が泣きやむまでの間、優しくその頭を撫で続けたのだった。


 この二人の会話を聞いていた者はジュスティクスのほかに五人。

 まず、一人は使用人としてこの城で働いているウィニ。彼女は部屋から退室した後、そのまま執務室で中の様子をうかがっていたのである。

 もし、グァルドがオルベルに対し粗相をしようものならドアを蹴破ってでも突入するつもりだった彼女だが、話を聞き終えたいまは一人感動の涙を流していた。

(オルベル様、ウィニはとても嬉しいです!!)

 オルベルが魔王として振る舞う前、つまりオルベルの父親が魔王であったときからこの城で仕えていたウィニは当然のことながらオルベルの口調、態度の変化に気づいていた。しかし、それがオルベルの、自らの使える主の判断であるならば従者である自分は何も言うまいと決めていたのだ。

 従者は主に意見せず、ただ従うのみ。それがオルベルを支える唯一の方法だと思っていた。だが、オルベルの真意を知ったいまそれが間違いであることに彼女はようやく気がついたのだ。

(これよりこのウィニ、本当のオルベル様、魔王様に誠心誠意お仕えすることをここに誓います!!)

 胸の前で拳を力強く握り、ウィニは一人ドアの前で宣誓する。

(他の使用人たちにもこのことを教えてあげないと……。みんなきっと喜ぶわ!!)

 ウィニのほかにメイドとしてオルベルに仕えている者は数多くいるが、その殆どがオルベルの父親が魔王であった頃からの古株なのである。そのためウィニと同じく心の中ではオルベルの変化を心配していたのだ。

 つまり、言ってしまえばこんなにもオルベルのことを心配している者がいたのにも関わらず双方が互いの気持ちに気づけなかったのは単純な気持ちのすれ違いだったということである。

(それにしても……)

 執務室から出ようとするウィニは先ほどのシーンを頭の中で再生する。

(はぁ……はぁ……、元の口調で泣きじゃくるオルベル様…………萌えーーーーーーーーーーーーーーー!!)

 そうしてウィニは鼻から大量の血を噴出しながらふらつく足取りで執務室を後にした。


 そして残る四人はオルベルの部屋の外、窓のそばでこの話を聞いていた。

「むう、魔王があんなに可愛い少女だったとは……恐るべし魔領!!」

「ヴェイン様、もっと声のボリュームを抑えてください!!」

「……セリアも、ね」

「あはは、みんなうるさ~い」

 ヴェインとセリアが意識を取り戻した後、ルーシェから現状を聞くと一行はグァルドと同じく魔王の城を目指して出発した。

 目的は二つ。グァルドから聖剣を取り戻すことと、魔王、魔人を倒すことである。

 そうして城に着いたとき彼らを迎えたのはグァルドに倒された魔人の屍と、城の中で何かが崩れる音だった。

 城の中でグァルドにより異常事態が引き起こされていると判断したヴェインは城外での待機という行動をとることにする。

 一刻も早くグァルドに追いつき聖剣を取り戻したいという思いもあったがいまの彼らには余り体力が残っていない。そのためヴェインのこの判断は無難であったといえよう。

 しばらくして体力が少しは戻ったところで偵察に出ると彼らの耳に何やら怒鳴り声が聞こえた。しかもその片方は聞き覚えのある声である。幸運にも声が聞こえてきたその部屋は何とか中に侵入できる位置にあったので警戒をしつつ近づいてみれば、その声の主はやはりグァルドであった。

 しかし、何やら声をかけれる雰囲気ではなかったためヴェイン一行は窓の外で沈黙を守り続け、現在に至るという訳だ。

「まあ、とりあえず魔王のことは置いておいて良いだろう。問題なのは聖剣をどうやって取り戻すかだ」

「……それは、さっきちゃんと、説明、した筈」

「グァルくんに言えば返してくれるよ~?」

 だが、二人がヴェインにそう何度も説明しても彼は一向にそれを受け入れない。彼がルーシェとアイノほどグァルドに良い印象を持っていないことを考えるとそれも仕方がないことではあったが。

