第三話 『強者の奇妙な集い』
「バカがッ! なんで訓練の時は機転が利かねェんだよ!」
「んなもんこっちが聞きてえよっ!?」
振り下ろされる左右からの斬撃を屈んでやり過ごしたかと思うと、合流した一対の剣がそのまま頭上から叩き落された。
とっさに剣をふるって防ぐが、片手が両手による威力を凌駕できるはずもなく、彼は為す術もなく組み伏せられる。
――嘆息ぎみに、本来双剣として使用すべきでない剣を鞘におさめ、バツが悪そうに苦笑するジャンに舌を鳴らす。
ディライラ・ホークは、そこでようやく理解していた。
「もうお前に教えることなんざ、何もねえよ」
決して強い、と言い切れるわけじゃない。
むしろ前回のキリとの戦闘での力を発揮していれば、剣術ではホークと同等かそれ以上で渡り合えるはずだった。
だが、元々ホークは剣術は達者ではない。だから、剣しか扱えぬジャンにとってはそれが当たり前で、そうでなくてはいけないものなのだ。
「見込みがないって事か……?」
訓練でボロ負けしてからの言葉は、どう好意的に受け取ってもそうとしか認識できない。
ホークはその言葉に、肩をすくめて首を振った。
「お前は、オレの教えを吸収しねェんだよ。だから、教えても意味が無い。この程度の運動じゃ身体も鍛えられねェしなァ」
幾多の戦いの中で生まれたジャン・スティールの色。それが、ホークが染めようとしている色よりも遥かに濃厚で、かき消されてしまうのだ。
あるいは、彼の色が混じって濁った灰色になり、飽和状態になったと言えるかもしれないが――先の一撃すら満足に受け流せぬ時点で、それはないだろう。
「――確かに、私の時と同様の意見ですな」
つい三週間ほど前にやってきたソレは、いつここに来たのか、傍らで憮然と腕を組み、頷いた。
漆黒を鎧う男。常に燕尾服姿で、だがこれで騎士だというのだから眉もしかめたくなる。
しかし、彼の強さは誰よりもジャンが知っていた。一度は戦い、幸運のお陰で勝利できただけなのだから。
「うっせ、吸血鬼野郎」
「貴君も口が悪いなぁ」
「オレが教えたわけじゃねェからな?」
「口調真似るほどガキじゃねえよ」
街の外の平原。
薄汚れ、ボロボロになった白い長衣を纏う不良者にも似た男に、燕尾服の男。そしてごく一般人らしい服装の青年の組み合わせは、傍から見ても異様だった。
これが世界的に有名で活発に動いている傭兵組合の隊長であり、以前は戦争行為にまで発展した国の騎士であり、特異な成り立ちで出来上がった騎士団の一騎士であることなどは誰にもわからないだろう。
ともかく、と反れた話題を修正するようにホークが口を開いた。
「倦怠期かもしれねェな」
「停滞期だろ。お前のプライベートと混ぜんな」
「ふざけんな、オレなんか女すら寄ってこねェよカス屑が黙ってろボケ」
「貴君は目付きが恐ろしいしなぁ」
私情で勝手に憤怒するホークを、呆れたような顔でウラドが頷く。
そうして日が暮れ始めた事もあって、その場は解散となった。
「ねえ、どうしてジャンがそんなに頑張るの?」
以前の、気まずい嘘から発展した”入浴介助”は、それからジャンの罪滅ぼしという形で密かに続いていた。
背中を素手で撫でるように洗いながら、タマは心から嘆くように口にする。
ジャンは幾度めかになる嘆息を噛み殺し飲み込んで、また幾度めかになる説明を、ごく簡略にしてやった。
「必要だからだよ。別に、おれだけが頑張ってるわけじゃない」
およそ一ヶ月前の、キリの暴走から事態は何一つとして進展していないのが現状である。
異世界からの訪問は依然として来ないし、こちらからも向かわせない。
そんな均衡状態は、おそらく図らずともキリの死を契機としたのだろう。
極めて安堵など出来ぬ平穏だったが、そのお陰である程度のスキルアップは望むことができた。そして、殆ど頭打ち状態であったことも、認識したくない所だったが、理解せざるを得なかった。
「何に必要なの?」
「いつか、絶対に必要になる時が来るんだよ」
――キリとの戦闘では、随分な迷惑をかけた。
あの状態を目にしなかった者たちは、なにも殺さなくても云々などと口をそろえて苦言を呈し、新米であるジャンを罵ったものだったが……。
実際には、力がなければ駆けつけた者たちは立ち向かう暇もなく命を散らしていたはずだ。
ホークが奇跡的にあの場に間に合わねば、イヴが殺害されて……それが結局、どういう結果を導くかは未だ予測が付かない。
しかしその結果を先延ばしにしたのは僥倖、と言えるのか。
それを判断するための情報は、未だ掴めては居ない。
「でも……報われない。ジャンより強い人達、いっぱいいるのに、みんなジャンに任せてる。この前だって……いつもそうだよ」
本気で、まるで自分のことのようにタマは心配してくれる。
