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7.和睦

 四月八日。正午。

 無事に騎士の入団式が終え、翌日から正式に騎士としての職務に追われることになる。

 緊張半分、不安半分であるはずの新参者は、まるで緊張感の欠片もなく、一人はアクビをしながら、一人は気怠げに首を鳴らしながら退場していく。

 そんな連中を見送りながら――ユーリアは、まるで己が取り返しのつかぬ事をしたのではないか、というような焦燥感に駆られていた。

「どうした、顔色が悪いな」

 そう声を掛けてきたのは、エミリオだった。

「……ジャン・スティールの欠席の理由を、知っているのか?」

 彼女が問えば、彼は視線を逸らして後頭部を掻く。

 ――異世界関連の問題は、一五○年じっくりかけても相手方の事が未だ不鮮明で曖昧過ぎるゆえに、大きく動くことができないのが現状だ。

 たとえ事前に進軍の情報が来たとしても、その目的、本意を明確に彼らの口から聞かぬまでは動けない。圧倒的な軍力を敵に持たれていることもあるし、下手に手を出して外交上の不具合をすべてなすりつけられる可能性があるからだ。

 だからジャンが、より確信をつくような”夢”を見たと言っても、彼が人知れず夜更けに街を出たとしても、騎士や軍として手を貸すことは出来なかった。

「理由……理由、なあ。さあ、聞いていないが――」

「そうか……」

 肩を落とす彼女に、言うべきかと迷った言葉を、仕方なしに口にする。

 どうあれ、いずれ知れるのだ。先に言っておいて、後々責められるような事は回避したい。

「なんでも、ニ、三日前から姿をくらましているらしい」

「そうか……ん? なんだと、なんと言ったッ?!」

「落ち着け、異世界関係の問題だ。今は既に、先遣隊を追跡に使っている」

 暗に、お前が騒いで動いたとしても、その行動が結果につながることはない。下手をすれば、整いかけた何かが乱れるかもしれない――エミリオはそう告げていた。

 騎士になって既に十年近いユーリアだ。いくらジャンがどうなったとしても、その彼の優先度が下がってしまうのも仕方がない話だったが――

「そうか」

 特攻隊長の地位を追われ、騎士団ですら無い、その特異な立場ゆえ、彼女の行動指針は彼女の想いが強く向けられるものによって変質した。

 自由フリー騎士ランサー

 本来、騎士は国に忠実であるべきなのだが――それ故に、彼女は仲間内からそう揶揄されることが多々あった。

「諸事情を思い出した。席を外す」

「ああ、くれぐれも下手を打たないでくれよな」

 全てを透かし見るようなエミリオの言葉に舌打ちしながら、彼女は背を向け手を挙げた。

「だがちょっとまってくれ」

 そうした直後。

 城を出ようとした彼女の前に立ちはだかるのは、パスカルだった。

「いや、なに、悪い話じゃない。ただこの時間にまだ”何もない”なら、大丈夫だと思って打ち明けるわけだ」

「……何の話だ」

「異世界の話さ。たぶん俺だけが知ってるぶっちゃけ話」

