5.砂漠戦 下
幾多の戦場をくぐり抜けた男の感想は、いつでも「ぬるい」の一言だった。
それ故に、彼の部隊は各国を巡り軍隊に教える立場である『教導』の役割を持っている。
己より強き者、己を追い詰める者はこれまでで少なかったが、それでも楽というものは決して無かった。
されど、一度極めたその力を維持するには、常に高みを目指さねばなら無い。だが彼の場合、仕事の関係上その暇は皆無といえた。
「温い!」
男の拳撃が、即座に盾に構えた長銃の横腹を殴り飛ばす。その瞬間に銃は砕け、そしてそれは破片を撒き散らす事なく魔力に戻って霧散した。
――意気揚々と攻撃を仕掛けてきた敵が、これほどまでに生ぬるい実力の持ち主だと彼は理解するや、失望を禁じ得ない。
少しは歯が立ちそうなものだと思ったが、まるで素人だ。勘が鋭いようだが、身体がついていっていない。
「無限射程の――連撃ッ!」
――淡く輝く魔力が、長銃から長方形に変形する。それは瞬時にして実体化し、黒光りする短機関銃としてディライラ・ホークの手に握られた。
折りたたまれた銃全長ほどの長さがある金具を引き起こして肩に押し当て、照準、発砲。
けたたましい音をがなりたてながら連続する無数の鉛弾が、僅か数秒で数十発と男の身体に叩きつけられる。そうして着弾した先から火炎を噴き、爆ぜる。
男はそれを一身に受け、やがて爆炎と硝煙に飲み込まれて姿を消した。
「――短槍」
ホークは舌打ちをしながらスコーピオンをかき消し、同時に両手に拳銃を握る。
大口径の自動拳銃。撃鉄を引き起こし、油断なく引き金を弾き続ける。
火花が散り、聴覚を麻痺させるほどの発砲音が、腕が疲弊しきるほどの衝撃が連続して砂漠に響き続ける。
既に奇襲が失敗した現在、敵に攻める暇を与えずに倒しきらねば――。
残弾がゼロになった弾倉を射出し、宙空に横になって出現した弾倉を、拳銃で薙ぎ払うようにして装弾。
やや距離を詰めながら、また弾丸を打ち込み続け、
「――大長槍ッ!」
短槍と入れ替わりに、身の丈を超える長銃を、彼は抱いた。
大きさこそ魔人を狙撃した銃と変わらぬが、だが長槍とは異なる厳つさは、彼が持つ小火器類で最大の攻撃力を誇っていた。
肩で息をして、全身から流れる汗をそのままにホークは大きく息を吐く。
硝煙、爆煙はやがてゆっくりとした速度で晴れてくる。
その中で、依然として立ち尽くしている影は――、
「俺をばかにしているのか?」
無傷だった。
正確には、彼が最初にえぐった装甲の傷のみである。
「初期の長物。あれで俺の身体を傷つけるのがやっとだ。だというのに手数だけの威力に劣る攻撃で、おれがどうにかなると思っているのか?」
痺れ、殆ど感覚のない腕にむち打ちレバーを引く。格段に抵抗の強いそれは、相応に敵を射ぬいてくれる――そう盲信しているわけでもないのだが、
「思ってなかったら、やってねェだろ。馬鹿かクソが」
カチリ、と弾丸が装填された。
「貴様には失望した」
「オレはてめェに期待すらしてないがな」
引き金を弾く。
だが予想していた衝撃がない。火花が散らない。男がのけぞらない。
安全装置は外してあるはずだ、なのに――疑問が頭の中を埋め尽くす中で、彼は根本的なことに気がついた。
己は未だ引き金を弾いておらず、さらにはそれをする握力が失せていた。
銃を支える腕が震え、息が詰まる。
額から流れた汗が頬を伝い、顎から滴る。
男は憮然と嘆息した。
「貴様、本気か?」
呆れを通り越して、これは笑い事だ。肺腑から息を吐くと共に、思わず胸が弾んで笑ってしまう。
この男は諦めては居ない。
だがその肉体は、キリと接触してから死に体だった。もはや戦える身体などではなかったのだ。
力尽きるのに時間差があり、それが唐突に今来たということ。ちょうどそれが、出し惜しみして、奥の手のような武器を今使おうとした時というだけのこと。
