8.再戦 下
強引に扉が開け放たれる音で目を覚ますと、床には拳で腹を貫かれたスティール・ヒートが横たわっていた。
鮮血の、酸っぱい匂いが鼻腔に突き刺さる。
明確な殺気が、目の前の男から発されていた事に気づいたのは、男が勢い良く腕を振り上げてからだった。
「イヴ・ノーブルクラン、貴様の愚行は無駄に終わる。何を考えていたのかは知らんが――」
「卿が前に居る者が誰か、存じての無礼か」
「小娘が、貴様はただの器にすぎん!」
「弁えろ! 卿らは所詮、権威を得た蛮族にすぎんのだッ!」
誇り高き血を受け継ぐイヴだが、プライドだけでは抗えぬものがある。
それは力の象徴たる父親と、その息子たち。彼らの一族は極めて高い戦闘能力を持ち、そして世界を統率するのは実質その力であると言っても過言ではない。
寝台に座るような形のまま、イヴは男を見上げて抗ったが――寝台の端を掴む腕は、床に着く足は、震えて仕方がなかった。
死にたくはない。
だがここで屈したくもない。
己を守ってくれる者は、目の前の魔人によって殺された。
――怯えきったその瞳を見据えられ、彼女の精神は極めて速やかに、崩壊の兆しを見た。
口内の悲鳴が溢れる前に殺されるか――そう考える間に、
「――あ、あなた誰ですかっ?!」
「邪魔だ、失せろッ!」
「い、きゃあ――っ!」
彼女の代替となる大きな悲鳴は、その瞬間に響き渡る。
そんなやり取りは、開け放たれた扉の付近で行われていた。
そうして飛び出してきた一閃が、キリの表情を苦渋にしかめさせ、あまつさえ彼女から身を引き、後退させた。
「貴様……ディライラ・ホークッ!」
「薄汚ェ口でオレを呼ぶんじゃねェッ!」
なぜ、と続く言葉をつぐみ、キリはたたらを踏んだ。
追撃を選ぶホークは、彼の発言を許さずに深く踏み込み、長剣とも言えるその剣を振るう。
右腕を上げて装甲で弾く。受け止められた長剣は、甲高い金属音を鳴らして動きを遮られるが、
「ッ!」
暗がりの中、迫るホークの脚が腹部を蹴り飛ばす。
喘ぐ悲鳴。振り回す腕は、力任せにホークの剣を掴み上げたが、空いた手に握られていた拳銃が、既に胸元に照準されていた。
乾いた、控えめな発砲音。
飛び散る火花を契機に、空間を眩い輝きに飲み込んだ爆炎が、衝撃波を周囲にぶちまける。
天井を焦がし、イヴは小さな悲鳴を上げて寝台の向こう側へと避難した。
「くそ鬱陶しい!」
キリの振り下ろす拳撃は、だが宙空を貫いた。彼はその勢いを利用して前転、ホークから見事逃げ出し、廊下へと脱出した。
ホークはそれを追って部屋を後にし――残されたイヴは、ただそれを呆然と見守ることしか出来なかった。
ジャン・スティールが、キリとイヴ・ノーブルクランの関係性をそこはかとなく推測できたのは、いよいよ対峙しようとした時の事だったが、
「ジャン、ここは駄目だ」
ホークが立てる作戦に耳を傾けている間に、半ばどうでも良くなっていた。
「奴は確実に外に逃げる」
突き立てた親指は、すぐ左手側の窓の外を示す。
そこには、城から門までの広い庭。廊下のような一本道でもなく、また特に目立った障害物があるわけでもない。
純粋に速度を自信に持つキリにとっては、絶好の状況だと言えるだろう。
「だけど、ホーク」
ヤツには弱点がある。
そう告げようとした所で、前方からガラスの砕ける音が耳に届いた。
煙に満たされ始める廊下内。
大長槍の銃口は既に窓の外を照準しており、
「それは無いな」
ジャンの言葉を予測したように否定した後――火を吹いた銃口は、窓を粉々にして庭に降り立ったキリを撃ち抜いていた。
だが魔人はただすっ転ぶだけで、ダメージを受けたような様子すらない。
普通の人間ならば、その上肢すら粉々に吹き飛ばされるほどの威力を持つ弾丸を受けて、である。
「ヤツは小回りが利くぞ」
「なら、そこを利用しよう」
ジャンが告げる。おそらく、今のままでは勝てない。
だから、もっと確実に太刀打ちできぬ強さになった所で、一度だけチャンスを作ってやる。
信頼するようにホークは青年の肩を叩く。無骨な手は、幾度ともなく死線と修羅場をくぐり抜けたものだった。
「正直、ここまでお前に期待していたわけじゃないんだがな」
背中の魔方陣を展開したまま、ジャンは朝の冷え切った風が差し込む大口を開けた窓に身を乗り出した。
