第4話
精進落としも終わり、帰り支度をしていた一雄たち五人は、一雄の親父にロビーに呼ばれた。閑散としたロビーでは、龍くんに一雄、達樹たちの両親全員と、健太の母親が、膝までの高さのテーブルを挟んで座っている。龍くん以下五人も、無言で腰をおろす。
「じつは……おれたちのうち、誰か一人が最初に亡くなったら、おまえらに渡そう、って決めてたもんがあんだ」
龍くんの親父がブリキの缶片手に口を開く。
「あっ」健太が声をあげる。「屋根裏の、缶だ」
すっかり錆びたブルボンの菓子缶には「ゴレンジャー基金」と、マジックで書いてある。龍くんの親父が缶を開けると、郵貯の通帳とカード、印鑑が出てきた。龍くんは通帳を手に取り、頁を繰った。
「いち、じゅう、ひゃく、せん……うわ、何だよ。せん……千二百万円!?」
「おめえらに、やる」達樹の親父が言った。「名義は龍くんに、してある」
「そのために、積み立ててたんだ。昔っから。ひと家族、年に十万円ずつな」
「いっしょに何かでっかいことやったり、誰かが困ったりした時、使ってほしいと思ってたのよ。これから先も、貯めてもいいし」
赤い眼で龍くんの親父が言った。
「……これで、何すっぺ?」水戸駅まで一雄たちを送りがてら、通帳を手に健太が言った。「子供手当てみてえなもんか? これで子づくりやら生活費の足しにしろ、ってか?」
「それは癪だっぺ」達樹が憤って言う。「勝手なもんだ。団塊の世代は結局、自分たちの考えを子供たちに押しつけなきゃ、気がすまねえんだ」
「達樹、相変わらず反骨精神が旺盛だな」
龍くんがくすり、笑った。
それまでばらばらだった五人が、とにもかくにも年に一回だけでも顔を合わせる「基金」に使おう、それだけ決めて、五人は別れた。たしかに達樹の言うとおり、もう自分たちも親の言いなりになる、なれる年齢でもない。だらしなくても、それは変えられない。
九月に入り、残暑がきびしい最初の週末、達樹から一雄の携帯に電話があった。あの夏の夜失くしたサーベルが、健太の親父の遺品と共に見つかったというのだ。
「あの時廃屋にいたのは……おれの親父の伯父。つまりややこしいんだけど、おれたちの爺さんの弟だったんだって」
やや興奮ぎみに明かす達樹に、一雄はしばし絶句した。
達樹兄弟と龍くんの〝大伯父〟にあたる男性は満州から帰還してのち、左脚と右腕に受けた銃創のせいで傷痍軍人としてしか生きられない身となった。仕事にも復帰できず、放蕩の末に酒と借金まみれになったため、達樹たちの親は縁を切った。そんな彼を影で献身的に支えたのが、戦争で夫を亡くした幼なじみの女性で、裏山のあの廃屋に住んでいたという。若い頃、二人は互いに好意を寄せていたが、女が被差別地域の出身だったため、親族の強い反対で二人は表だって結ばれることはなかった。女が死んだ後、平屋は廃屋となったが、大伯父は老いて惚けてからも彼女の面影をしのんでか、ずっとその廃屋に暮らしていたという。達樹たちの親たちは、縁を切ってはいたものの、近所でもあるし、彼が亡くなるまで、何くれとなく気にはしていたらしいのだ。
「あの、おれたちが裏山に行った夜の翌週くらいに……その大伯父が突然、龍くんの親父を訪ねてきたらしいんだわ。珍しくしらふで。親父たちも彼の存在をおれたちに隠してたもんだからきまり悪くて、おれたちにも真相は言えない。どうしたもんかと相談の末、しばらく健太の親父がサーベルを預かるということになったけど、それきりになってたらしいんだ」
達樹はそう言って笑った。
「いきなり家に来るって、どういう心境の変化だっぺな?」
一雄は思わずつぶやいた。
「……何か思うとこ、あったんだろ。うすうす、おれたちが誰なのか、気づいてたのかもしんねえし」
「そうかもな。それにしても、あの裏山の〝怪物〟に、そんな人生があったなんてな。あの時のおれたちからすりゃ、世の中には『戦隊』か『怪獣』しかいなかったっていうのによ」
一雄は吹きだした。
「たしかに。戦争も経験してるし、山あり谷あり、すごい人生だっぺよ。今のおれたちより、数倍濃い人生を歩んでっかもな」
達樹は不意にしんみりとして、言った。
電話を切った後も、一雄の頭には達樹の最後の言葉がこだまして離れない。寝ようとした矢先、さらに携帯にメールが入った。また達樹からだ。
「こんど『中年戦隊』が集まる時、健太がサーベルを持ってくるってよ」
「『中年戦隊』か」
一雄はベッドに横になる。一雄の頭に、戦隊番組をいろどった数々の俳優・女優たちの顔が去来する。若い主婦と不倫して週刊誌に叩かれたヒーローもいれば、その後売れずヌードになったヒロインもいる。不治の病となり、クール途中で降板し亡くなったヒーローもいた。いずれのヒーローたちも、いつも一雄たちの成長の歴史の片すみに、より添うようにあった。しかしその変遷を目のあたりにしてうら哀しくなるのは、ヒーローたちが歳をとったことを見てしまうことよりも、自分たちが同時に歳をとっていることを思い知らされるせいかもしれない。一雄たちの親たちも、あの大伯父も、一時は、そのように老いや運命に反目したかもしれない。しかしいずれは時の流れの厳粛さの前にひざまずかざるを得ず、妥協をおぼえつつ日々を送ってきたはずだった。いま、一雄にもその気持ちが焦りとともに実感される。
――〝必殺技〟使うような、緊張感ある生き方ができねえもんかな。
酔生夢死の舞台を生きている気がして、何かきっかけが欲しくなった。
「まずはサーベル、ゲットすっか」
一雄は天井を見つめ、知らず声を出していた。
彼を怪訝そうに見て、妻が「気味悪い『おっさん』ね」と笑って寝返りをうった。
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