「そんな簡単に敵を信じるものじゃありませんよ、ルーシェ、アイノ」

「……グァルドは、敵?」

「友達だよね~?」

 セリアもグァルドの言葉を信じたルーシェとアイノを嗜めるが、二人は顔を見合せながらそんな会話を交わす。そんな二人の姿を見て、セリアはため息をつく。

「まったく……、良いですか、二人とも? あの男は魔王の側に付いたのです。それはいま聞いた会話からも明らか。彼が魔王を守るというのなら、彼は私たちの敵でしょう?」

「……まあ、そうとも、言えるかも」

「あはは~、私よくわかんない」

「…………二人ともいい加減にしないと怒りますよ?」

 どれほど説明しても現状を受け入れようとしないルーシェとアイノに苛立ちを募らせるセリア。しかし、彼女の怒りが爆発する前にヴェインが三人の会話に口を挟んだ。

「構わない、セリア。そのときになればルーシェもアイノもちゃんと戦ってくれる筈だ。そうだろう、二人とも?」

「……それは、約束する」

「いいよ~」

「良い子だ。それでセリア、君には二人の教育係ではなく一つ仕事を頼みたいのだが」

「も、もちろんです!! ヴェイン様!!」

 ヴェインから直々に仕事を貰うことが初めてだったということもあり、セリアは少々アタフタしながらも彼にそう返事をする。

「そ、それでそのお仕事とは一体……?」

「なに、簡単なことだ。君には一度アラパコルの都に戻り、聖剣が奪われたこと、あの男が敵に回ったことを父上と聖君に伝えてほしいのだ。二人ともきっと私たちに力を貸してくれる筈だ」

 ヴェインを勇者に任命した現聖君ジュスティクス七世とヴェインの父親であるエリゼーは彼に多大な期待を寄せていた。その彼に託した聖剣が聖領の人間に奪われたとあれば彼らは聖剣を取り戻すための協力を惜しまないだろう。それがヴェインの考えであった。

「……それは……」

 しかし、セリアにはそうは考えられなかった。普通に考えればこれは明らかにヴェインたちの失態である。罰こそあれ、協力などして貰える筈がない。新たな勇者を選出する恐れすらある。

 故にセリアはヴェインの命に対してすぐに返事をすることができなかった。彼女はしばらく逡巡していたが、最終的には彼の命を遂行することに決めた。

(きっとヴェイン様には何かお考えがあるのでしょう。ならそれに従うのが私の役目)

「……わかりました。エリゼー理事長、聖君ジュスティクス七世様に現状を報告して参ります」

「うん、頼んだぞ」

 ヴェインのその言葉を最後に彼の視界からセリアの姿が消える。あとに残されたのはヴェイン、ルーシェ、アイノの三人。

「……ヴェイン、セリアが、帰るまで、どうするの?」

「忌々しい話だが、いまの僕たちではアイツには勝てない。しばらくはヤツと魔王、それに聖剣の動向を観察するとしよう」

「え~、そんなのつまんないよ~」

 アイノが頬を膨らませながらヴェインに抗議する。ジッとしていることが死ぬほど苦手な彼女にとっては拷問に近い仕打ちに感じるらしい。

「僕だってコソコソするのは性に合わない。何故こんなにも気品溢れるこの僕が隠れなければならないのか……。だがアイノ。いまは我慢のときなんだ、わかってくれ」

「う~」

 それでも不満そうなアイノの頭を撫でながら、なだめるようにルーシェも口を開く。

「……彼らの、動向を、観察するとして、その間、私たちは、何処で、生活するの? 魔領には、村なんてものは、ないよ?」

「それは――どうしよう?」

 勢いよく答えようとしたヴェインであったが、その勢いも束の間、すぐ困ったような表情でルーシェの方へと顔を向ける。

 当のルーシェはといえば

「……はあ……。……やっぱり、そんなことだと、思ってた」

 と哀れむような視線でヴェインを見ながらそう呟く。

「野宿するの~? 私野宿好きだよ~?」

「……アイノ、野宿しようにも、その道具が、ないの」

「あ~、そうなんだ~」

 生活の危機が訪れてもアイノは相も変わらず気の抜けた声でそう答える。それが彼女の愛すべきところでもあり、困ったところでもあるのだ。

「むむ、いきなり大きな問題が立ち塞がってしまったな……」

 眉に皺を寄せ、考え込むヴェイン。それを助けるかのようにルーシェが再び口を開いた。

「……仕方がないね、私が、何とか、する」

「おお!! 何か作戦があるのか、ルーシェ?」

「……うん、一応、ね」

「すご~い、ルーシェちゃん!!」

 二人に返事をしながらルーシェはすっくと立ち上がり、そしていままで殺していた気配を晒す。

 彼女のこの行動に焦ったのは他ならぬヴェインである。彼らはまだグァルドと魔王がいる部屋のすぐ外に隠れているのだ。こんなところで気配を晒せばあっという間に感づかれてしまうだろう。