「あんたはここで」
「お前はあすこで」
――ヤツをぶちのめせ。
声は重なり、その余韻を払拭するようにジャンが飛び降り、着地までの安全を保障する為の発砲音が早朝の城下町に響き渡った。
「俺を殺すらしいな」
あの爆発の海に飲まれても尚、無傷を貫く男はその黒い複眼をジャンに向けていた。
「推測じゃねえよ、確定した未来だ」
「なぜ俺を狙う? 初対面のはずだが」
「初対面なら、単純にてめえが気に食わねえ。それ以外の理由が必要か?」
理解出来ない現状を解消するように、キリは鼻を鳴らし、肩をすくめてから腰を落とした。
「要らないな」
「不思議だな、意見が合致したのに」
――全然嬉しくねえ。
呟きは両者の胸中で溢れるばかりで、何の合図も無しに、二人は共に駆け出していた。
迫る影に振り下ろす一閃。
手応えのない一撃が虚空を切り裂き、突如として膨れ上がった気配は横から現れたが――ワンテンポ遅れて振り薙がれた刃が、無防備な横腹に直撃した。
さらに落とした一撃を、回転するような足さばきで横腹の剣に重ねて吹き飛ばす。
だが男はたたらを踏むばかりで、完全には体勢を崩さない。
――発砲音と共に、喉元に弾丸が食い込んだ。が、そこにも装着されている装甲が、彼の即死を防いでくれる。
鈍い悲鳴を上げながら後方へと滑るように押し返されたキリへと、ジャンの追撃が襲いかかる。
攻撃の余地を与えない。
流れるように自然な一閃、二閃が叩きこまれ、防がれた所を弾丸が打ち崩す。
そうして無防備になったところへ再び斬撃。
繰り返す攻防は、既に防がれる内にジャンの両腕が痺れるほどだったが、それもまた限界を超える強化を施せば気にならなくなる。
そうして幾度めかになる斬撃は――辛うじて、男の胸部にニ連続の攻撃を与えられた。
忌々しく舌を鳴らす男は僅かに数歩後退し、また続く攻撃を防ぎ始める。
「鬱陶しいッ!」
徐々に押していた均衡は、不意に爆発した咆哮によって無に帰す事になる。
「クソが! この程度で俺に勝てると思っていることが、本気でそう信じていることが何よりも気に食わんッ!」
眼の前に剣を振り下ろし、即座に横へ飛び込むように回避。
その直後、背後から振り下ろされる拳が、まるで鉄球をたたき落としたかのように大地に亀裂を刻み込んでいた。
その大きく現れた隙を狙って撃ちぬかんと放たれた強靭な弾丸も――振り返りざまに払う裏拳が、金属製のボトルキャップほどの大きさに変えていた。
「こ、殺すっ!」
そう意気込んでは見るジャンだが、
「ならばとっとと殺してみせろォッ!」
振り上がる蹴りが咄嗟にガードした腕に直撃し――幾度も聞いた、もう二度と聞きたくない鈍い不協和音を体内で響かせる。
ジャンはそのまま弾丸のように吹き飛んで地面を弾み、城壁に叩きつけられてその勢いを殺した。
「強いならまだいいがな、雑魚が粋がるんじゃねえッ!」
――パン、と乾いた発砲音。
敢えて無防備なままであるキリの背中、その分厚い装甲を豆鉄砲が叩いた。
弾丸が爆ぜる。
煙が彼の姿を飲み込んだ。
だが、キリにとっては火花が散る程度の衝撃であり、それがダメージになり彼を苦しめることは一切ない。
「同意見だな」
二階の廊下から、拳銃を構えるホークが不敵に笑い――。
前方から、城壁を砕き巨大な穴を穿った青年は、その背から凄まじい勢いで光輪を排出しながらキリへと迫り、煙を一刀両断に引き裂いてみせる。
だが振り下ろした二本の剣を、目の前で受け止められながら、頬の肉が攣るほど笑った。
「だったら、さっさと、殺してみせろよ」
取るに足らぬ雑魚と認識した二名の、尋常ならざる、狂気じみた挑発に――キリの中で、何かが決定的なまでにぶち切れた。
――その契機は彼らの挑発だったが、原因はキリの脆弱な精神構造にある。
元来、到底勝ち目もない戦いにこそ燃え上がるニ名は、叩き上げでこの世界を生き抜いている。
対してキリは、生まれた瞬間からヒエラルキーによって立場を決められている。生まれの早さで地位が絶対的に決まっているという事は決して無いが、上から下へと流れる戦闘技術の継承は、だがしかし、伝統工芸のようにまともに教えられるわけがない。
自分より強くなられては、自分が困るからだ。