 いや、まさかとは思っていたんだが――。パスカルは下品な笑いを漏らしてから、ゆっくりと言葉を継いだ。


「覗き見はあまり良い趣味とは言えんな」

 スティール・ヒートの登場と共に、咄嗟に身を引いた華奢な少女は、だがその威圧的な瞳から逃げることが出来なかった。

 碧眼に琥珀の瞳を持つ少女は、だがその実年齢を八○過ぎとしている。そんな彼女は第二騎士団――偵察部隊の隊長にして、先遣隊の副隊長に任命されていた。

「……異世界むこうがわの騎士様、でよろしいかな。一つ伺いたいことがあるのですが」

 飽くまで関係は対等。

 力の差さえあれど、立場的に上下があるわけではない。

「下で何が起こっていたのか、説明をお願いしたい」

 彼女の魔法ちからならば、なんでも見通せるはずだった。

 だから下で何かが起こっていることは分かったが、早すぎて認識できない。そして突如として起こった溶岩の流出など、理解の範疇ではない。

 彼女、ミキの言葉に、ヒートは面倒そうに嘆息して肩をすくめた。

「まあいい、今のわたしは気分がいい。あのような男を持て余していたという愚かしさに同情して、簡単な説明をして差し上げる」

 そういった要らぬ挑発を皮切りにして、ヒートは説明を始める。

 淡々と、時系列から開始し――その目的を告げられた途端、ミキは思わず、腰砕けになってその場に崩れ落ちた。

「嘘だろう?」

「……貴君ともあろう者が、そう思いたくなるのもわかるが、まあ諦めるのが手っ取り早い手段だとは思う」

 やれやれと嘆息するヒートは谷底を見下ろし――ミキも倣うように、這いつくばってその隣に並んだ。



 冷えて固まる溶岩は、完全に扉の封印した形となっていた。

 だがそれも、今や数分前の話。

 今では溶岩は存在せず、溶け出した階段は再び六○センチほどの段を築いている。

 そうして足元には、全身を焦がした焼死体。己の部下……と言って良いのか分からないが、少なくとも自身より地位が下の者がやったのだ。

 だが哀れだとは思わない。かわいそうだ、とも。

 ただ少し、同情する。

 自分のせいでこうなったようなものなのだから。

「ジャン・スティールと言ったな。いや、申し訳ない。世間知らずの娘の提案が、結果として卿を不安のどんぞこに陥れ、あまつさえ命を散らしてしまったのだ」

 膝まずき、未だ熱く熱を孕む身体を抱き上げる。脂肪が殆ど無かったのか、燃焼されてもその身体はやや重い。

「だが喜んでくれて構わない。私は卿を気に入った。卿に命を賭してまで守ってもらえるような者は、さぞかし幸せものだと私は思う。そんな者を、心からそう思ってくれるような者を私は知らないから」

 ――起きたら、まだ恨んでいるだろう。

 仕方のないことだ。こんな戯言に付き合わされたのだから。

 静かにジャンへと顔を近づけ、その唇らしき部位に、自身の口を押し付ける。焦げ付いた、人肉の焼けた嫌な匂いが鼻につく。口は既に焼けてしまってくっついているために、舌を滑り込ませることは出来なかったが、まあいいだろう。