「バッ、馬鹿者!! そんなことをしたら――」

 ヴェインが続きを言う間もなく事は起こった。

『えっ、何? ちょっといきなり何す―――――――――――――――――――――――』

 女性の声が響くと同時にヴェインとアイノの頭上にあった窓ガラスが突如粉々に割れる。落ちてくるガラスを二人は左右に飛び退くことで何とか回避することができた。

『――るのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 ガラスが割れたときに頭上を何かが凄まじい勢いで飛んでいった気がするがヴェインはそんなことに気を取られている場合ではなかった。

 今度は何か別のものが窓から放り投げられたからだ。それはよく見ると見覚えのある鞘であった。

「この……鞘は……?」


 窓の外に何者かの気配を感じてからのグァルドの行動は速かった。ようやく泣きやみ落ち着きを取り戻したオルベルを左腕で抱きよせ、残った右腕でジュスティクスを抜き放ち、その美しい刀身を露わにする。

「え、え、え?」

 いきなり抱きしめられ目を白黒させるオルベル。しかし、グァルドはそんなことはお構いなしに更に強く彼女を抱きよせた。そしてその態勢のままジュスティクスを大きく振りかぶる。

『えっ、何? ちょっといきなり何す―――――――――――――――――――――――』

 彼のその行為に若干の不安に襲われたジュスティクスが口を開いたときには、すでに遅く、グァルドは彼女を思い切り窓に向かって投擲していた。

『――るのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』

 続きを叫びながら窓を突き破り、まるで流星のようにその白銀の刀身を輝かせながら夜の帳の中に消えてゆくジュスティクス。

「ど、どうしたのグァルド?」

「窓の外に誰かいやがる。……いまからその面を拝みに行くけど、俺から離れるなよ?」

「は、はい」

 オルベルはそう返事をするとギュッとグァルドの服を掴み、その後ろに続いた。その前を行くグァルドは警戒を窓に一歩近づくたびに強めていく。

 そうして窓の側に辿り着くとグァルドは足を止め、ジュスティクスが収められていた鞘をベルトから外すと壊れた窓に向かって放り投げる。

 外に潜んでいるのがオルベルを狙った侵入者だとするならば、いま投げた鞘を護衛か何かと勘違いして斬りかかるなど何かしらアクションを起こすとグァルドは踏んだのだ。

 しかしグァルドも侵入者が声を上げるとは思っていなかったが。

「この……鞘は……?」

 鞘に反応して発せられた声は若い男の声だった。

(ん? この声どっかで聞いたような……。…………ああ)

 その声の主が誰なのかを悟ったグァルドは途端につまらなさそうな表情をする。その表情の変化を見逃さなかったオルベルはグァルドに尋ねる。

「グァルド?」

「ん?」

「どうかしたの? 嫌そうな顔をしてるけど……」

 オルベルがそう言うとグァルドは少し驚いたような顔をしながら、その質問に答える。

「いや、気にしないでくれ。どうやら俺の元学友が遊びにきただけみたいだから」

「?」

 グァルドの答えに新たな疑問を抱いたオルベルだったが、彼女がその疑問を口にする前にグァルドは大胆にも声をかけていた。

「おい、隠れてないで出てこいよ、ヴェ、ヴェ、……ヴェステルボッテン?」

「何だ、その何処かの国のある地方みたいな名前は!? 僕の名前はヴェインだと何度言ったら……あ」

 グァルドの言葉に反応し、身を乗り出すようにして現れたのは誰あろうヴェインであった。

「やっぱりオマエか」

 嘆息しながら間の抜けた顔で突っ立っているヴェインにそう声をかける。

「あはは~、私もいるよ~」

「……こんばんは」

 最早隠れている意味もないため、ルーシェとアイノの二人もひょっこり顔を出す。ちなみにオルベルはというと次々に見知らぬ、それも人間が現れたためグァルドの後ろに隠れてしまった。