そして図らずか、その手はいつしか猫のものに変わっており、後ろから無遠慮に抱きついて、その独特の柔らかさを持つ肉球を、肩口から胸へと下ろして押し付けた。
「おれがいつも、近くにいるからな」
あるいは、一番速いから。
許可もいらない。準備も必要ない。
だからこそ一番早く駆けつけられるし、だから敵も、一番最初に相手をしてくれる。
ただそれだけのこと。
「誰も任せたくておれに任せてるわけじゃない。ほとんど、おれの身勝手な行動みたいなものだしなぁ」
しみじみとつぶやいて、頷く。
背中に押し付けられる最上の柔らかさと弾力を持ったソレ、そして私的に最高だと言わざるを得ない胸を弾く肉球の感触に挟まれながら、贅沢なため息を吐いた。
「離れてくれ」
「やだ」
子供っぽく、ぷいっとそっぽを向く。
顔は腕を乗せる方とは逆の肩に乗せられたまま、密着している部位が無いほどの親密さで。
「だってジャン、この前の戦いでも死んじゃったんでしょ」
「し、死んでねえよ! 辛うじて息はあったし、あんなの、”姫さま”がでしゃばんなくたって、サニーで十分だった」
「意識は?」
「……それは」
言いよどむジャンに、彼女は追撃をする。
身体をよじり、さらなる密着性を高めるようにしながら言葉を紡いだ。
「ねえ、本当に自分が生きてたって意識があったの?」
彼女が知りたいものは無い。問い詰めるのは、彼を追い詰めるため。
己の、あまりにも軽視してしまう命の重さを再確認してもらうため。自分が、初めてなによりも大事だと思い始めている男に、男自身を軽く見て捨ててもらいたくないから。
「……ああ、悪かった」
その意図を理解したのかは、彼女にはわからない。
どうせまた口だけの、その場しのぎの言葉だろうと思って頬を膨らませて彼を一瞥する。
「死ぬわけには行かねえんだよ、どのみち」
苦笑してから、ゆるくにやける。それを想像していた彼女にとって、その引き締まった戦士の表情は、あまりにもイメージと差がありすぎて――どきりと、不意を突かれたように胸が高なった。
宙ぶらりんに垂れていたはずの右手が、気がつけばタマの頭を撫でている。
濡れた髪は色っぽく肌に張り付いているが、まったく水気のない猫耳が、ぴくぴくと小さく弾んでいた。
「ジャン……」
「お前の気持ちはありがたい。おれみたいなダメ男に、正直勿体無いくらいだ」
彼女の、極めて好意的な気持ちは、さすがのジャンも気づいている。
それがペットや友人などの関係を簡単に超越しているのはわかるが、その原因は未だに分からない。
もっとも、恋愛なぞは多くの場合が徐々に気持ちを寄せることから始まるのだろうが。
「多分、当分こういったことが続く。死ぬ訳にはいかないし、そんなつもりもないが……」
死にたくないからといって、だから死なずに生き続けられるというわけにもいかない。
人は、死ぬときは死ぬのだ。
だから、
「お前の気持ちを、裏切ることになるかもしれない」
それは結局、”どちらにしろ”である。
タマはジャンに、ジャンはあの女性に……気持ちはひたすら一辺倒で、だが交わりを見せない。
「……いいんだよ。ジャンが生きてて、こうして近くにいてくれるだけで、あたしには贅沢すぎるし」
「悪いな」
「謝ってばっか。それ、全然嬉しくないよ。お礼言ってよ、あたしみたいな美人にこんなこと言ってもらえるんだよ?」
「そうだな、ありがとうタマ。お前と居ると、いつも心が休まるよ」
入浴の時間を共にするのも、そういった精神的な面でも身近な存在だからである。
そうでなければ、相手がいくら美女であろうとも許可しない。もっとも、本来はタマでさえ許可すべきではないのだが……そこは、ペットということで目を瞑ろう。
「じゃあ、なんで抱いてくれないの?」
色っぽい声で耳に吐息を吹きかけるタマに、ジャンは「またか」とため息を吐いた。
「けじめってもんがあるんだよ」
「良いって言ってるのに? あんなに誘ってるのに?」
やれやれ、と立ち上がると、滑るようにタマが濡れる床の上で転んだ。
「のぼせない内に上がるわ」
「ああ、そうやってすぐ逃げて!」
「悪いな、タマ」
そういってさっさと浴場を後にするジャンを見送ってから、タマは嘆息し、湯船へと身を沈めた。
その中で膝を抱えるようにして、むっつりと頬をふくらませる。
「ジャンのばか」
甲斐性もなくて、他人の事考えてるようで、実は自分のことばっかりで……真剣に考えるのは、今から殺そうとする敵のことばっかりで。
なんで、あんな奴の事が好きになってしまったんだろうか。
自己嫌悪に陥りながらも、それをむしろ誇らしく思いながら――結局、頭がふらふらとし始める、のぼせ始めた所で、タマはようやく風呂を上がった。