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地下の呪い ~学校の七不思議1~

 まさか、地下室というものが本当にあるとは思わなかった。

 ジャンは、及び腰のタマを肩に乗せて、食事が終わり次第教室を飛び出していた。

 向かう先は、校舎裏。地面に埋め込まれている床収納庫の扉のような蓋がある、焼却炉から程なく近い場所だ。

 今ではその蓋は開け放たれていて、よく見れば『封』と書かれた紙が半ばから黒い炭に変わっているのがよくわかる。

「またなんでこんな所に……」

「だ、だって怪しい匂いがプンプンしてたのよ? 行くっきゃないじゃない」

「ていうか、なんで学校に?」

「いい加減暇だったのよ」

 すまし顔でタマが言った。

 面倒事を持ってきたというのにこの表情である。手馴れたものなのだろう。

 が、ジャン自身興味がないわけでもないし、まんざらでもない。だからまず教員を呼ぶより、先に自分で確かめたかったからここに来ていた。

 護身用に持ち歩いている短刀を腰のベルトにくくりつけて、下りの階段となるその中へと足を伸ばした。

 明かりには、魔石を使用した技術の粋である携帯式の電灯がある。筒状になり、先頭に装着した魔石が僅かな光を吸収して増幅、そして切り替え装置によって点灯を操作できる。

 人造の石材で塗り固めてある階段や壁、天井は冷たく、中に入るだけで空気の冷え込みを感じることが出来た。ジャンはそれから、ポケットから電灯を取り出して付ける。と、十数段の階段を下りた先にある通路の奥。硬く閉ざされていたであろう鉄の扉が半分だけ、口を開けているのが見えた。

 長い間人が踏み込んだような形跡は無く、通路の床にはタマの足あとだけが残っている。

 鼻を突くような腐臭にジャンは袖口で鼻を抑え、階段を降りてから、少しばかりそこで立ち止まった。

 ――扉の向こう側に、強い気配を感じる。

 それが、彼女が言っていた触手なのだろう。

 だが、触手があるとなれば、それを操る、その元になっている存在があるはず。しかしなれど、長い間人が寄らないこの地下で、果たして生存していられる生物などが存在するだろうか?

 さらにこの、騎士養成学校の敷地内にあるというのにも疑問が生まれる。

 封印されていた、と考えられるが、なぜこの場所に。そしてまた、それはどのような姿なのだろうか……。

 疑問は重なり、解消されない。

 ジャンはその淀んだ空気を衣服越しに吸い込んでから、小さく頷いた。

「行くぞ、タマ。準備はいいか?」

「あたしはできてる」

「よし……!」

 タマはジャンの首元に顔をうずめて待機する。

 彼は重い一歩を踏み出して、さらに一歩、もう一歩……そうやって、やがて扉の前へと近づいた。

 電灯を持つ手で、扉に手を掛けると――。

『だれ……?』

 淀んだ空気に鈍く伝播する声音。

 声帯を潰されたような、醜悪な声。

 だがそれは確かな言葉となって、ジャンへと投げられた。

 思わず腰が抜けそうになる。高鳴る心臓が今にも破裂せんとして、ジャンはそのまま扉を掴む腕に寄りかかるように停止した。

 ――言葉が通じるのか?

 臭気がより強くなるのを感じながら、ジャンは考える。

 異人種なのだろうか。

 人と同じ程度の知能を持つ生物。さらに触手を持ち、長い間地下空間で生きながらう事ができる生き物……少し考えても、それがなんなのか、ジャンの頭の中に該当する存在はない。

 しかし異人種だ。人間側からしてみれば、ある意味何でもありのような生物である。

 これまで人間界に、表面上でも溶け込んできたのは、この世界にそもそも存在している生物と同化したような異人種だ。たとえば獣、あるいは植物、軟体動物、爬虫類。種類数多で、恐らくまだ見ぬ種族もある。

 その中に、こういった生き物がいても、なんら不思議ではない。

 この世界の科学が通用しないのだ。ありうる話である。

 ジャンは息を飲み、少しだけ考えてから、口を開けた。

 顎が震える。足がガクガクと揺れる。これが恐怖ゆえなのか、興奮ゆえなのか、自分でもよく分からない。

「か、勝手に入ってすみません。あの、気分を害したのでしたら、すぐに帰りますので……」

『……だれ?』

 果たして言葉に返答はやってきたが、それは会話として成り立たない。

 あるいは。

 彼は考えて、ようやく告げる。

「ジャン・スティールです。この学校の、一年です」

 ――言ってから、少しだけ後悔した。

 こう言わなければこの場を乗り切ることは出来なかったかもしれない。だが、噂に寄ればこいつは『呪い』だ。名前さえあれば、人を殺すくらいなんでもないかもしれない。そんな存在、権化なのかもしれない。