だから下に行けば下に行くほど技術の純度は下がり、それを本能的に悟る者らは自己流で補うが、既に”最強”とされている強さに、いくら”最強”の血を引き継いでいても最高純度を持つ者に自己流で敵うわけがない。
末弟ならばなおさらだが、故に末弟だからこそ、それを仕方なしと納得できる。
だが彼にも、彼なりの下がある。部隊の作られた部下たちや、虐げる民どもだ。
そしてその下位が上位に抗うことは決して無い。彼のように、ヒエラルキーを身に染みて理解しているからである。
だからこそ、彼はそんな下克上を初めて味わうことになっていた。
男が願うのは、力で敵わぬがゆえに、その力を受けぬような速度。
そして元来の身体能力から、その速さはおよそ末弟という位置には似つかわしくないほどの実力を持っていたが、
「快速流星」
彼が持つ魔法――固有の能力は、既にその全てを凌駕した。
その速度は、肉体の頑丈さも合わさって凄まじい攻撃力を持つ。
だが――彼が名付けるのは流星。つまり流れ星。
「貴様らには手も届かぬ速さ、見せてやる」
その声は既に、姿を消した男から発されたものであった。
「くっ、そ――最大出力、最大放射、限界突破」
咄嗟に、おそらく反射的に己の全てを吐き出さんと機能を、肉体を強化する。
ここが瘴気に満ちた場なら五分は余裕で保っただろうが、この場ならばやはり三分弱。
だが問題は”それしか続かない”のではなく、”三分も戦えるのか”というところである。
影が見える。
すぐに剣を構えるが、拳撃はあらぬ方向――背後から脇腹を抉るようにして振り抜いていた。
肋骨が木っ端微塵に砕け散り、破片がことごとく内臓に――突き刺さらない。凝固する筋肉がそれを許可しない。
しかし何よりも驚いたのは、己の全てを吐き出しても尚、男の姿が影でしか捉えられないことであり、
「ぐっ……ははっ、今のでも殺せねえのかよ!?」
手加減しているはずもないのに、今の一撃は、おそらく『快速流星』の発動前とさして変わらぬ攻撃力であったこと。
「間抜けが、通過点の攻撃で死なれたら、命がけの挑発が意味を失うだろう?」
「力が足りねえだけだろ、粋がんなよカス」
「クズがほざくなよ雑魚がァッ!」
まさに縦横無尽。
上から頭部を叩き落す攻撃から始まり、頬を、脇腹を、水月を、下腹部を、肩を、顎を、一秒に満たぬ時間か、それは単なる主観時間で既に数十秒も経過しているのかは定かではない。
だが攻撃が一撃終える度に、その破壊力は増していく。
集中豪雨、その凄まじい攻撃の嵐の中で、強化に強化に強化を重ねた青年の肉体は、為す術もなくボロ布へと変えられていく。
ただ一度の、勝機を図りながら。
ぐにゃぐにゃに、やがて筋肉が支えを失ってゴムのようになる。
それでも己が生きている事が、もはや奇跡だった。
――だがわかる。
この男の、本当の狙いは掃いて捨てるほどいるこんな雑魚などではないということを。
だから、
「阿呆がッ!」
蹴り上げられた青年は、まっすぐ一直線に、廊下で待機するホークへと吹き飛んだ。
既に声にならぬまま、唇は術を紡ぐ。
――天駆ける馬の翼よ、空間を統べる者よ、我が声を聞き、我が言葉に耳を傾け、我に力を貸し給え。
発動する魔術はただ一つ。
変速転移。
その瞬間、飛び上がろうと無防備な体勢にあるキリとジャンとの位置が、強制的に交換されて――。
一度はジャンがニ撃を入れた。
だから、次は彼の番。本来は彼がすべて片付けるべき敵だった。
複眼が、勢いの無い無防備なまま宙空に放りだされたキリが、目の前の銃口をただ見つめた。
「あばよ」
引き金を弾き、銃撃。
けたたましい発砲音が響き渡り――魔人の頭が、粉々に吹き飛んだ。
この国に招かれた、招かれざる客は、結局のところ『戦闘種族としての暴走』という所で落ちをつけた。
イヴ・ノーブルクラン、そして戦闘が終える頃には傷が完治したスティール・ヒートの証言からキリが殆ど理性がなく襲いかかってきた事が事実として刻まれ、また容易に激昂したことから、精神的にも不安定だ、という事が前者を補強した。
ジャン・スティールは”二度目の死”を味わい、イヴの救済を経て息を吹き返す。
しかし、今回の事件を契機にしたように――僅か数週間ばかりの平穏を置き、また命を削る戦いが始まろうとしていた。