 銀髪が輝くと、同時にジャンの身体も内側から発光し始めた。

 まず初めに生焼けの内臓が蘇り、重度の火傷が回復して肌が元に戻る。

 ズタズタにされた筋肉が結合し、バラバラになった骨が頑健な一つへと再生する。

 心臓が動き出し、それに伴い全ての機能が、生命の活動を再開させた。

 呼吸が開始し、全身が痙攣する。

 だがそれも間もなく治まって――ジャン・スティールの蘇生は完了した。

「卿の戦いを見て、私は胸を締め付けられるような思いに駆られた。こんな気持、わけがわからないよ」

 髪をかきあげ、顔を離す。

 だが依然として彼は抱き上げられる形のままで、意識が戻る様子もない。

 されど命に別状はないし、健康そのものである。

 それが彼女の能力ちからだった。

 異世界で唯一無二の魔法を持つ。その治癒、修復の能力は異世界で最大の物であり、死者さえも蘇生しうる力を持っていた。

「卿の仲間がいけないのだぞ。さぞ楽しいだろうこの世界の話ばかり聞かせて、私は外に出られないというのに」

 そして、模擬侵攻の結果を彼の記憶に刻みつける提案をしたのも彼女だ。

 理由は、人間の行動理念が知りたかったから。どの程度のものなのか識りたかったから。

 純粋なまでの知的好奇心であり、その判断は命を軽視していたからに過ぎない。

 そこに世界、文化の違いが明らかになっていた。

「――ふざけんな」

 彼女の独白に、そう口を開いたのは腕の中で横たわる青年だった。

 ――意識が戻る様子がないと判断したのは、彼女の油断が招いた判断ミスだった。

 そう、戻る様子がないのは当たり前だ。彼は蘇生と同時に意識を取り戻していたし、状況判断のために気絶のフリを続行していたからだ。

 彼女は驚いたように目を丸くして、ジャンは彼女の拘束とも言えぬ抱擁を引き剥がして立ち上がる。

 その中で、己が全裸であることに気がついたが、気にしている余裕はなかった。

「あんたが元凶か」

 無邪気なまでの独白を聞きながら、己の胸の奥底でふつふつと湧き上がる怒りの炎を抑えることが、彼にはできない。

 だがまだ辛うじて冷静な部分があるうちに、訊いておかねばならぬことがあった。

「この世界を、侵略するつもりなのか?」

 彼女が何者であるのか。

 それは奇跡的にだが、判然としていた。

 ここに来る前にパスカルから聞いていた情報――回復系統の”法”を持つのはただ一人。彼らの国の姫である。

 彼女は立ち上がり、ジャンと視線の高さを合わせると、毅然と腰に手をやり、片足に重心を移し替える。

「その予定は一切ない。むしろ、こちらがその恐れを抱いているくらいだわ」

「なら、なんでこんな事をやりやがった」

「理由? 理由、ねえ……箱入り世間知らずのお嬢様のわがまま、とでも言うのが正確だろうね」

「くそ、ふざけやがって……」

 だが、

「この世界に、害なす事は無いんだな?」

「ええ、それは確実に。私の名にかけて誓うわ」

「あんたの名前なんか知らねえよ」

 もしそれが本当なら。

 気が抜けたように、ジャンは思わずその場に腰を落とした。

 今までの苦労は杞憂に終えた。

 それでいい。

 何も起こらないなら、むしろそれが良かった。

「イヴ・ノーブルクラン」

 凄まじく濃密な瘴気にやられながらも、その凛とした自己紹介だけはよく聞こえていた。

「アレスへレ王国、ブリッツ・ノーブルクラン国王第一息女……つまりお姫様ね」

 気づかぬふりをしていれば、気易く話せていたのだが。

 ジャンは嘆息して立ち上がり、やれやれと頭を掻いた。

「ちなみに、アレスというのは親交の証としてアレスハイムから貰ったものよ。そもそも、卿らの世界と争う理由がまったくない」

「そうですか。それで、箱入りのお姫様がわざわざこの世界に来た理由は?」

 目が暗さに慣れても、彼女の髪が銀色に輝かねば顔すらも判然としない。

 だから今彼女が笑顔でいるのか、凄まじい怒りの形相で居るのかすら分からないが――くす、という漏れた笑気から、苦笑したのだと理解できた。

「……ああ、そういえば驚かせようと思って、結局言ってないんだっけ」

 困ったように笑った彼女は、

「これから一年間、この世界で暮らすことにしたから。一応だけど、国王には話を通してあるし」

 なんでもないように、そう告げた。

「まあ正直な所、卿を図ったのもそんな理由なんだがね。私が認められるような人間が、少なくとも一人は居るか、って」

 ゆえに、ヒートに頼んで行った模擬侵攻だ。まずは腕の立つものを見つけようとしたのだが――結果的には彼の発見に至っている。

 これも何かの運命だろうか。

「それで見つけたわけだ」

「……下手すりゃ、戦争もんだぞ」

 非難するような刺々しい声は、だが彼女の一笑によってかき消された。

「一国の姫がそんな不手際をすると思うか? 話は通して……ん、おかしいな。誰かに話した記憶がない。いや……ああ、そうか。話したが、許可を出してなかったか」