「どうしたんだよ、こんな時間に、こんなところで?」

「どうしたもこうしたもない!! 貴様が僕の剣を奪ったからわざわざ会いに来てやったんじゃないか!!」

「……わざわざも、なにも、最初から、目的地は、ここだったと、思うけど」

「うるさい!! そんなことはどうでも良い!! 大事なのは聖剣だ!!」

 そう喚きながらさっきから手にしている鞘をめちゃくちゃに振り回す。

「そう、聖剣!! 貴様、ルーシェにちゃんと返すって言ったそうだな!? なら返せ、すぐ返せ、いま返せ!!」

「……グァルドが、返す筈が、ないって、言ってたのは、誰だったっけ?」

「あはは~、それはヴェイで~す」

「二人とも少し黙ってなさい!! それで聖剣はどこだ!?」

 そう言ってヴェインは後ろの二人を黙らせ、再びグァルドに迫る。その会話を聞いてやっとジュスティクスが借り物であることを思い出したのか合点がいったような表情を見せた。

「ああ、そういやそうだったな。ちょっと待ってろ、すぐに――、あ……」

「『あ』って何だ!? 『あ』って!?」

 グァルドの言葉に不安を感じたのかヴェインがそう問い詰める。

「いや、それがさっき思いっきりブン投げちまってさ。窓突き破ってどっかいっちまったんだわ」

「んなッ……!!」

 あたかも友達から借りた漫画本を紛失したような軽い調子でグァルドがヴェインに告げるとヴェインは驚きのあまり顎が外れたかのように口を開いた。

(……もう、そんな話を、するために、グァルドに、気づいて、もらった、訳じゃないのに。……まあ、話を、進めやすくは、なったけど)

 そう心の中で呟きながらルーシェは呆然自失としているヴェインを押しのけ、グァルドに向かって言う。

「……グァルド、一つ、お願いが、あるのだけれど」

「ん? 何だ?」

「……私たちを、しばらく、ここに、泊めて、くれないかしら?」

「ルーシェ!! 何を!?」

 グァルドがジュスティクスを紛失したということで茫然自失の状態に陥っていたヴェインが思わぬルーシェの発言で我に返った。

「……言葉通りの、意味だけど?」

「ふ、ふざけるな!! この僕にこのような庶民の世話になれと言うのか!? しかもよりにもよってここは魔王の城だぞ!? こんなところに泊まれるか!!」

「こ、こんなところでごめんなさい……」

 グァルドの後ろに隠れながらオルベルが泣きそうになりながら謝る。彼女的には怒っても何ら問題の場面であったが、彼女の気質ではそれは無理だったようだ。

「……ヴェイン、ちょっとこっちに」

「? 何だ?」

「ルーシェちゃ~ん、私は~?」

「……アイノは、グァルドと、お話でも、してなさい」

「は~い」

 そうして体良くアイノを追い払い、かつグァルドとオルベルの注意を彼女に向けたルーシェはヴェインに耳打ちをする。

(……何で、邪魔するの?)

(君が恥知らずな行動をしようとするからだ!!)

(……ヴェイン、これは、チャンス)

(チャンスだと?)

 ルーシェはヴェインの問いにコクンと頷く。

(……どうせ、彼らを、観察するなら、近いところで、観察した方が、良いと、思わない?)

(…………。そうか!! そういうことか!!)

 ルーシェの言葉にその顔をあくどい笑みで歪めるヴェイン。そのせいで端正な顔が台無しだったが彼はそんなことは気にもしない。

(そうした方がセリアが帰ってくるまでにヤツらの弱点を探し出せる可能性が高い、ということだな!? 良し、それならば……)

 ルーシェにそう確認するとヴェインは足早にグァルドへ近寄り、尊大な態度でこう言った。

「ふふん、良いだろう!! この僕がッ、泊まってやろうじゃないか!!」

「ふんッ!!」

「おふッ!!」

 奇妙な声とともにヴェインが吹っ飛ぶ。床に倒れ込みそうになるのを間一髪のところでアイノが彼の身体を支える。支えられた彼に既に意識はなく首と腕がだらしなく垂れ下がっていた。

「グ、グァルド!?」

 この行動に一番驚いたのはグァルドの後ろに隠れていたオルベルであった。ちなみにヴェインの護衛役のルーシェとアイノは落ち着いたもので既に彼を床に寝かせ、グァルドがデコピンをかました箇所に治療を行っている。