言ってしまえば運がない。
「……俺以外に魔人がこの世界に来ただろう、死ぬ前に吐いていけ」
もはやその程度の使い道しかないだろう。
キリは微動だにせぬホークへとそう言葉を投げるが、彼は震えるばかりで動きさえしない。
黒い複眼に恐れているのか、己が諦めてしまう事を――つまり死ぬことを恐れているのか。
定かではなかったが、興味もなかった。
もう少しいたぶってやろうか――。
思考は停止する。
つんざく発砲音が、深々と胸に突き刺さっていた。
呆けた顔で男は大きくのけぞった。それどころか姿勢を崩し、そのまま砂を散らしながらその場に倒れ込んでいた。
それもそのはずだ、その攻撃力は彼を狙撃した銃の比ではない。
――肩が脱臼したのか、声すらでない激痛が彼を苛む。
だがその代わりに、キリは破壊の権化であるニ十センチの弾丸をその身に受けたのだ。
「くっ……舐め、やがって」
だが侮ってくれたお陰で一矢報いた。
意識が薄れていく。緊張がぷつりと途切れたせいで、いくらか鈍っていた痛みが際限なく膨張し始めた。
脳が圧迫されるような気分の中で――ディライラ・ホークは、ゆっくりと膝を崩し、
「素晴らしい」
戦慄した。
むくり、と男は起き上がる。
まるでなんでもないように。その胸の、急所であろう位置に穴が穿たれただけで――それがどうしたと言わんばかりに、彼は立ち上がる。
「なるほど、必死に引き金を弾こうとしていたわけだ」
くだらんとは言わん。
ただ、
「健気だな」
そんな言葉に、ホークの目は見開かれた。
「な――ンだと、てめェ……ッ!」
侮辱するのか、オレが命を賭した一撃を。
てめえはそうやって、弱者だからと嘲笑、一笑で済ますのか。
「いや、もういい」
虐げる者の目は、口元に笑みすら携えない。
ただ見なおしたと――捕食される寸前の動物が、最後にあがいたのを見て満足するような顔で、ホークを見下ろす。
もはや装弾する力すら無いだろう。
なぜ己の魔法なのに、そんな使い難いものを具現化するのだろうか。無駄言を考えながら、キリはゆっくりとホークへ迫る。
「雑魚は黙っておけ」
「雑魚、だと……オレが……ッ?!」
「耳までやられたか」
いや、とほくそ笑む。だがそれはやはり嘲笑だ。決して微笑むものではない。
「頭か」
「ゆるさねェッ!」
「貴様に許しを乞うつもりなどないが」
怒りが活力となったのか、深淵に引きずり込もうとしていた無数の腕を引き払い、男は膝をついたまま、力の限りレバーを引いた。
容易く弾丸は装填され、無事な右肩に銃床を押し当て、発砲。
だが破壊の権化は虚空を貫いた。
言っただろう――声が聴こえる。
「遅すぎる」
キリは既に、背後へ回り込んでいた。
振り上げた蹴りは、だがその寸前で倒れこんだホークの頭上を通過した。
寝転がり、銃を持ち上げる。装弾し、背後へと振り返る。
だがその頃にはやはりキリの姿はなく、立ち上がる砂煙しか認識できない。
速い。
銃の重さに思わずよろけ、地面に向けて引き金がはじかれる。
砂が巻き上がり、にわかな目くらましとなるが――、
「運も尽きたな」
不敵な言葉が、真横から響き、
「てめェのな」
不敵な笑みが、思わず零れた。
大地を穿った弾丸が足元に迫るのを、彼はその弾丸が足裏に触れたのを感じてから理解した。
カチリ、と不穏な音がする。
気がつけば、胸ににわかな重さがのしかかっていた。
足元で膨れ上がる衝撃。そしてニヤケ面の雑魚。
魔人が抱いた感情が、恐怖なのか驚愕なのか判然としない。
されど最後に感じたのは――この弱者は、あるいは強者なのかもしれない。
それを踏まえて、雑魚と侮らせていたのならば……。やれやれ、この”敗北”に”納得”がいってしまうのが、悲しい事だ。
胸を貫く弾丸の発砲と、一帯を満遍なく灼熱に包む大爆発は、およそ寸分狂わず同時に巻き起こっていた。