 そうだ。生物である確証などもとより無かった。

 魔術によって生まれた意識のある何かなのかもしれないし、科学によって作られた何かなのかもしれない。何よりもこれを生物と断定するにはあまりにも情報が少ないし、早計すぎた。

 早まってしまったか……そう考える最中に、扉の隙間から何かの陰が現れた。

 ぬるりと粘膜をまとわりつかせる、一本の流線型の何か。くすんだ紅い色はむき出しになった真皮のようだが、鮮血が漏れる様子はない。触手と呼ばれるそれは、その身を起こすとやがてジャンの膝くらいの高さにまで持ち上がった。

『きて……』

 鈍い声音は、触手の手招きと共に発される。

 それは幾度か頭をさげるように手招いてから、ヌルヌルと蛇が這うように部屋の中へと退いていった。

「行くの?」

 首に抱きついて目を瞑ったままのタマは、小さな声でそう訊く。

「行くしか、ないだろうな」

 既に選択肢というものはないような気がする。もう巻き込まれてしまったのだ。こうすることは、仕方なの無いことなのだ。

 ジャンは大きく息を吐いてから、扉の隙間にその身を滑り込ませるようにして、空間の中へと入っていった。

 

 中に入ると、まず床の感触が途端に変わったことに気がついた。

 分厚い苔の上に立つような感覚。不安定で、ぬめり、そして歩けばぬちゃぬちゃと粘液がすれ合う音がする。電灯を床に向けると――肉のような何かが、一面に敷き詰められていることがわかった。

 それだけで腰が抜けそうなのにもかかわらず、教室ほどの広さを持つその空間の中央には、巨大な柱のようなものがあった。

 包み紙でアメを包んだように、中央部はやや膨らみを持つ。そしてそれは、まるで心臓のように鼓動していた。床は主に肉で埋まり、また小さな触手が刺激に反応して現れる。いわば、腸絨毛のようなそれらだった。

 さらに壁には蔦が這うように、触手や肉がこびりつく。その全ては蠢いていて、呼吸をするように臭気を放っていた。

 耐えられない。

 あまりにも世界が違いすぎる。

 気色が悪いだとか、気持ちが悪いだとか、そういったもので括れる空間ではなかった。

 最悪だ。

 予想を上回る事態を目の当たりにして、尚、彼の足はその柱、声の主と思しきものへと近づいていった。

『きてくれた……ほんとにきたんだ……』

 肉の柱。膨らみを持つ部分には、その空間には酷く似つかわしい姿があった。

 透き通るような肌。鮮血のように、その肉と同化するような色のワンピースを身につける、銀髪の少女。四肢は肉に取り込まれるように、まるで磔にでもされているような姿がそこにはあった。

 ――おそらくこれが外界と接触するための装置と言うべき部分なのだろう。

 そう考えれば、この空間内の肉やらそれらが全て、ひっくるめて一つの生物という事になる。

「ご、ごきげんよう……?」

 挨拶を試みる。

『ごきげんよう……』

 返された。

「お、お名前は?」

『ない……』

「そ、それでは、ちょっと……おいとましようかなぁ、と思います」

 言って、ごく自然的に背を見せる。

 その瞬間だった。

 粘液が音を立てる。肉から剥がれた一振りの触手が、その本体と言うべきソレから振り抜かれて――刹那。彼がその肉薄を理解するよりも早く、触手はジャンの腹に巻き付き、宙に持ち上げた。

 電灯が手からこぼれ落ちる。照明は、吸い込まれるように本体へと近づいていく様を照らしていた。

「う、わああああ――っ?!」

『まって……』

 身体が肉塊に叩きつけられる。ぶよぶよとした奇妙な感覚に身体が埋もれた。

『おともだちに、なって……』

 タマは引っ張られる最中に落ちたのだろう。その通過点で、口から魂を吐き出すように倒れていた。精神が過負荷に堪え切れずに気絶してしまったらしい。

「お、お友達……ですか……」

『おともだち……』

 繰り返す。

 そうすると、不意に肉塊の手前から勢い良く触手が突き出るように出現した。

 それはうねうねと、見えざる手によって粘土細工が加工されるように、触手はその形を変異させる。

 人のように二本で一対の腕が生まれ、五本の指が作られ、また胸には未発達な膨らみ、まだくびれは無く寸胴、そしてぷつりと肉から引き離された触手は、やはり二本の足を生やしていた。