「こ、この人お友達じゃなかったの?」

「ん? いや、まあ友達みたいなもんだけど」

「だ、だったらどうして……」

「何か態度が腹立ったからとりあえず一発かましといた」

 そう言って親指を立てて、オルベルに今日一番の顔を向けるグァルド。その顔を直視した瞬間オルベルは再び顔を俯けてしまう。

(……ここまで怯えられると流石に泣きそうになるな)

 グァルドが複雑な気持ちを処理しているとヴェインの治療を終えたルーシェがグァルドに近づいてきた。アイノといえばヴェインの鼻の穴に綿棒を何本も刺し込むという何とも画期的な遊びに夢中になっている。

「……それで、どう? 許可して、もらえる?」

「ん~、俺に聞かれてもな……。聞くならオルベルに聞けよ」

 そう言ってグァルドの服を掴んで後ろに隠れていたオルベルの肩を掴み位置を互いの交代する。

「グ、グァルド……!!」

「大丈夫だって、別に噛みつきゃしねえから。それに万一何かしようとしても俺の方が迅いし」

「でも……」

 このままでは埒が明かないと感じたルーシェは渋るオルベルに対し、強引に話しかけることにした。

「……先ほどは、馬鹿が失礼しました。先ずは、お詫び、申し上げます」

「…………い、いえ」

 話しかけられては無下に無視できないのがオルベルの良いところでもあり悪いところでもあった。観念してリアとの会話に臨むことにしたようだ。

「……私は、ルーシェ=セプフィム、あちらの、女の方が、アイノ=リューノ、馬鹿の方が、ヴェイン=ディスプル。あなたは、オルベル=フィン=サーヴェンガルド様で、よろしい、ですね?」

「は、はい」

 堂々とした態度をとるルーシェと常にオドオドした様子のオルベル。どちらが魔王かわからなくなるような光景であった。

「……それでは、単刀直入に、お聞きしますが、先ほどの件、承服して、頂けますか?」

「…………」

 押しに弱いオルベルもこの頼みをそう簡単に聞き入れる訳にはいかなかった。いくら聖剣がなくとも彼らは魔王を討つことを使命とした勇者一行なのである。危険なことには変わりがない。

 しかし、オルベルは自分の肩を掴むグァルドに一瞬視線を向け、その顔に自信が満ち溢れているのを確認すると以前の彼女では決して下さなかったであろう決断を下した。

「い、良いです。魔王としてきょ、許可します。ジュスティクスさんが見つかるまでの間でよければ、お客様としてここに居てもらっても構いません」

「良いのか? こんな言い方したくねえけど一応敵なんだぜ?」

「う、うん。だって――」

 グァルドの目を見つめながらオルベルは言った。

「グ、グァルドが私をちゃんと守ってくれるんでしょう?」

 その言葉に一瞬キョトンとしたグァルドであったが、次第にニヤリと満足そうに笑った。

「違いねえ!! 良かったな、お前ら。泊まってって良いってよ」

「あはは、やった~」

「……感謝します」

「い、いえ。じ、じゃあ正門まで回って来てください。その間に部屋を準備してもらいますから」

「……わかりました。行くよ、アイノ」

「は~い」

 アイノは床に転がっているヴェインを肩に担ぎ、ルーシェに続く。

 先頭を行くルーシェの表情には変化はない。しかし、その胸中は様々な考えが浮かんでは消えていた。

(……それにしても、あっという間に、事が運んだなあ。やっぱり、ああいう、タイプの子には、誠実に頼むのが、一番だった。まあ、グァルドと、魔王の、弱点探しなんて、どうでも、良いんだけど)

 魔王はともかくグァルドに致命的な弱点があるとはルーシェには思えなかったし、そもそも彼女にはグァルドと戦う気は全くない。

 故にいまの交渉も単に雨風を凌げる場所が欲しかったに過ぎず、断られたら断られたで他の手段を講じるつもりであったのだ。

(……それにしても……)

 ついに彼女は一番気になっていたことを考える。

「……今度は、その子を、助けるんだね。グァルド」

 思わず口から出たその言葉は風にさらわれ彼女のすぐ後ろを歩いていたアイノは勿論、グァルドにも届くことはなかった。


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