 彼女はそう言って微笑んだ。

「あー、まあ、あれだな」

 歩み寄り、肩をぽん、と軽く叩く。

 まるで姫など飾りであるような気易さだが、実際に彼女自身、その自覚は酷く薄いようだった。

「なんであれ、何事も無くて良かった」

「……優秀な弟さんかお婿さんが出来ればいいですね」

「それは私も常々思っていた」


 そんなやり取りの後、長く高い階段を登って行くと、まずヒートが仁王立ちして大剣を担いでおり、

「ジャン・スティール」

 そう彼を呼んだのはミキだった。

「お前ってやつは、ほんとにいつでも誰かに心配をかけるな……」

 なぜここに居るのか、だとか、そういった疑問を解消させるつもりは一切ないのだろう。

「すいません。でも――」

 言葉を遮ってまで、彼女の説教が始まりだした。

「お前は一度死んだんだぞ。良かったのか、それで」

 ――そんな説教が聞きたくない、という理由もひとつだが、そういうものをひっくるめて彼女には声をかけなかったのだ。

 そんなことなどわかっている。構わないと自分で判断したから、ここに来たのだ。

「あー、はいはい。分かってますよそのくらい」

「お前が死んで、悲しむヤツが――」

「言ったって仕方が無いでしょうよ。仕事で死んだって、そりゃ悲しむ奴が居る。今回はおれが勝手に行動しただけで、それに何の違いがありますか」

「……それは」

「固く考え過ぎなんですよ。もう歳なんですし、もう少し気楽にいきましょうよ」

「……ったく、お前ってやつは」

 肩をすくめ、話しにならんと嘆息する。だがその表情は和らぎ、すっかりジャンに乗せられた形になっていた。

「にしてもだ」

 彼女は継ぐように続けた。

「服はないのか?」

「無いです。……なあ、修復できねえのか?」

 後ろに顔を向けて訊いてみる。と、イヴは毅然とした憮然で返してきた。

「無理だな。元になるものがないと基本的には不可能だ。しかし、ふざけるのも大概にしてほしいな、破廉恥が。くそ、数分前の私をぶん殴ってやりたい気分だ。卿の格好がもっとまともだと思っていたが」

 こんな男にときめいていただなどと、もうこれで誰にも打ち明けられなくなった。

 もっとも、ヒートなどは告白めいた事をしていたのだから、お互い様だろう。それを口にしていた時点で、彼のダメージの方が大きい。

「わたしも甲冑だしなあ」

「私も甲冑だし、参ったな」

「……そう見れば我らは奇妙な集団だな。レザースーツに騎士二人、全裸の変態を一人加えたパーティーだ」

「春じゃなかったら死んでるぞ、これ」

 しみじみと自分の格好を見なおしてから、ジャンはやれやれと腰に手をやった。

「いや、まず股間を隠せよ」

 そう言われたが、

「股間触ったら、もう何も触れられないじゃないですか」

 そう説得してみると、ミキは唸るように考えこんで、

「……まあ、そうだな。生娘というわけでもないし……ああ、姫様は違ったか」

「ああ、彼女はただのませた娘だ」

「卿、味方ができたからとはいえ、気を抜き過ぎなのではないか? 今すぐ卿を殺害することも厭わぬぞ!」

「唯一の護衛殺すなよ」

「全裸に言われたくはないわ!」

「くそ、理不尽だが反論できねえ」

 にしても、彼女に反論されると妙にいらつくのは何故だろうか。

 大きく息を吐き捨てて、ジャンは話題を逸らしてみる。

「とりあえず、ここを出ないか?」

「そうだな」

 同調したミキに、ジャンが問う。

「でも、どうやって?」

「……戻る手段も知らずにここに来たのか?」

「戻る計画は無かったスからねー」

「まあいい、とりあえずこれでも着ていろ」

 彼女が手渡すのは、己が肩にかけていたマントだ。彼女が小柄故に、腰に巻いて丁度いいほどの大きさでしか無い。

 ついでミキは少し離れた位置の地面に魔方陣を描き出したかと思うと、三人を手招き、その陣の上に並ばせた。

 するとすぐさま、その魔方陣は眩く輝き始めて――。

「卿は騎士なのか?」

 肩越しに、イヴはそう訊いてくる。

 ジャンは首肯し、共に空を仰いだ。このニ階層目に来て分かったことだが、谷に挟まれている狭い空はもう眩いほどに明るくなっている。昼過ぎと捉えても、誤差はそう大きくないはずだ。

「今日が入団式だったんだがな。すっぽかしたから、どうなるか正直わからん」

「そうか」

 小さく頷く。その声は、まるで罪悪感にでも駆られた子供が、恐る恐る機嫌を確認しているような、怯えたような悲しんでいるようなものだった。

「騎士になりたかったのか」

「ま、今じゃぶっちゃけ、どっちでもいいけど……」

「あ、あの……だな。その、今日は、ご――」

 転送魔術の輝きは、瞬時に爆発的に増幅して闇も音も、その全てをかき消した――。

 結局、イヴ・ノーブルクランが最後に何を言おうとしていたのか、ジャンにはわからずじまいだった。

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