 色が変わる。

 先ほどの境界面と同様に、人間のような肌を持ち、腰までの長い銀髪を生やす。くすんだ、生気の無い瞳はそのままだが――何も知らなければ、その姿はそのまま人間に見える。人間以外の何者でもない姿だ。

 やがて少女は、紅いワンピースを纏って、裸足のままで肉の上に立ち、触手に握られ肉塊に叩き込まれるジャンの姿を見上げていた。

『あげる……がっこうはかよう。おうちは、ここ……』

 鈍い声音は続けた。

『おともだち、なってほしい……』

 ――何が目的なのか。

 そもそもコレは一体なんなのか。

 その全てが、意識的に彼の頭の中から排除された。

 生存だけを考える思考が彼を突き動かし、口を動かす。言葉を紡ぐ。

「お友達に、なりましょう……!」

 精一杯に吐き出されたその言葉を最後に、ジャンの意識はぷつりと途切れた。


「ジャン! ジャーン!」

 名前を呼ぶ声と共に、身体が大きく揺すられる。共に、深く沈んでいた意識は呼び起こされて、浮上。

 ジャン・スティールの意識はそこで覚醒した。

「……はっ!」

 反射的に眼は開き、そして同時に心臓が激しく鼓動する。

 彼の視界には心配気な視線を送り、今にも泣き出してしまいそうな人型のタマがあった。

 タマはジャンが目を覚ますと安心したように大きく息を吐き、それから見る間に縮んで、猫に戻る。

「もう、死んじゃったかと思った」

「こ、ここは……」

 震える声で告げるタマの頭をやさしい手つきで撫でてやりながら、彼は身体を起こす。周囲を伺うように首を回せば、そこは校舎の裏。焼却炉の近くだった。

 振り返れば、大地に埋まる蓋は閉まったまま。

 彼はそこでようやく胸をなで下ろして、深く息を吐いた。

「良かった、おれを襲う触手はいないんだ……」

 そう漏らすと、背後から凄まじい衝突音が鳴り響いた。まるで壁に勢い良く馬か何かが突っ込んだような音に、衝撃。彼は慌てて立ち上がって振り返ると――くるくると、蓋は宙を舞っていた。

 やがてそれは角の部分を深く大地に突き刺すと、殆ど同時に、それは着地した。下には何も身につけていない少女は肩までワンピースを翻してから、ゆっくりとしたようすで落ちていくその衣服がやがて地面に触れてから、緩慢な動作で立ち上がる。

 くすんだ黒い瞳がジャンを見上げた。少女は裸足で仁王立ちする。

「呼んだ?」

 そうして声は、いかにも少女らしく澄んだ声音となって言葉を紡ぐ。

「呼んでません」

「そう。残念。ちなみに、本体から離れられるのは、二時間までだから。過ぎると腐っちゃう。臭くなる」

「頑張ってください」

「ありがと」

 慣れない言語を一生懸命使うように、拙くも、彼女は先程よりも遥かマシな声でそう教えてくれる。

 もしかすると、この学校の七不思議となる一つを、そして最大級のその不可思議を解けるかもしれない。さらに恐怖さえ忘れてしまえば彼女だって、普通に接することができる。

 食われることは……ないだろう。そうだ、あの地下で生きて行けるのだから、食事やら何やらは不要なはずだ。

 ならば大丈夫。

 おれは大丈夫。

 彼は頷き、自分を納得させる。

「ま、そういう、事だから。よろ」

 ……どこでそんな言葉遣いを覚えるのだろうか。

 台詞に関してはまだ本体のほうが可愛げがあったかもしれない。

 手を差し出す彼女に、ジャンは対応してその小さな手を握り返した。

「よろしく、ノロ」

「ノロ?」

 首を傾げる彼女を指さすと、彼女は自分で自分を指さした。

「ノロ?」

「そう、君の名前だ」

 名前の由来が呪いだと知られたら、本格的に殺されるかもしれない。

 そう思いながらも、口をついて出てきてしまった以上引き返せない。時間程度を巻き戻せない自分を不甲斐なく思った。

 ジャンが言うと、彼女は僅かに、口角を吊り上げた。

「わたしの、名前」

「そうだ。名前がないと不便だからな。それじゃ、ノロ、悪いがおれはこれから授業だ。帰るからな」

「うん、わたしも準備が必要。学校は来週から」

「そいつは良か……残念だな。それじゃあまた今度!」

「うん」

 畳み掛けるようにして、ジャンはタマを強引に肩に乗せてから、ノロに手を振り背を向ける。

 なんだか奇妙な罪悪感に苛まれながら――ジャンは教室に戻る。

 閑散とする、誰もいないその様子から、既に時刻は放課後を過ぎていることを理解するのは、それから数分後の事である。

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